第104話 連鎖 -butterfly effect- 35

「まさか、本物が出てくるとはね……さすがに予想外だわ」


 ルイーズは眼下の映像を見ながら、唇を噛んだ。そこに普段から見せていた余裕はない。

 突如として現れたMC部隊。そして、その後を追うように現れた革命団ネフ・ヴィジオンを名乗る者たちと、その演説。極め付けとなった円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズ機、〈ガウェイン〉の戦線投入。

 これらの出来事によって、圧倒的に有利であったはずの状況は瞬く間に覆された。

 団長機は釘付けにされ、領都は狂乱から落ち着きを取り戻した。

 それどころか、〈ガウェイン〉単騎によって、残っていた騎士団のMCも一瞬とも言える時間の内に斬り捨てられ、さらには、団長機〈レギオニス〉さえも、〈ガウェイン〉ともう一機の黒いMCによって撃墜され、地面に埋められてしまった。

 もはや、戦況は決した。覆すための手は残っておらず、戦力の大半を失った。

 つまりは、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンは、敗北したのである。

 侮っていたつもりはなかった。しかし、読み負けたのはルイーズの方だった。


「わたくしが負けるなんてね……ふふっ、久しく味わっていなかった感覚ね……」


 そうつぶやくルイーズの頬にはどこか空虚な笑みが浮かんでいた。それは、全て失った敗北者の笑み。敗北を受け入れ、反撃への心を折られた証左であった。


「結局、わたくしも道化でしかなかったということかしら。これすらも本家様の予想通りだというのなら、あの方も大した脚本家なのでしょうけれど。いずれにせよ、わたくしが、相当な愚か者であることには変わりないのだけれど」


 ルイーズは、自重気味な笑みを浮かべた。そこには、自らを信じて斃れた部下への同情も共感も、自らの立場への誇りも正しい認識も何もなかった。

 あるのはただただ、空虚な自虐のみであった。


「──! ──様!」

「いえ、わたくしの器ではこの程度だったということかしら。使い捨てに駒にされたわけなのだから」

「──嬢様! お嬢様!」


 耳元で相当な音量で呼びかけを続けるトウカにも、ルイーズは反応を示さなかった。中空に焦点の合っていない目を向けるだけで、彼女の目に、従者の姿は映ることはなかった。

 それどころか、力が抜けたのか、ルイーズは、不意にぺたんとヘリの床面にへたり込んだ。その瞳には、涙の輝きがあった。


「わたくしは……えぐっ、また、なにも……えぐっ……役立たずにままで……えぐっ……えぐっ」


 普段の強気な態度など影も形もなく消え、ただ嗚咽を漏らすルイーズ。

 その時──


「ルー!」


 ルイーズという名の愛称を呼ぶ声と共に、ぱしん、という音が、機内に響いた。


「えっ……とうかおねえちゃん……?」

「ご無礼をお許しくださいお嬢様。お嬢様は決して役立たずなどではありません。お嬢様は私に道を示してくださった。それだけで、お嬢様は私にとっての太陽です。役立たずであるはずがあるものですか」


 トウカは、ルイーズの細い肩を掴み、顔を覗き込むようにして目を合わせ、一言一言丁寧に言葉を紡いでいく。


「良いですか、お嬢様。他の誰がお嬢様を見捨てようとも私だけは、地獄の底であろうとも付いてまいります。そう、私はかわいい妹を手放す気は絶対にありません。決して、決して、一人だと思われぬよう」

「えぐっ……おねえちゃん……」


 ルイーズは甘えるように、ぎゅっとトウカに抱き付く。しかし、トウカは肩を押して、それを拒絶した。

 東方の血を継ぐ捨て子だった自分を本当の姉のように慕ってくれるのは嬉しい。甘えてくれるのも、頼ってくれるのも。本当に嬉しいのだ。不安と後悔と恐怖に押し潰されそうなルイーズを抱き締め返して、泣き止むまで撫でてやりたい気持ちは確かにあった。

 しかし、ここは戦場だ。そんなことをしている場合ではない。姉としてやるべきことはここまでだ。後は、ルイーズに仕える従者として為すべきことを為さねばならない。


「おねえちゃん……」


 不安そうに上目遣いにトウカをうかがうルイーズを、トウカは心を鬼にするつもりで叱りつけた。


「無礼を承知で申し上げますが、お嬢様はご自分の立場をなんだと思っておられるのですか! お嬢様は女とはいえ、マレルシャン子爵家の嫡子にございます! 唯一の跡継ぎであるあなたが、一度の敗北くらいで、こんなところで散るおつもりですか! なんのために眼下の騎士が戦ったのか忘れたのですか! お嬢様の、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンの背負うべき責任は軽いものではありません! 貴族令嬢として、マレルシャン子爵家に連なるものとして、その責務を果たしなさい! 泣いている場合ですか!」

「あ……」


 普段は声を荒げることなどないトウカに叱りつけられたルイーズはようやく正気を取り戻し、その瞳に薄い翡翠を宿した知性の輝きが戻る。


「……そ、そうね、ごめんなさい」


 頬を羞恥で真っ赤に染めながら、トウカの真っ直ぐな視線から目を逸らしたルイーズは小さく謝った。しかし、トウカに無理やり目を合わさせ直される。


「トウカ、ありがとう。目は覚めたわ」

「お嬢様、すべて終わらせたの後なら、私も喜んで胸を貸して差し上げます」


 ルイーズは、またしても目を逸らし、拗ねるように頬を膨らませた。子ども扱いが気に入らなかったのだろうか。しかし、その魅力的な誘いに折れたのか、頬を染めて上目遣いにトウカをうかがうと、


「……お願い」

「はい」


 至極当然のように、あっさりと答えたトウカに拍子抜けする。自分は、恥ずかしさを押して頼んだというのに、という不満の思いもあるが、ルイーズはひとまずすべてをしまいこみ、思考を回す。


「……さて、始めるわよ」


 ルイーズのすべきことは最初から決まっていたのだ。貴族の責務として、ルイーズはなんとしてでも生きなければならない。ここに残される騎士すべての屍を踏み越えてでも。

 その罪を贖えるとは思わないが、罪を背負ってでも生きなければ、マレルシャン子爵家に、ひいては、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンに従って命を賭けた騎士たちに申し訳が立たない。


「トウカ、すぐにマレルシャン子爵領に進路を向けさせて。一度退いて策を練り直すわ」

「了解しました」


 しかし、その決意が実行に移されるより早く、死神の手は彼女たちに絡み付いていた。

 突然、ヘリが大きく揺れ、バランスを崩したルイーズを、そんな揺れの中でも直立不動を保っていたトウカが受け止める。


「なにが起きたの?」

「お嬢様、コックピットへ」


 慌ててコックピットに状況を確認しに行く二人を迎えたのは一発の銃弾だった。その弾丸は、パイロットが座る席の背もたれの部分に突き刺さり、甲高い音を響かせた。


「お嬢様!」

『あー、聞こえてる?』


 それは年若い少女のものと思われる声だった。おそらく、ルイーズ自身ともそう変わらない年頃だろう。


『そこのブロンドの可愛い子が、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンさんだよねー? 速やかに降伏してもらって良いかな? じゃないと、ずどん、だよ?』


 その直後、再び正面から弾丸が飛んできて、ヘリのコックピットに備え付けられていたバックミラーが弾け飛んだ。

 狙撃手の位置は正面にいるヘリだ。そのヘリの腹から身を乗り出し、片手で狙撃銃を操っている誰かの姿が見えた。

 接近した二機のヘリが起こす乱気流の中、あの体勢で、片手で狙ったところに弾丸を当てるなど、化け物じみた、否、化け物そのものと言っていい技量である。

 突然訪れた死神の弾丸に、ルイーズの背筋を冷たい汗が伝った。

 ルイーズはゆっくりと両手を挙げ、無抵抗の意思を見せてから、


「回線を繋ぎなさい。それ以外のことをしてはダメよ」


 短く命じ、ヘリのパイロットに、通信回線を開かせる。


「……聞こえているかしら」

『あっ、改めて聞くと声もかわいいねー。うん、聞こえてるよー』


 相手の生殺与奪の権利を握っていながら、ずいぶんと能天気な狙撃手である。しかし、銃口を突きつけられている今は、そんな能天気な態度も逆に恐ろしく感じられる。

 風に揺れる長い白銀の髪と、狙撃銃に肩に当てた少女の顔が遠目に見える。

 一瞬映った少女の瞳が、紫水晶アメシストに煌めいていたように見え、ルイーズは息を呑んだ。その輝きは──

 まさか、ありえない。そう断じて、かぶりを振ったルイーズは、慎重に言葉を選んで口を開いた。


「……交渉の余地はあるのかしら?」

『うーん、たぶん、あるんじゃないかなー、あっ、変わるね』


 そう言って少女との通信は一度切れ、入れ替わるように、渋く年を食った男の声が聞こえた。距離がそれなりに離れていたせいで自身はないが、おそらくは演説を行っていた人物のそれだ。


『私は《テルミドール》。無論、ないわけではない。可能ならば受け入れよう』

「改めまして、わたくしは、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンですわ。では、本題に。それでは、わたくしを見逃すことも?」

『それが不可能なのは聡明な君ならば分かっていることではないかね?』


 当然だ。分かって聞いている。貴族の打倒を掲げる革命団(《フ・ヴィジオン》にとって、貴族を見逃すなどという、本来の方針に背くようなやり方はご法度だろう。組織の統一のためにもそんなぬるい真似はできまい。

 しかし──

 その一方で、ルイーズは確かな手応えを掴んでいた。男の口振りは実にクレバーなものだ。無為に虐殺するようなことはないと予測できた。


「ならば、わたくし以外の生存者全員を、マレルシャン子爵領に返してはもらえないかしら?」

『それは君自身はどうなっても良いということかね?』

「もちろんですわ。煮るなり焼くなり好きになさい。それで、皆の命が守られるなら安いものね」

「お嬢様!」

「トウカは黙ってなさい。これは、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンと革命団ネフ・ヴィジオンの間に設けられた交渉の席よ。侍女が口を挟むべきではないわ」


 トウカの反論を封じるために、ルイーズはあえてきつい言葉を叩きつけた。地獄の底まででも付いてきてくれるというトウカの心意気は素直に嬉しい。嬉しいのだが、ルイーズは時に励まし、時に叱り、時に抱き締め、そうやってルイーズを支えてくれてきた敬愛する姉を見殺しにしてまで生きたいとは思わないのだ。

 トウカはそんな気持ちを知ってか知らずか、うつむいて唇を噛んでいた。


『ふむ……しかし、我々としては、それでは目的を果たすことが難しい』

「では、どうなさるのかしら?」


 それで納得できないというなら、どのような悲劇が待ち構えているか分からない。ルイーズはぐっと拳を握り締めた。これは自分の敗北のツケだ。誰かに払わせることがあってはならないのだ。


『では、革命団われわれから条件を提示しよう』


 《テルミドール》と名乗った男は一瞬言葉を切った。その息を吸うわずかな間さえ、緊張に押し潰されそうなルイーズにとっては、永遠にも思える時間だった。


『天馬騎士団員の一時的な捕虜としての拘束。そして、マレルシャン子爵家令嬢、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャン、天馬騎士団団長、フェゴール・ド・エドワーズ両名及び、騎士団長以下指揮官数名の、革命団ネフ・ヴィジオンによる中・長期的拘束。これが我々の要求だ』

「え……?」


 ルイーズは拍子抜けして言葉が出なかった。てっきり殺されると思っていたのだ。にも関わらず、自分と騎士団長と指揮官級の騎士数名を拘束するだけで終わるなど想定外にも程がある。


『むろん、不満ならば突っ撥ねてもらって構わない。ただし、その場合は我々も実力行使に出ざるを得ないが』

「え……いや、わたくしを殺さないのかしら?」

『君を殺すことに価値はない。むしろ、マレルシャン子爵を怒らせるだけだろう。しかし、君を生かして縛り付けておくことは、マレルシャン子爵家への牽制となる。同様に騎士団長と指揮官を奪われた騎士団を立て直すのは困難だ。理解してもらえたかね?』

「…………」


 確かに、《テルミドール》の言う通りだ。もし、ルイーズが殺されればいかに汎用で不器用な父とて、革命団ネフ・ヴィジオンに全面戦争を吹っかけるくらいはするだろう。

 それに、貴族の娘が殺されたとあらば、貴族院も黙ってはいない。おそらく、総力を上げて革命団ネフ・ヴィジオンを潰そうとするだろう。ちょうどいい理由ができたとでも言わんばかりに。


「……完敗ね」


 MC戦でも、交渉でも負けた。ルイーズは革命団ネフ・ヴィジオンに対して一欠片も勝利をつかむ事は出来なかった。しかし、生きているだけましと思う他ない。それほどに完敗だった。

 ルイーズは通信を、宣戦布告にも使った放送モードに切り替えさせ、


「わたくし、ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンの名において、わたくしたち天馬騎士団は、革命団ネフ・ヴィジオンの捕虜となります。騎士の皆様には、可能な限り早く、我が領に帰還できるよう、手配するのでご安心を」

『無論、諸君らの身の安全は保証する。我々の理想と理念に賭けて、諸君らを、諸君らの主人たるルイーズ嬢を、あらゆる手を尽くして守ることを約束しよう』

「お聞きになった通りです。わたくしを含め、わたくしたちの身の安全は保証されています。わたくしの愚か故にこのような結果となってしまったことを、謝罪します。ごめんなさい」


 かくして、ルイーズのその言葉をもって、マレルシャン子爵家による革命団ネフ・ヴィジオン討伐作戦は終結を見、混乱に落ちたオルレアン伯爵領から始まった戦いは終わりを告げた。

 そして同日中に、革命団ネフ・ヴィジオンはヴィクトール伯爵の死と伯爵領領都アガメムノンの制圧、及び、革命団ネフ・ヴィジオン自治区の設立を宣言。当時、開会中だった貴族院に激震を走らせた。

 それは、史上初めての、貴族の明確な敗北であり、貴族の支配を逃れた領地が生まれた瞬間であり、平民という力なき存在が貴族を打ち破った瞬間でもあった。

 この貴族に対する劇的勝利は、楽園エデン各地に燻っていた反動勢力の活動に一気に火を付け、楽園エデン各地で、その炎は燃え上がることとなった。

 そして、この本来ありえぬ平民への敗北は、貴族院に明確な恐怖を植え付け、翌日に開かれた貴族院において、革命団ネフ・ヴィジオン討伐の機運を受け、貴族領治安維持保護法が制定。この法によって、領地内で不穏な平民の動きを確認した場合は、治安維持の名目で、領主の権限のみで、それを裁くことができるようになった。

 欲をかいた一人の男の、世界から見れば小さな蝶の羽ばたきは、もはや止められぬほど大きなうねりとなって嵐を巻き起こした。

 以後、表面化していなかった貴族と平民の対立は徐々に明確化し、楽園エデン全土を覆う大火となっていくことになる──

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