第7章 PUBLIC ENEMY

 「バトル・コロシアム第11章」が心斎橋のクラブハウスで開催された。優勝賞金10万円と会場のオーディエンスからの最大のプロップスを掴み取る為、会場には64人にも及ぶ関西屈指のMCたちが集結した。1回戦から8小節3ターン制で試合がおこなわれるトーナメント式の大会だ。決勝は8小節4本となり、勝敗は観客の声援と挙手の量で判定される。つまり観客が審査員なのだ。観客の声援と挙手が同量の場合は、DROWとなり延長戦になる。延長戦はビートをチェンジして同じく8小節3本でおこなう。


 控え室で僕、コダマさん、ハマやん、ミユ、ダイソンの5人の木霊サイファー軍団が集結した。

「お互い力を出し合おう!」

 コダマさんがメンバー全員を鼓舞した。1回戦が始まり会場内から大きなどよめきが沸き上がった。砂埃を巻き上げるような大歓声だ。MCネームを呼ばれたMCたちがステージに上がった。試合が終わると、勝者と敗者が控え室に帰ってくる。試合が進んでいく。

「続きまして、次の対戦はBUSTA DOG a.k.a.ハマやん、対するのはMC ポリリズム、ステージへどうぞ!」と司会者がコールする。

「おい、ハマやん、出番だぞ!」

 コダマさんがハマやんの背中を叩いて送り出した。僕もハマやんに声をかける。

「ハマやん、頑張ってくださいね、勝ってください! 僕はハマやんに憧れてサイファー始めたんですから。絶対に勝利を掴んでください!」

 そう言ってからハマやんと拳をぶつけ合わせた。


 ステージ上で熱戦が繰り広げられた。ハマやんの的確なDISとアンサー、言葉の重みがあるパンチラインがヒットして対戦相手を圧倒した。ハマやんのバイブスが会場を飲み込んだ。控え室に大きな歓声が届く。ハマやんは見事に初戦を勝利で飾ったのだ。

 控え室にハマやんが戻ってきて熱い抱擁を交わす。木霊サイファーのメンバー全員でハマやんの勝利を祝福する。ハマやんはみんなに

「ありがとう」と言って拳をぶつけ合わせた。

 司会者が次の対戦の名前を読み上げる。

「続きまして、KAGRA、対するのは鬼流星、これは面白い試合ですね」

 フロアからウォーという歓声が聴こえてきた。ミユが僕の目を見つめる。

「ええ~、初戦から鬼流星が相手なん? カグラ、大丈夫?」

 ミユは心配そうな表情を浮かべながら声をかけてくれる。

「うん、大丈夫だよ。全力で戦ってくるよ!」

「せっかくの初バトルやのに、初戦が鬼流星なんか、マヂでテンション下がるわ。カグラが心配やわ」

「ミユちゃん、心配しなくてもいいよ。いずれトーナメントのどこかで当たるんだから。初戦に強いヤツと戦って自分の力を試したいよ。どこまで自分ができるのかをね」

「うん、カグラ、あたしがめっちゃ応援するから。ほんまに頑張ってや。あたしはカグラのラップがカッコいい、って思ってるんやから、あたしが応援してんねんやから絶対勝ってきてや!」

「ありがとう、ミユちゃん」

 ハマやんも金のネックレスをじゃらじゃらと鳴らしながら、僕の肩を叩き励ましてくれた。

「初めてのMCバトルだ。頑張ってこい! お前の生き様を魅せたれや! お前のヒップホップをステージ上で表現してこい!」

 ダイソンも黒ぶち眼鏡のフレームを触りながら応援してくれる。

「相手に不足はなーいね。全力で戦ってー!」

 そして最後にスーツ姿のコダマさんが

「君のスキルだったら鬼流星を倒せる。カグラ君! 君が鬼流星の首を狩ってこい!」と言って背中をポンッと叩き僕をステージに送り出してくれた。


 初めて立つステージに足が震えた。目の前には鬼流星がいる。長髪とむさ苦しい髭を相変わらず蓄えている。ステージ上で鬼流星が獲物を狙う肉食獣のような目で睨みつける。僕も負けじと鋭い眼光で睨み返した。このむさ苦しい髭と髪の毛をぶった斬ってやる。ジャンケンの結果、鬼流星が勝ち後攻を選んだ。僕が先攻となった。司会者がマイクを握る。

「それでは試合を始めます、先攻、KAGRA  VS  後攻、鬼流星、BRING THE BEAT!」




KAGRA

YOYO俺はMCバトルの でもマイクを握れば

俺はお前の首狙ってるぜ お前の目を睨みつける

殺してやるよ よく見ろお前の足元に その周りに

これがヒップホップだ これが挨拶代わりの


鬼流星

おい 何が? サイファー上がりのヤツにはうんざりだな

お前らがつるむのはただの 俺のラップなら響き渡る西

俺は良い 好感度得る調 つまり弱点も 

お前の前に立ちはだかる 俺がライオン


KAGRA

クソヤロー お前が? だったら俺は再稼働する

お前ダサいな 俺がこのままの 制すこの

つまり俺が制してやるわ この大会の

お前のパンチは! お前はもうすでに始まってるぜ! 


鬼流星

のRHYMEで俺が制する お前が勝つのは

お前に見せてやる  お前にはさせない

俺がフリースタイルの お前は? くそダセぇぞ! ヘイター!

俺はこの大会の ポルシェに乗ってまっすぐ走るぜ 勝利へと続く


KAGRA

黙れワックMC! お前が? お前が勝ったら ただの

俺はで やって お前の家に行って火をつける

入っておけ ついでに用意しとけや 

そうさ俺はレペゼンMC お前は初戦敗退して帰れや


鬼流星

お前は俺にとっちゃ ステージで倒れて RHYME

乗りこなす 残念だったな いや

放火したら のお前はは諦めてでも

にでも行ってゴミ拾いやって これで最後だ食らえ! 




 白熱のバトルが終了した。はぁはぁ、と肩で息をしていた。心臓が破裂しそうなくらい緊張している。いよいよジャッジの瞬間。司会者がマイクを握る。

「それでは、ただ今の試合のジャッジをします。どちらか勝ったと思う一方にデカい声援と挙手でお願いします。公平なジャッジでお願いします。自分の心の中で、どちらか一方を決めてください。決まりましたか?」

 会場がオオォーと大歓声に包まれる。僕の鼓動が耳の奥にまで響いている。

「それではジャッジ、先攻KAGRA!」

 うぉおおおおお… という歓声と多くの挙手で観客が僕を支持してくれた。見渡す限りのヘッズが高々と手を挙げている。こんな知名度もない初心者の僕でも公平にジャッジしてくれるんだ。もし誰も手を挙げなかったら、どうしよう、と思っていた。こんなにたくさんの声援を送ってくれた事に感謝したい。みんな、ありがとう。続いて司会者がコールする。

「後攻、鬼流星!」

 わぁああああ… うぉおおおおお…。鬼流星にも多くの手が挙がり、張り裂けるような声が届けられる。やはり鬼流星の人気は凄まじい。どっちが勝ったんだろう… 緊張が走る。拳をしっかりと握りしめ歓声に耳を傾ける。手のひらは汗でびっしょりだ。

「う~ん、ジャッジが割れてますね、みなさん、もう1回聞きますね、おっきな声援と挙手でお願いします、それでは先攻KAGRA!」

わぁああああ… きゃああああ… と大きな声援を送ってくれる。でもさっきよりも声援が少なく感じる。

「後攻、鬼流星!」

 うぉおおおおおオオォー… オオォーきゃあああ… 男女入り混じった歓声が響く。オオォーオォーオオォー…わぁああああ…。フロア中の観客が手を挙げている。キリューセー、キリューセー、とコールが沸き上がる。大歓声だ。会場中の声援が鬼流星への追い風となっている。そして判定が下されてしまう。

「勝者、鬼流星!」

 その瞬間、僕のバトルは終わった。負けた。負けてしまった。ガクッと肩を落とした。視線を上に向けると鬼流星と目が合った。鬼流星と拳をぶつけ合わせた。鬼流星が耳元で囁く。

「なかなかやるじゃないかカグラ、また『MCバトル全日本』の大阪予選の舞台で会おう」

 そう言い残し、鬼流星はステージを去った。僕も逃げるように控え室へ戻った。


 控え室で木霊サイファーのメンバー全員が出迎えてくれた。よく頑張ったじゃないか、良かったよ、みんながそんな声をかけてくれた。

「鬼流星をあそこまで追い詰めるなんて凄いやんか! 誇りを持てよ! この悔しさをバネに這い上がっていくのがヒップホップやろが!」

 そう言ってハマやんが僕を励ます。

「凄いカッコ良かったよ、鳥肌が立つくらいやわ。カグラが凄い殺気立ってるんが伝わったわ、全然負けてなかったよ、ええ勝負やったよ」

 ミユも僕を慰めてくれる。

「うん、ほんとーにどっちが勝ったかわからーんくらい、いい勝負だったーよ」

 ダイソンも僕の肩をポンと叩く。そしてコダマさんも

「力を出し切ったな。よくやった。勝ち負けの事は気にするな。ちゃんと自分のスタイルを貫いたんだから大丈夫だ! カグラ君はもう立派なMCだ! 鬼流星と互角だった。良い試合だったぞ!」と言ってガッチリと抱きしめてくれる。

 だけど僕の心は沈んでいる。言葉にならなかった。もう心の火種は消えてしまった。背中を丸めたまま控え室の隅っこの方で床に座り込んだ。控え室の空気が重苦しく感じる。段ボール箱の中に閉じ込められたような気分だった。このままガムテープで梱包して、どこかに発送してくれ。


 その後も次々と試合が進んでいった。ミユも初戦で敗退した。それからダイソンも初戦で敗退した。初戦を勝利で飾ったハマやんも2回戦で敗退した。コダマさんは順調に勝ち上がったが準決勝で鬼流星に当たり敗北を喫しBEST 4で敗退した。結局そのまま鬼流星が優勝し大会の幕が閉じたのだ。





 真夜中の三角公園の階段にミユとふたりで並んで座った。他の3人は大会が終わるとすぐに帰ってしまった。夜の三角公園は静寂に覆われている。今日はサイファーをやっていなかった。辺りはしんみりと静まり返っている。僕はずっと黙って俯いていた。耳元で蚊がぶ~んと飛び耳障りな音を立てる。途方に暮れた。沈黙が続いた。三角公園の照明灯が公園の中央を照らすが、階段の辺りには光が届かず薄暗い。周囲の商店も店を閉めて、暗闇が支配している。沈黙を切り裂くようにミユが口を開いた。

「ねぇ、カグラ… 元気出してよ」

「うん…」

「カグラすっごいカッコ良かったよ…」

「でも… 負けちゃったから… カッコ悪いよ…」

 遠くの景色をぼんやりと見つめている。だけど、僕の目には何も映ってはいない。なんの変哲もない闇の一点を見つめているだけだ。

「ううん、そんな事ないよ、カグラ、めっちゃ輝いてたやん…」

「でも悔しい… あいつ、木霊サイファーの事、馬鹿にしてたな…」

 鬼流星の目が忘れられない。あの肉食獣のような目だ。あの眼力に飲み込まれてしまったのだ。

「カグラ… つるむ… なんだっけ?」

「わからない…」

「なんか最後、破壊光線も撃たれたやんなぁ」

 鬼流星の勝ち誇ったような目。あの目が再び頭の中に蘇る。髪を掻き毟り、そして手で顔を覆い隠すように俯いてしまった。

「勝ちたかった… 鬼流星には勝ちたかった…」

「そんなん初めての大会やから仕方ないやん。コダマさんだって鬼流星に負けてしまってんやから…。あたしだって1回戦負けやし。ダイソンかって…。悔しいのはみんなおんなし、やし。運が悪かったと思いぃや、初めての大会でいきなり鬼流星と当たるなんて… そりゃ鬼流星の方が知名度あるし… 運が悪かっただけやって…」

「…そう思いたいけど… 情けない…」

「あたしだってわかるよ… カグラの気持ちが… だってカグラは誰よりも熱心に練習してたもん。あたしは知ってるよ、カグラが誰よりも練習してるんくらい知ってるよ、でもな、あんなにたくさんのお客さんが、まったく無名のカグラにあんだけ声援を送ってくれてたやんか… それだけでも凄い事やと思うよ」

 夜のアメリカ村は昼とは違い人通りもない。たまに小型のトラックが通りを走っていく。湿っぽい空気だけが昼間の賑わいの名残をとどめている。

「うん… 確かに嬉しかった… それにステージに立てて興奮した」

「良かったやん… カグラはもうみんなから立派なラッパーやと認められたんやよ」

「認められる? 僕が?」

「そうやで」

 今まで誰にも認められた事なんてなかった。何かで成功したなんて経験もなかった。だけど今日はあんなに多くの観客が僕の事を支持してくれた。その事にはとても感謝している。だけどあくまでも勝負の世界。敗者が何を言ったところで言い訳にしか過ぎない。僕はやっぱり負け犬なんだ。レペゼン負け犬だ。

 ミユの方を向くと目が合ってしまった。ミユのぱっちりとした目が暗闇でも明瞭に見える。目がやけにキラキラと輝いている。

「ねぇカグラ…」

「何? ミユちゃん?」

「今度、一緒に遊びにいこう、学校終わってから」

「え…」

「そう、…んと、あたしとカグラ、2人だけで!」

「ええ… 2人で… ミユちゃんと?」

 ミユは僕の顔をじーっと見つめている。恥ずかしくなって思わず目を逸らしてしまった。でもミユの目がそんな僕の視線を迎撃ミサイルのように追いかけてくる。

「ええやん別に。同いなんやし。そやろ?」

「え~ それはそうだけど… 確かに同い年だけど… でも、もうすぐ期末テストもあるし… ミユちゃんだって勉強しないといけないでしょ?」

「わかった、そしたら期末テスト終わってからでええよ。夏休みに入ってからでええやん。夏休みに入ってから…」

「えぇ… ミユちゃん、どこか行きたいところでもあるの?」

「ん~ そうやな… あ、そうや! ユニバいこ!」

「えぇ… ユニバってUSJの事?」

「そう、ほら、ハリー・ポッターとかあるやん、楽しそうやん、あたしあんなところ行った事ないしな、連れてってや」

 はぁ、USJって遊園地みたいなところだろう… ハリー・ポッター? はぁ… あんな人混みの多いところに行きたくないなぁ… なんかカップルが多そうで嫌だなぁ… そもそも女の子と2人で行く自信がないなぁ…。

「う~ん… ミユちゃん… 僕、あんまり気が進まないなぁ… 僕、乗り物とか苦手だし…」

「え~、じゃあさ、カグラさぁ、考えといてよ。宿題やで! あたしはどこでもええから」

「うん… わかった。考えてみるよ。また夏休みが近付いたらミユちゃんにLINEするよ」

「うん、約束やよ、絶対やで」

「うん」

 ミユはすくっと立ち上がって、お尻の砂をパンパンと手で払いながら

「一緒に帰ろ」と言った。

「ほら駅まで一緒に歩こ。カグラ、もうすぐ終電の時間やで」

 ミユと肩を並べて一緒に駅までの道のりを歩いた。夜のアメリカ村は僕たち以外、誰も歩いていなかった。お互い無言のまま歩いた。じめじめとした湿気を含んだ空気が辺りを包み込んでいる。少し歩いただけでも汗ばむ。突然、僕のTシャツの裾を引っ張りながらミユが口を開いた。

「なぁ、カグラ。手ぇつないでいい?」

「ええっ?」

 急に何を言い出すんだろう、ミユは…。返答に困り口ごもってしまった。

「いいやん、別に、誰も見てひんねやし」

「え、あ、あ、あの、僕、女の子と手をつないだ事なんてないし…」

「そうなん? だったら、つなごっ」

 そう言ってミユは僕の手を強引に握りしめた。

「あ、ちょっと待って!」

「ん? どうしたん?」

「いや、あの、すっごい、僕ね、手に汗かいてるから… ちょっと待って」

 ジーパンの後ろのポケットに手を擦りつけて、汗を拭く。そして、もう一度しっかりと手をつなぎ直した。ミユの手はとても小さくて柔らかかった。僕が緊張しているのかミユの手は冷たく感じる。ひんやりとしてとても気持ちが良かった。ミユは僕の顔をじーっと見つめながら嬉しそうに、にこやかに微笑んでくれる。僕の心の中で何かが大きく実り始めようとしていた。やがて甘い香りを放つまでに実っていくのかも知れない。何かが大きく実っていく。でもそれが、何かはわからなかった。僕たちは駅までと続く道のりを、手をつないで寄り添うように歩いた。カットメロンのような緩やかなカーブを曲がりながら駅へと向かった。心のわだかまりを溶かすように、優しく凪いでくれる感触を手のひらに確かめながら、僕たちは駅へと向かったのだ。

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