第18章 BEE AND BUTTERFLY

 もう、これでファイナルだ。最後の戦いが始まるのだ。あとひとつ。これに勝てば優勝。頂点を目指す大一番。最後は己との勝負だ。自分の限界を超えるのだ。

 決勝にはやはり優勝候補の鬼流星が順当に勝ち上がってきた。控え室でコダマさん、ダイソンと何度も拳をぶつけ合った。もうすぐ優勝に手が届く。胸元で輝く王冠のネックレスに誓った。ハマやん、僕はここまで辿り着いた。大阪のチャンピオンになる。手を伸ばせばそこに栄冠が待っているのだ。ここまできたらもう負けられない。僕が鬼流星を倒すのだ。応援してくれる歩道橋の仲間のために。木霊サイファーを代表して。絶対に負けられない戦いが始まる。

「カグラ君。決勝だ! もう君に何も言う事はない。すべてのスキルを出し尽くせ。ただ目の前の鬼流星を倒すんだ!」

 コダマさんから激励の言葉を貰う。僕の闘志はめらめらと燃え上がっている。もうクラブハウスの天井にまで延焼するくらいに燃え上がっている。このまま鬼流星を火だるまにしてやる。首を洗って待っていろ、鬼流星!

 ついに決勝のステージに上がった。再び鬼流星と対峙する事になった。この大阪予選・決勝の大舞台で。あの時のリベンジを果たしたい。相変わらず鬼流星は肩まで伸びるロン毛とむさ苦しいあご髭をもじゃもじゃと生やしている。僕は右手にゴッパチのマイクをしっかりと握りしめている。ジュンイチさんがマイクを握る。

「ええ~、それでは大阪の王者を決める決勝戦をおこないたいと思います。大阪の王者がこの舞台で決定します。役者は揃いました。決勝の舞台で戦うのはこの2人。まずは並み居る強豪をまったく寄せ付けず、圧倒的な存在感で決勝まで勝ち進んできた鬼流星! そして高校生ながら卓越したスキルで会場のヘッズを魅了したKAGRA! この2名のどちらかが大阪代表となって、優勝賞金10万円と表彰状、並びに今年の年末に開催されます『MCバトル全日本』の東京ドーム本戦に『大阪代表』として出場する権利を得る事ができます。みなさん、準備はいいですか? 大阪のチャンピオンを決める準備はできていますか?」

 竜巻のような歓声がステージまで押し寄せてくる。フロア全体が瀬戸内海の鳴門のように渦巻いている。会場のボルテージは最高潮に達している。

「それでは、決勝戦のルールを説明致します。決勝戦は8小節4本、もしくは16小節2本のどちらかで戦ってもらいます。先攻を選んだ方にどちらかの選択権を与えます、それでは先攻、後攻を決めるジャンケンをおこなってください」

 ジャンケンで僕はグーを出し、鬼流星はパーを出した。

「OK、鬼流星、先攻、後攻どちらを選びますか?」

 鬼流星は

「後攻でお願いします」とマイクを通して言った。

「OK、先攻、KAGRA、後攻、鬼流星で決勝戦をおこないたいと思います。それでは先攻のKAGRAは赤コーナーへ、後攻の鬼流星は青コーナーへ移動してください」

 僕は赤コーナーの定位置に立ち再び右手にマイクを握りしめた。青コーナーには鬼流星が仁王立ちしている。鬼流星と拳をぶつけ合った。鬼流星は獲物を与えられた檻の中の肉食獣のような目つきで僕を睨みつける。僕は目を逸らさずに鬼流星を睨みつけた。お前がたとえ肉食獣であろうと檻から逃げられないのだ!

「待て待て、先攻のKAGRA、8小節4本か、16小節2本のどちらを選びますか?」

 僕はマイクを握りジュンイチさんの方に向かって

「ハチ、ヨンでお願いします」と言った。

「OK、それでは決勝戦は8小節の4本勝負でおこないます。さあ、いよいよ始まりますよ。大阪の頂点を決める戦いが始まりますよ!」

 ジュンイチさんが会場を煽って盛り上げる。DJリアジュウがターンテーブルでキュッキュキュキュ、キュルーンとスクラッチ音を鳴らす。

「DJリアジュウ、まずは音を聴かせてください」

 キュッキュキュキュ… というスクラッチの音と共にビートが流された。ミドル・テンポなリズムのビートだった。これだとリズムの倍でライミングしながら、リズムキープしよう。頭の中でそう作戦を練った。これですべての準備が整った。僕の視線はずっと鬼流星の目に照準を合わせている。レーザーポインターのような視線で鬼流星の目を焼き尽くす。鬼流星も負けじと睨み続けている。お互いが一触即発の状態だ。僕はマイクでえいっ、えいっ、と声を出して声量の調整をした。勝者と敗者が決まる。それは天国と地獄くらいの差がある。すべてのバイブスをここでぶつけるんだ! これが本当に最後の戦いだ!

「OK、MCバトル全日本、大阪予選、決勝戦を始めたいと思います。これで今年の『大阪の顔』が決まります! それではDJリアジュウ、BRING THE BEAT!」




KAGRA

とうとう来たな  冷めやらぬ

お前は  より RHYME

前回お前に負けて俺が だけど今日は魅せたる

俺のRHYMEを発信する 俺らにに魅せたろうや


鬼流星

やはりKAGRAお前が決勝まで上がってきたか 俺も受けて立ってやる

だが新人のお前には俺を倒すのはまだ早い 俺に睨まれたお前は

お前のスキルは俺にまだ全然及ばない 並べたRHYMEは

悪がはびこる そうさ俺が支配する


KAGRA

そうやな俺とお前でやる ダサい試合はせえへん それが

ふざけんなお前が? それ? スキルでお前をする

俺はやってやる お前はただの 

お前今からマイカー見にいってこい 駐禁切られて


鬼流星

安心しろ 俺の車は路上駐車してへん ちゃんと停めてる

でもお前スベッてんで まるでのストーン 切れた

俺とお前の クソガキ お前が負けて呼んでこい

お前は食ってろ お前はだ!


KAGRA

俺はでもできる お前なんてするから! 

そしてもしないお前は 

俺が勝って お前のRHYMEは寒すぎる 

せいぜいやっとけよ お前の優勝は


鬼流星

黙れよヘイター 俺のラップが? お前はそれを

俺には優勝が見えてるんや 浴びせるRHYMEの

お前は家に帰って寝ころんで休んでろ 

KAGRA 残念だったな お前は俺に負けて


KAGRA

アホか 俺は学生やからできへん お前のRHYMEも

そんでお前は お前  俺のラップは

人生は だけど俺はマイクと このマイクに

 お前を KILL YOU SAY  お前は


鬼流星

聞き飽きたぜ お前の お前のマイメンは

俺はどんな状況でも お前は黙れワックMC

まだまだお前みたいなクソガキに負けるわけにはいかない 俺が優勝だ

これはまるで KAGRA お前はここで




 最後までやり切った。あとはもう、判定に委ねるしかない。ジュンイチさんがマイクを握る。

「いよいよ決勝の判定に入ります。先攻、KAGRA!」

 ぐおぉおお… と歓声が沸き上がる。キャーキャー… 歓声は続いている。ミユも両手を挙げて必死に声を出している。会場は巨大な隕石が落下したようなパニックとなる。うわぁあああああ…。多くのヘッズが挙手をして僕を支持してくれている。素晴らしい光景だ。僕は誇らしく胸を張り熱狂的な歓声に応えた。大鷲が羽を広げるように誇らしく。ジュンイチさんが、続きまして、後攻、鬼流星! とコールすると、きゃあああああ… とこちらも大歓声。ほぼ僕と互角のように思える。鬼流星は右手を挙げている。キャーキャー… その挙げられた手は固く握りしめられている。鬼流星は高々と右手を挙げガッツポーズをしているのだ。鬼流星は勝ち誇ったような表情をしている。やはり鬼流星はヘッズからの人気が高い。この壁を越えられないのか? 僕は勝ったのだろうか? 鼓動が速くなっていく。

「まずは鬼流星が1ポイント!」

 負けた…。わずかに及ばなかった。鬼流星にまたも敗北を喫した。決勝の大舞台で負けてしまった。落胆した。うわぁあああああ… 歓声は鳴りやまない。フロアの最後尾を見るとミユは大声で声援を届けてくれている。

 ミユと会えなくなってからの2ヵ月間、僕の心にはぽっかりと穴が空いていた。木霊サイファーを去ってしまったミユの事がずっと心配だった。もうミユとは会えないんじゃないかと思っていた。もう嫌われてしまったんじゃないかと思っていた。だけど、ミユは会場に来てくれた。精一杯の声援を僕に届けてくれる。

 ちゃんと聴こえてるよ、ミユ、失って初めて気付いたんだ、ミユの大切さを。僕はミユの事が好きだったんだ。そんな事もわからなかった。ミユが好きだ。今ならそう思える。

 きゃあああああ… 延長! 延長! 怒号が轟く。フロアが混乱している。会場の熱を冷ますようにジュンイチさんがマイクを握る。

「待て待て。まだ陪審員のジャッジがあるぞ!」

 ふと我に返った。そうか、そうだった! まだ陪審員の判定が終わっていない。まだ戦いは終わってない。頼む、僕に旗を上げてくれ。赤コーナーの旗は赤色だ。赤色の旗を上げてくれ。陪審員… 頼む。アカッ!

「それでは陪審員、ジャッジ!」

 陪審員の方を振り向いた。5人の陪審員が一斉に旗を上げた。バサッと音を立てて赤3本、青2本の旗が上がった。よし、僕は陪審員に救われた。陪審員も味方に付けている。もう怖いものなんてない。ぐぅあああああ… 都市直下型大地震のような、どよめきは止まらない。ジュンイチさんのマイクコール。

「延長! それでは先攻、後攻が入れ替わります。KAGRA、鬼流星、立ち位置を入れ替わって!」

 よし、延長戦にもつれ込んだ。鬼流星は先攻の赤コーナーへと移動した。僕は後攻の青コーナーだ。後攻になれば有利だ。チャンスが巡ってきた。勝利の女神はまだ僕を見捨てていない。

「それではDJリアジュウ、延長のビートを聴かせてください」

 DJリアジュウが黒い円盤を指先で擦り、キュッキュキュ… とスクラッチを入れてからビートを流す。なかなかアップテンポでRHYMEを乗せやすいビートだ。僕の高速FLOWが活かせる。このビートで勝つのだ。ビートが味方してくれている。赤コーナーでは獰猛な肉食獣のような鋭い目つきで鬼流星が睨んでいる。目が血走っている。僕は草食動物じゃない。食物連鎖に負けるもんか。視線を一切逸らさない。目から火花が散っている。ミユ、僕に声を届けてくれ!

「それでは先攻の鬼流星、延長戦を8小節4本で戦うか、16小節2本で戦うか、好きな方を選んでください」というジュンイチさんの問いかけに、鬼流星は

「ハチ、ヨンで」と即答した。

「OK、DJリアジュウ、準備ができたらスクラッチをください!」

 キュッキュキュ… とDJリアジュウが円盤を擦る。

「OK、これで本当に最後の決戦になります。2人とも準備はオッケーか? よし、延長戦を開始致します、DJリアジュウ、BRING THE BEAT!」




鬼流星

でも でも 結び 腫れても 

に写る影も気にしないのように奏でる 

お前のは安物の たどるお前とのバトルは

導く 今夜 俺に微笑んでくれや 勝利の女神 


KAGRA

お前には微笑まない  お前のラップに

送りつけてやる 俺は 俺は お前

俺のスキルに 勝機が お前は客に  

お前は牙の折れた 俺がお前の心臓を撃ち抜く


鬼流星

クソヤロー KAGRAのラップは まるで不安定な

俺はで魅せる お前はでのらりくらり

お前は歩道橋でサイファーして 帰りはいつも

KAGRAはもう廃品だ 持っていけ


KAGRA

俺の歩道橋のラップは そしてお前は

輝きはこの瞬間 この お前は 俺は夜空に輝く

実らへん恋もあった それも  だけど俺は今夜輝く

旋回する お前は俺に食われる お前の鼻


鬼流星

お前をで に沈める 俺はビート上で舞う

黙れ! お前が? にしてるのは俺も同じだ!

決勝で俺に当たった事を 

くたばれ! 便 お前を決勝の舞台で 


KAGRA

俺が勝つから 逆にお前を 俺がこの最高のステージで残す

俺はいつも自分に言い聞かす 俺は

鬼流星聞いてやろうか? お前の 優勝? それは 

ここで殺してやるぜ お前にぶちカマすぞ! 


鬼流星

サ、サ、ルモネラ菌だと? ふざけやがって ぐ、あ、殺してやるぞ

このクソ新人ヤロー ワックMC 噛んでも 俺は

おい! お前はよく頑張ったな だけど俺が魅せつける

今夜 お前は俺に負けて ここで燃え尽きる


KAGRA

 で勝つ お前が燃え

お前  お前は決勝で ハズレ引く

塞がらないぜ だけどここが ヒップホップは

俺を育ててくれた仲間に感謝! これが これが




 最後のバースで鬼流星は珍しく呂律が回っていなかった。その一瞬の隙を見逃さなかった。完全に鬼流星を捕獲した。そして魂の叫びを込めた渾身のラップを叩き込んだ。もう悔いはない。判定を待とう。

「それでは延長戦のジャッジに入りたいと思います。今のうちに陪審員の皆さんも、どちらに旗を上げるか、決めておいてください。これで決まります。まずは先攻、鬼流星!」

 きゃあああああ… あれ? 歓声が少ない。どうしたんだ? 挙手も少ない。これはもしかしたら…。鬼流星はさっきと同じように高々と右手を挙げてガッツポーズをしているが、フロアの空気は白けていた。

「後攻、KAGRA!」

 どぐぅおおおおおおお… 地鳴りのように地を這うような歓声と、会場中のほとんどのヘッズが僕を支持して両手を挙げている。ペルセウス座流星群が降ってきたように会場が歓喜に舞い上がった。それは素晴らしい光景だった。会場中のほとんどのヘッズが無名の僕を支持してくれている。歓喜に沸く声援。胸を張って受け止めた。それはコーラの弾ける炭酸を全身で浴びるような爽快感だった。

「まずは、KAGRAに1ポイント!」

 よし、いける! さあ、陪審員、旗を上げてくれ。今度は青い旗だ。これですべてが決まる。これで最後だ! 本当に最後だ! 僕を支持してくれ! お願いだ、陪審員! 陪審員の方を凝視した。神経を研ぎ澄ます。

「それでは、陪審員の皆さん、旗の準備をお願いします。陪審員、ジャッジ!」

 ジュンイチさんの合図と共に一斉に旗が上がる。青、青、青、青、青。満場一致だ!

「MCバトル全日本、大阪予選の王者は初優勝のKAGRA! KAGRAが今年の大阪予選のチャンピオンになりました! みなさん、KAGRAに盛大な拍手を!」

 会場全体が揺れ動くような歓声と拍手に包まれた。認められたんだ。頂点に立ったんだ。惜しみない拍手が会場を温かく包んでくれる。みんなが僕の優勝を喜んでくれている。今まで何も取り柄がなかった僕を、みんなが温かい拍手で支えてくれる。敗れた鬼流星と拳をぶつけ合った。鬼流星は悔しそうな表情を浮かべながらステージを去っていった。その背中はとても小さく見えた。

 ミユが涙を流して喜んでくれている。ミユ、ありがとう。ミユ… 僕はミユの事が好きだ。ミユが愛しい、今すぐステージを飛び降りて走り出したいくらいだよ。ミユを愛している。

 大きく手を振って観客の声援に僕は応える。右手首の青いブレスレットが揺れている。プラスチック製の偽物のブレスレット。だけど僕にはどんな高価な宝石よりも美しく見える。

 ジュンイチさんから、優勝賞金10万円の入った封筒を渡された。そして表彰状を読み上げ、授与された。この表彰状が今年の年末に東京ドームで開催される『MCバトル全日本』の本戦への切符だ。大阪代表の座を射止めた。勝利の女神は僕に微笑んだのだ。もしかしたら、その女神はマリア様だったのかも知れない。

 もう一度、会場の最後尾を見た。ミユが満面の笑顔を見せる。ストリートに咲く名もなき花のような美しい笑顔だ。真珠のような白い歯を見せる。ミユが大きく手を振ってくれる。そのミユの手首にもピンク色のブレスレットが光っている。フロアの照明を反射して鈍く光っている。偽物なんかじゃない。紛い物なんかじゃない。僕には本物に見えるよ。ミユが本物に見える。

 世界は虚構にまみれている。このプラスチックのように現実味を帯びないアンダーグラウンドの世界。光なんて無いと思っていた。だけど、そんなプラスチックで構築された世界の中でミユは本物の光を放っている。ミユを信じる事ができる。もしかしたら、勝利の女神はミユだったのかも知れない。ありがとう、ミユ。この優勝をミユに捧げるよ。

 ようやくここまで辿り着いたよ。ずいぶん遠い道のりだったかも知れない。もしかしたら遠回りをして、ここに辿り着いたのかも知れない。でもこの山の頂きから見渡す眺望は僕の一生の宝物だ。マイク1本で夢を掴み取った。あるがままに僕はビート上で歌い続けたのだ。

 これが僕のヒップホップだ。これが僕の歩んできた道だ。そしてこれからもこの道を歩み続けるのだ。生きていく道を切り拓いていくために。さらなる高みへと羽ばたくために。ゆらめきながら空を舞う蝶のように。

 

 ジュンイチさんがマイクを握った。

「待て待て。チャンピオンのKAGRAに、このまま賞金を持って帰らすわけにはいかないぞ、それでは新しいチャンピオンのKAGRAにウィニング・ラップを歌ってもらおうかな?」

 再び会場が爆発した。まるで新型ロケットが打ち上げられたような歓喜で大騒ぎする。ヘッズたちが手を振っている。誇らしきマイメンだ。ジュンイチさんが

「KAGRA、ビートは何がいい?」と僕に問いかけてきた。僕はSOUL SCREAMの「蜂と蝶」でお願いします、と伝えた。ジュンイチさんとがっちり握手をした。

「OK、それではチャンピオンのKAGRAにウィニング・ラップを歌ってもらうぞ! ビートはSOUL SCREAMの『蜂と蝶』で。DJリアジュウ準備ができたらスクラッチをください」

 キュッキュキュ。スクラッチ音に続き「蜂と蝶」が流れてくる。そのリズムに乗りながら再び右手にゴッパチのマイクを掴んだ。そして僕は蝶になった。




HEY YO 小さい頃 なんの取り柄もなかった俺が

ヒップホップに出会って人生が変わった

母親を亡くした 実らへん恋もあった 仲間が逮捕された

それでも俺は歩道橋で歌い続けた


俺は絶望から トーナメントを

そして優勝して会場が歓声に

俺にはヒップホップをやる

だからみんなの声援を無駄にしたくはないんだ


これから俺が目指すのは

そのために俺は羽ばたくのさ 

人生すべてが にいくはずがないのはわかってる

それでも俺たちは 歩んでいくのさ


毎週 土曜日 歩道橋のサイファーは

でもヒップホップの夜明けは 

俺はそう信じている だが俺は いまだ

いつまでも俺はストリートに それだけを




「おめでとう! 本当に、本当に素晴らしいチャンピオン、優勝した大阪代表の王者、KAGRAにもう一度、みなさん盛大な拍手を!」

 ジュンイチさんはそう言いながら泣き崩れた。温かい拍手に包まれた。涙とどよめきと歓喜の渦巻く混沌の中で、会場全体がひとつの生命体となった。その熱狂的な渦の中心に僕がいたのだ。





 ほとぼりも冷めやらぬクラブハウスを後にした。夜中の11時を過ぎていた。手にはしっかりと表彰状と優勝賞金を握りしめている。これがチャンピオンになった証だ。コダマさんとダイソンが追いかけてくる。

「待ってくれよ、どこに行くんだよ、カグラ君。これからカグラ君の優勝パーティーでもやろうかと思っているんだけど、どうする?」

「いえ、コダマさん、ありがとうございます。でも僕には行かなければならない場所があるんです。僕が今、向かうべき場所です。コダマさん、ダイソン、一緒に行きましょう」


 その夜、いつもの歩道橋の上で僕はコダマさんとダイソンと一緒にサイファーを続けた。とっくに終電もなくなっていた。辺りはさっきまでのクラブハウスの輝きとは真逆の深い暗闇に包まれている。

 星がひとつも見えない都会の夜空の真下。それでも僕らは歌い続けた。いつまでも歩道橋の上で歌い続けた。高らかな声で歌い続けた。その歌声は風に乗って、どこか遠くへ運ばれてシャボン玉のように消えていく。消えてなくなる儚い音楽。誰かの耳元に届けるために歌っているのではない。それでも、僕らはただひたすらに音楽に情熱を注ぎ歌い続けた。瞬間が生み出す美しさを求めて。ここが出発点なんだ。ここが原点だ。僕には歌い続ける事しかできなかった。

 どれくらいの時間、歌い続けたのかもわからない。うっすらと夜が白んでいく。コダマさんが呟いた。

「ほら、夜明けがやってきたよ」

 振り返ると遠くの方のビルの隙間からゆっくりと太陽が昇ってくるのが見えた。太陽が空を支配しようとしている。太陽が街全体を従えようとしている。光り輝く夜明けだ。ヒップホップの夜明けだ。眩い夜明けの太陽の光に僕は目を細めた。その光はやがて歩道橋を照らすだろう。そして光のある場所へと導くのだろう。それでも僕らの歌声が途絶える事はない。

 この歩道橋がある限り。

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