第14章 EXTINCTION

 スマートフォンのバッテリーが切れて画面が真っ黒になった。ついに0%になったのだ。時刻すらわからなくなってしまった。夜が明けるとお母さんの遺体は病院の霊安室に安置された。ナースによってエンジェル・ケアが施されている。家庭の事情に詳しい病院の職員と相談し、身寄りのない僕のために特別な配慮をしてもらう事になった。そして葬儀社に連絡を取ってもらった。

 昼過ぎになり、病院に霊柩車が到着した。病院の霊安室に葬儀社の社員が2名と僧侶がやって来た。そして僧侶に霊安室で御経を上げてもらった。お母さんには身内なんて息子の僕しかいなかったので、通夜なんてものはなかった。簡素な葬儀だ。

 読経が終わると葬儀社の社員によって納棺の作業が進められる。お母さんの遺体は棺桶の中に納められた。そして社員によってお母さんは死に装束を施され、棺桶は鮮やかな花々で飾られた。棺桶の中で眠るお母さんは、まるで生きているかのように安らかな顔だった。僕はいつも世話になっていたスギヤマ医師やナースに

「お世話になりました」

と言い、深々と頭を下げた。そして病院を後にすると、そのまま葬儀社が用意した霊柩車に棺桶は運ばれて、僕は助手席に座った。霊柩車は火葬場へと向かった。

 15分くらい霊柩車が走ると火葬場に到着した。火葬炉の前で棺桶が安置されて、僧侶の読経と焼香がおこなわれた。僧侶が念仏を唱えている間、両手を合わせお母さんの冥福を祈る。どうかお母さんが天国で幸せに暮らせますように。そう祈りを捧げた。

「何か棺桶に一緒に入れるものはないでしょうか? お母さんとの想い出の品とか、記念になるものとか。お母さんとの最期のお別れとなりますので…」

 葬儀社の社員から言われたので、いろいろ思考を巡らしたが、急な葬儀だったので何も持ち合わせておらず、結局、棺桶の中には何も添えてあげる事ができなかったのだ。

 一頻りの儀式が終わると火葬場の職員によって、お母さんの遺体が納められた棺桶は火葬炉の中へと運ばれた。


 火葬場の職員に控え室で待つように言われ葬儀社の社員と一緒に並んでベンチに腰を下ろした。さすがに僕もほとんど昨日から寝ていないので疲れ切っていた。

 職員から伝達があり、数分経過すると火葬場からお母さんの遺骨が引き上げられた。小さく砕けてしまったお母さんの遺骨を竹で拵えている御骨箸で、慎重に拾っていく。こういった一連の流れが初めての経験だったので、葬儀社の社員に手伝ってもらった。そしてお母さんの遺骨は小さな骨壺に収骨された。





 葬儀社の車で送ってもらい自宅に到着した。手には布で包まれたお母さんの魂が宿った骨壺をしっかりと持っていた。もう夕暮れの時間だった。

「ありがとうございます、お世話になりました」

と葬儀社の職員に頭を下げた。

 お母さんのいなくなった家は廃墟のように静まり返っている。そんな空気を吸っただけで胸を締めつけられる。どこに骨壺を置けば良いのかもわからなかった。とりあえず愛用しているデスクトップ・パソコンの隣りに骨壺を置いた。その横にミユと一緒に撮ったプリクラ写真を並べた。それからバッテリーの切れてしまったスマートフォンを充電器に挿した。

 溜まっていた疲れがドッと押し寄せた。倒れ込むようにベッドに寝転がった。とにかく僕は疲れている。疲れ過ぎた。もう涙も枯れ果ててしまったのかも知れない。いろいろな出来事がいっぺんに訪れた。昨日まで輝いて見えていた世界が、嘘のように思えてくる。さっきまで幻想的に揺らめいていたキャンドルライトの炎が燃え尽きたように、一瞬にして奈落の底に転落してしまった。

 何もかも見失ってしまった。もう疲れてしまったのだ。目標すらも見失っていた。途方に暮れてしまった。お母さんを亡くして、本当にどうすればいいのかわからなかった。身内がひとりもいなくなってしまった。高校生にして天涯孤独になってしまったのだ。

 これから社会に出る時に一体、誰に相談をすればいいのかわからない。これからどうやってひとりで生活をしていけば良いのだろうか。これからどうやって生きていけばいいのかもわからなくなってしまった。地下鉄の車内に置き忘れられたビニール傘のような気分だった。

 何もかもが遠ざかっていく。僕が大切にしていたものがどんどんと遠ざかり消えてしまうんだ。考えれば考えるほど、何もかもが億劫に思えてきた。

 全身が震えている。布団に入り寝込んでしまった。震えが止まらない。僕はどうしてしまったのだろう。本当に頭がおかしくなりそうになっていた。布団の中でガタガタと震えていた。生きていく事が恐怖に感じてくる。絶望に打ちのめされた。逃げ出したい。この現実から僕は、ただ逃げ出したいんだ。布団にくるまりながら、強烈な睡魔に襲われる。僕はいつの間にか眠りについていた。





 お母さんが亡くなってから、学校に行かなくなってしまった。学校には

「母が亡くなったので、しばらく休みます」

とだけ連絡を入れた。ずっと家で寝込む日々が続いていた。一日の大半をベッドの上で過ごす毎日を繰り返している。もうこんな日々がどれくらい過ぎたのだろう。いつまでこんな日々が続くのだろう。顔を横に向けると、学習机の上にあるデスクトップ・パソコンが見える。その隣りには、お母さんの遺骨の入った骨壺が布に包まれたまま置かれている。それを見るたびに涙ぐむ。

 お母さん、僕はこれからどうやって生きていけばいいの? 問いかけても骨壺は沈黙を保っている。突然、スマートフォンの着信音が鳴り響く。電話に出るとコダマさんだった。

「ああ、もしもし、カグラ君? コダマだけど。また次の木霊サイファーを土曜日の夜7時くらいからやろうと思っているんだけど来れそうかな?」

「すみません、コダマさん… この前は突然、帰ったりして… あの件はすみません。本当に申し訳ございません。実はあの土曜日の、次の日曜日、母が自宅で倒れてしまいまして… そのまま病院で亡くなってしまったんです」

「そ、そうだったのか、カグラ君… 大変な時期に申し訳なかった、すまないねぇ。カグラ君にはお母さんしか家族さんがいなかったからね… 相当なショックだと思う、申し訳ない」

「…いえ、いいんです… 声をかけて頂いただけでもありがたいです… いつもお気遣い頂いてありがとうございます。僕はもう… どうしていいのかわからなくて…」

 コダマさんの声を聞いて泣き出してしまった。鼻を啜りながら泣いてしまった。もう最近、毎日のように泣いているじゃないか。

「カグラ君? もしもし? カグラ君? 聞こえるか? もしかして泣いているのかい? 頑張らないとダメだぞ。強い気持ちでしっかりしないとダメだぞ、カグラ君。君が前を向いて生きていかないと、天国のお母さんもきっと悲しむよ。カグラ君には、たくさんのサイファーの仲間がいるじゃないか。きっと仲間たちが君の支えになるはずだ。また、元気になったらサイファーに来てくれよ、なぁ」

「すみません、コダマさん、ご迷惑をおかけしまして… ただ… 次のサイファーは休ませてもらいます…」

「わかった。みんなには伝えておく。ただ『MCバトル全日本・大阪予選』が今月末に迫っているから、それまでには体調を整えて、しっかりフリースタイルの練習をしておくんだぞ、元気出すんだぞ!」

「…はい。なんとか調整してみます… ご迷惑おかけします、すみません… それでは失礼致します」

 スマートフォンを置くとベッドに大の字で寝転がり天井を仰いだ。溜息をついた。今、僕は何をすべきなのだろうか? 一体、これからどうやって生きていけばいいのだろうか。もうフリースタイル・ラップも辞めようかな… あれだけ情熱を注いでいた木霊サイファーも遠い昔の事のように思えた。ミユもいないし、ハマやんもいない…。それに… お母さんだって…。

 みんなが遠ざかっていくように思えた。誰も使わない田舎町の廃れたバス停になってしまったような気分だった。誰も僕の目の前で留まろうとしない。みんなを乗せたバスは目の前をいつも通り過ぎていくんだ。そしてまた僕はひとりぼっちになるんだ。

 僕はヒップホップをやり続ける価値があるのだろうか…。もしも、お母さんだったらこんな時、なんて声をかけてくれるんだろうな…。再びデスクトップ・パソコンの横にあるお母さんが納められた骨壺を見た。

 もう、お母さんはいないんだ。この世から去ってしまった。お母さんも通り過ぎていった。お母さん、あまりにも早すぎるよ。もっとお母さんに教わらなきゃいけない事はたくさんあったはずなのに…。なんでこんなに早く、この世を去ってしまったんだよ。なんで、あの時、お母さんの意識が回復しなかったんだよ。もしもドラマとか小説だったら、最後は意識が回復してハッピーエンドを迎えるはずじゃないのか。神様なんていないんじゃないのか。僕の目の前にはマリア様は現れなかった。なんであんなに優しかったお母さんを天国に連れていったんだよ。神様は残酷過ぎるじゃないか。

 もっといっぱい写真を撮っておけば良かった。もっといっぱい想い出を作っておけば良かった。なぁ… お母さん。お母さんだって、きっとそう思っているはず… いけない… お母さんを思い出すとまた涙が止まらなくなる。こんな気分じゃラップなんてできやしない。

 御飯を食べる気力さえ失せてきた。僕はもう… このまま消えてしまうんだろうか。もうこのまま消えてしまった方がいいんじゃないだろうか。もう死んでしまいたい。僕には生きている意味がない。僕は死ぬんだ。そうさ、死んでやる。僕は狂ってるんだ。ああ、イカレてるんだ。壊れたオルゴールのように狂ってるんだ。イカレたメロディを奏でるんだ。死んでやるよ。

 

 ベッドから飛び起き、ベランダに走っていった。3階のベランダから地面を見下ろすと、引力で吸い込まれそうになる。ここから飛び降りたらラクになれるのだろうか。3階くらいの高さだったら、怪我をする程度で死ねないのだろうか。そんな事、実際に飛んでみないとわからない。僕は鳥になるんだ。大空を羽ばたいていくんだ。僕は死ぬんだ。ここから飛び降りてお母さんが待っている天国へ行くんだ。僕の呼吸は荒くなっている。待っててくれ、お母さん。今から僕もそっちに行くから。僕はベランダの柵に手を掛けた。

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