第105話 epilogue-01

「ふむ……我の予想通りと言ったところか」


 ヴィクトール伯爵のオルレアン伯爵領での暴挙を受けてここぞとばかりに革新派を攻撃の的としていた貴族院議会は、革命団ネフ・ヴィジオンのヴィクトール伯爵領制圧の宣言をもってさらに紛糾し、結局は混沌のままに散会した。

 その後、帝都の邸宅に戻った男──ルイ・オーギュスト・ル・ヘリオス・ド・デューク・フォン・セレーネは、謁見の間にて、部下であるシェリンドン・ローゼンクロイツから受けた詳細な報告を聞いて、そう笑った。


「予想通り、と仰いますと?」


 そのまま反復したシェリンドンに、セレーネ公は、くっくっくっ、と喉を鳴らし、


「エスメラルド公の勇み足は想像できたことよ。公が、ヴィクトールの情報を掴んでおるのも、革命団ネフ・ヴィジオンを己の思うままに動かそうと企んでおるのも知っておる。ならば、動くと予想するのは難しくあるまい?」

「しかし、エスメラルド公は失敗したのではないですか?」

「くっくっくっ……シェリンドンよ。失敗と敗北は違うぞ」


 それだけでセレーネ公の言いたいことを理解したのか、シェリンドンは首肯した。


「なるほど」

「公の誤算は革命団ネフ・ヴィジオンの名を利用したことだ。確かに、大勢の愚民の前で、革命団ネフ・ヴィジオンの敗北を印象付けるのは有効ではあろう。だが、その手を打つのは、自らあの男の逆鱗に触れに行くようなものよ」


 そう言うセレーネ公は、終始楽しげに口元を歪めていたが、その紫水晶アメシストの瞳には、計算高き支配者としての色を宿している。

 今この瞬間も、この男は数々の謀略を張り巡らせ、その頭脳をもって、新たな謀略を考えているのである。


「公は、あの男を知らぬ。たとえ、貴族を棄てようとも、あの男の手腕を侮ってはならん。それを知らぬ公では、裏をかくことなどできぬ」

「…………」


 無言で答えたシェリンドンに、セレーネ公は苦笑を浮かべ、


「シェリンドン、貴様にも思うところはあるか、本家・・には」

「今は過去。すでに終わったことです」

「くっくっ、そうであったな。いずれにせよ、今の公では、あの男には勝てぬ」


 そう断じたセレーネ公は、珍しく思い悩むような表情で、小さくこぼした。


「とはいえ……やはり青い。利用できるとはいえ、我も拙速だったかもしれんな」

「閣下も後悔することがあるのですね」

「我もただの人である限り、後悔や反省を棄てることはできぬ。貴様もそうであろう?」

「…………」


 無言を保つシェリンドンの物言いたげな様子を敏感に感じとったセレーネ公は、紫水晶アメシストの瞳を輝かせ、


「我に遠慮する必要はなかろう?」


 しばらく迷いを見せていたシェリンドンだったが、口を固く引き結ぶと、決意したように口を開いた。


「……ならば、彼女・・のことも、そうなのですか?」

「ほう……?」


 興味深い、とでも言いたげにセレーネ公は感嘆を漏らした。しかし、すぐにその感嘆は消え、尊大な口調で質問に答えた。


「アレにしたことを間違っていたとは思わぬ。それは今もな」

「……気にはならないのですか?」

「もし、アレが我に牙を剥いたとして、今のアレでは我の敵ではない」


 シェリンドンが聞きたかったのはそういうことではないのだろうが、セレーネ公はそれ以上のことを答える気は無かった。


「シェリンドン。貴族院の侮りと抑制された叛乱が作っていた状況の均衡は崩れた。貴族院は、革命団ネフ・ヴィジオンを含む反動勢力の殲滅に注力するであろう。特に保守派の辺りがな。逆に革新派は、既得権を排除する好機と捉えるであろう」


 それは楽園〈エデン》の貴族たちが新たな局面を迎えることを示していた。革命団ネフ・ヴィジオンによって打ち込まれた楔は、貴族たちの偽りの結束を砕いた。

 残るのは、己の信ずるところに従い、己の権益を守るために、それぞれの意思で動く貴族たち。まさに、船頭多くして船山に登る、といった体の群雄割拠である。

 これからの楽園エデンは戦火に包まれる。これまでにないほどの規模で。

 そして、その決着が付いた時、最後に立っていたものが、この楽園エデンの新たな支配者となる権利を得る。


「ヴィクトールのような虫の羽ばたきでも、ここまで楽園エデンが揺らぐのだ。やはり、腐ったものは切り捨て、焼くものは焼かねばなるまい。無論、必要ならば、三公もな」


 そう、楽園エデンの貴族はその誇りを忘れ、発展し過ぎた。

 しっかりと間引かねば、上質な果実は実らぬように。増え過ぎて飢餓に陥ったイナゴが黒く凶暴化するように。

 人もまた、増え過ぎ、肥え太り過ぎてはその役を正しく果たすことはできないのだ。


「シェリンドン。近々、貴様にも動いてもらうことになる。ダヴィデの十字架も貴様に返そう。それと、円卓を招集しろ、よいな?」

「御意」


 それだけ答えて退出したシェリンドンを見送ったセレーネ公は、ふと、シェリンドンが妙に気にしていた人物のことを頭に思い浮かべた。

 唯一、自分と同じ色の瞳を持つ少女の顔を。

 おそらく、今は敵であろう姿を消した少女の顔を。


「……まったく、アレは貴様に心配されるようなものではないぞ、シェリンドンよ」


 その声は驚くほど平坦で、なんの感情も込められていなかった。

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