第3章 SPRING SUNLIGHT

 4月に入り高校3年生になった。教室の窓から見える桜の花が満開に咲き誇り、それぞれの花びらが共鳴するように春の訪れを喜んで迎え入れる。休み時間になると女子たちのケラケラと笑う楽しそうな声があちらこちらから聴こえてくる。クラス替えがおこなわれたばっかりだというのに、なんで他のみんなはそんなにすぐに仲良くなれるのだろう、と不思議で仕方がなかった。

 同じクラスにオカザキというクラスメイトがいる。彼は学校で一番のイケメンで、女子の間からも人気があった。肩まで伸びる彼の長髪は歩くたびにサラサラと靡く。軽音エレキ部に所属していてギターの才能にも溢れている。オカザキがリーダーとして活動するロックバンド『KURENAI』は、大阪市内のライブハウスでも人気があり、多くのファンの動員を獲得している、という噂はよく耳にする。休み時間になるたびにオカザキはクラスの女子に囲まれていた。僕もあんな風にモテたいなぁ、と羨望の眼差しで漠然と彼の姿を眺めていた。

 

 なんの取り柄もない僕に興味を示すようなクラスメイトは誰もいない。僕だって彼女が欲しいなぁ、なんて思う時期はあったが、どうしていいのかもわからなかった。それに恋愛について相談できそうな友達もいなかった。親友と呼べるような男友達だっていなかった。僕の事を「童貞」やら「チェリーボーイ」だなんて言って、冷やかすクラスメイトだったら掃いて捨てるようにいた。そうやってみんなからディスられていたんだ。ふんっ、童貞で何が悪いって言うんだよ。お前らだって少し前までは童貞だったくせに。自分が置かれている学生生活に半ば諦めの色を浮かべていた。どうせ僕なんて高校を卒業して大学に進学したって彼女なんてできやしないだろう。

 決して勉強ができなかったわけではない。でも小学校から中学校、そして高校に入ってからも成績は常にクラスの中間くらいだった。特にイジメられた事もない。でも友達は少なかった。進級するたびに僕の元を友達が去っていく。そんな風に高校3年生になった。学校には僕の居場所なんてない。もしもこれが「青春」と呼べるものであるとすれば…。パッとしない青春だなぁ、と思った。


 チャイムが鳴り授業が始まると、いつものように机の上に教科書を立てて、その陰に顔を伏せるようにしながら、こそこそとノートの隅っこに歌詞を書き綴っていった。春休みの間、ずっと歌詞を書き綴っていたせいか、思いついたらすぐに書く習慣が身に付いていた。授業中は先生の話もろくすっぽ聞かず、そんな事ばっかりに夢中になっていた。大体は先生やクラスメイトを皮肉る内容ばかりを書いていたのだ。

「クロカワ先生の、生えてくるように応援するぜ

「仮面を被ったオカザキの、剥がしたらライブ会場は

 そんな事ばかり書きながら心の中で嘲笑っていた。心底、性根の腐った嫌な奴だなぁ、と自分の事ながら思った。





 バイト先でも合間があれば自然とラップを口ずさむようになっていた。ラップを口ずさむと気分が晴れる。そんな僕の姿を見て周りのバイト店員はクスクスと笑っていた。

「いらっしゃいませ!」

 挨拶の声も明るくなった気がする。こんなに夢中で打ち込めるものに出会えたのは、生まれて初めてだった。中学生時代のサッカー部ではこんな感覚を味わえなかった。いつの間にかフリースタイル・ラップの虜になっていく。楽器も何も要らない言葉だけの音楽。

「お客さん、それでは注文を繰り返します。チャーシュー麺、煮玉子入りの大盛りが2人前、セットの焼飯が2つ、でよろしかったでしょうか?」

 注文を受け、厨房に戻ると麺を茹でていた店長が僕を呼び止めた。店長の視線は寸胴鍋を睨みつけている。

「なあ、カグラ君、ラップずいぶん上達したんやないか?」

「え? や、そうですかね、ありがとうございます」

 店長は「麺上げ」と呼ばれるザルを勢いよく上下にチャッチャッと振って、茹で上がった麺の湯切りをし、台の上に用意されたスープと秘伝のたれが入った器にサッと流し込んだ。そしてスープと麺が上手く絡むように、菜箸で軽く湯がく。その動きに連動するように僕は麺の上にチャーシュー、メンマ、ネギ、それから煮玉子を綺麗に盛り付ける。もう2年ほど働いているので慣れた手つきだし、店長とのコンビネーションも高級腕時計の歯車のように噛み合っていた。

「明日さ、土曜日やろ」

「はい、そうですね」

「行ってみたら、どや? サイファー。明日も多分やってると思うで」

 確かに明日は、バイトのシフト上では「休み」となっている。特に予定もない。

「ええ? でも僕、あんな大勢の人前でやった事ないし… 人前で歌うのが恥ずかしくて… ちょっと自信がないですね」

「大丈夫やって。初心者でもええやないか。仲間に入れてもらいぃや。誰かてみんな初心者からスタートするもんやで、この店かてそうやないか、やっていくうちに慣れていくもんやで」

 少し戸惑った。どうしよう。行きたい気持ちもあるけれど… まだ自信がなぁ… でも店長の言葉に背中をそっと押された。

「怖がるこたぁあれへん、失敗してもええやないか。けどな、大事なんは、はじめの一歩を踏み出す事や。やってみん事には何も始まれへん。カグラ君、行ってこいよ」


 夜の10時にバイトを終え、自宅の団地に帰宅した。家に帰ってからもずっと店長の言葉が頭の中を駆け巡っている。春休みから書き溜めていたノートは、歌詞でびっしりと埋め尽くされている。白紙のページも残りわずかとなっていた。

 ベランダに出て、外の空気を大きく吸い込んだ。そしてそのままベランダでラップの練習をした。暖かい春の夜風を受けながら。夢中で練習した。気が付けば深夜の1時を過ぎていたのだ。





 次の日の夕方、僕は歩道橋の上にいた。先週、見学した時は確かこの辺りで集まってサイファーをやっていたような。その場所に僕はぽつんと立ち止まった。午前中の授業を終え、昼間は病院へお母さんの見舞いに行き、学生服のブレザーを着たまま、その足でここにやって来たのだ。

 歩道橋の上は相変わらず大勢の通行人で溢れ返っている。通行人はみんな俯き加減で足早に僕の目の前を、右や左に通り過ぎていく。通行人の目には僕はどんな風に映っているのだろうか。もしかしたら、誰かと、例えば学生仲間と、例えば彼女とでも待ち合せをしているように思われているのだろうか。いろいろな人の視線が冷たく感じた。僕にとっては無関係な人々。顔も名前も年齢も行き先もわからないまったく無関係な人々。僕の人生にはまったく関わる事がないだろう。そんな人々の流れは蝋人形の行列のように思えた。


 辺りが薄暗くなった頃、ステレオ・デッキを小脇に抱えたコダマさんが歩道橋の階段を上ってくる姿が見えた。いつも通り会社帰りのサラリーマンと同じようなスーツ姿だった。今日はグレーのスーツに白いワイシャツで、ネクタイはいつも通り外している。精一杯の笑顔を作り

「コダマさん、こんばんは」と僕は声をかけた。

「あれ~? 君はよく見学に来てくれている… ええっと、カグラ君だっけ?」

 名前を覚えてくれていたんだ… こんな通りすがりの高校生の僕を。コダマさんが名前を覚えてくれていて嬉しかった。

「どうしたんだい? 今日はこんな早くから来て。まだ、誰も集まってないよ。あ、Twitterで毎週、開始時刻を予告してたんだけどね、あっ、そっか、カグラ君にアカウント教えてなかったよね、教えるからまたフォローしといてよ」

 スマートフォンを取り出してTwitterのアカウントを教えてもらい、その場でフォロワーになった。それからコダマさんもスーツのポケットからスマートフォンを取り出してお互いのLINEの連絡先を交換した。そして勇気を振り絞って

「サイファーに参加させてください」とお願いした。

 日差しが射すようにコダマさんの表情が穏やかに緩んだ。コダマさんは顎の辺りを指で擦っている。

「お、君もやる気になったんだな」

「ええ、しっかりと練習してきました」

「もちろん歓迎だよ。サイファーは誰でも自由に参加できるものだからね」

 そっか、サイファーは自由参加型なんだ。初心者の僕でも参加できるんだ! なんだか嬉しくなって目頭が熱くなり、涙が溢れそうになった。それを誤魔化すように手首でゴシゴシと瞼を擦った。

「今日はね、7時頃から始めようと思っているんだよ」

 そう言いながらコダマさんは左手の腕時計の針に目をやる。時計の針は6時半を指していた。コダマさんは

「みんな遅いなぁ、最近集まりが悪いんだよね」と呟いた。


 コダマさんの話によると、この歩道橋でおこなわれているサイファーの全盛期は20人以上も集まり、みんなで輪になって歌っていたのだという。ところが近頃は他の場所でもサイファーが開催されたりして、そっちの方に参加する者や、サイファーを卒業していく者もいたりして、最近では精々集まっても5、6人くらいなのだそうだ。メンバーは週によって入れ替わりがあり、毎週参加する者もいれば、月に1回程度しか顔を出さない者もいるのだという。

「まあ、自由参加型だからね。来る者は拒まないけど、去る者も追わないよ。みんなそれぞれの事情もあるんだろうしね」そう言いながらコダマさんは笑った。


 コダマさんと話していると緊張もほぐれる。そうする内に続々とメンバーが集まってきた。メンバーが集まるたびにコダマさんが僕の事を紹介してくれる。ひとりひとりによろしくお願いします、と挨拶をした。

「カグラ君、右手をグーに握って拳を作ってごらん」とコダマさんが言うので、言われるがまま拳をまっすぐに突き出す。すると、コダマさんも同じように右手で拳を作り、僕の右手の拳にコツンと当ててきた。

「これがね、ヒップホップの挨拶なんだよ」とコダマさんは教えてくれた。

 集まったメンバー全員と拳をぶつけ合わせてヒップホップの様式に因んだ挨拶をした。結局、僕を含めて6人のMCで今日のサイファーが開催される事になった。メンバーがそれぞれの簡単な自己紹介をしてくれる。

「まずは俺から紹介するね、俺のMCネームはMC CODAMA、って言うのだよ、C、O、D、A、M、A、でCODAMAだよ」

「へぇ、コダマさん、ってMCネームだったんですね」

「そうだよ、普段みんなMCネームで呼び合ってるから、たまに本名すら忘れちゃう事もあるんだよ」

「そうなんですか。頭文字のCには何かこだわりがあるんですか?」

「それは、秘密だよ。でもね、ほら、見ての通りスーツ姿だろ。昼間は不動産関係の会社で営業の仕事をしているサラリーマンなんだよ。でもね、毎週、土曜日の仕事が終わるとネクタイを外してね、その足でここにやって来るんだよ」

「土曜日の夜だけはラッパーになるんですね」

 サラリーマン・ラッパーってカッコいいなぁ、って思った。仕事をしながらでも音楽に情熱を注いでいるんだ。凄い精神力だなぁ。

「それとね、俺がこの歩道橋サイファーの告知とかもやっているんだ… 俺らのサイファー軍団の事を『木霊こだまサイファー』って呼んでいるんだよ。だから、まあ、俺が主催者みたいな感じかな、あと年齢は29歳だよ」

 そうなんだ、まだ20代だったんだ。スーツを着ているせいか、もっと年上だと思っていた。スーツ着ていたら「大人」って感じがして、なんかみんな30代くらいに見えるよなぁ。

「どうしてコダマさんはこの歩道橋でサイファーをやろうと思ったのですか?」

「そうだねぇ… 学生時代にラグビー部のキャプテンをやっていた影響もあるのかな、こういう催しを仕切るのが好きなんだよね」

 確かにコダマさんは細身のスーツに身を包んでいて騙されそうになるが、ワイシャツの上からでも分厚い胸板が窺い知れる。きっと全身が筋肉で引き締まっているのだろう。

 次に声をかけてくれたのは金の鎖のようなネックレスをしていた厳つい兄ちゃんだ。NEW ERAのベースボール・キャップを目深に被り、その上からパーカーのフードを被せている。そしてダボダボのジーンズを履いている。いかにもラッパーといった風貌だ。カッコいいな。エミネムみたいだな。僕もこんなラッパーになりたいな。

「俺のMCネームはBUSTA DOG a.k.a.ハマやん、って言うんやぁ、覚えときや、まあ、普段はみんなから『ハマやん』って呼ばれてるんやけどな。まあ、カグラも気軽に『ハマやん』って呼んでくれたらええで。こう見えてもまだ20歳はたちやで」

 強面な見た目に圧倒されて、もっと年上かと思ってたけれど意外とみんな若いのだな。僕よりもちょっと年上なだけだ。

「その金のネックレス、凄いですね」

「ああ、これか、これは俺のヒップホップの魂が宿ってんねや、ほら、ネックレスの先っちょに王冠のペンダントが付いとるやろ。いつか俺がストリートで王様になってやろう、って思ってんねや。あ、こういうデッカイ、アクセサリーの事をヒップホップの世界では『ブリンブリン』って言うんやで、覚えときぃ」

「ブリンブリン… ですか?」

「そや、ブリンブリンや。俺はNASやBUSTA RHYMESとかの黒人ラッパーをリスペクトしてんねん、そやからギャングスタ風のファッションにこだわりを持ってんねやで。まぁ、普段はミナミのアメ村で古着屋の店員やってんねんけどな。俺は毎週、木霊サイファーに参加しとるから、カグラも毎週おいでや」

「はい、ありがとうございます。できるだけ参加したいと思っています。よろしくお願いします。ハマやん」

 ハマやんの胸に王冠を模ったペンダントが光輝いている。これがハマやんの象徴なんだろう。若い女の子が僕の元に近付いてくる。

「あたしのMCネームはMIYUってゆうねん、気軽にミユ、って呼んでな」

「よろしくお願いします、ミユちゃん」

 茶髪のポニーテールにNEW ERAのベースボール・キャップを被っている。迷彩柄のNYヤンキースのキャップだ。それにピンク色で「STREET LOVER」とバックプリントの入ったパーカー、細身のジーンズで着飾っている。

「あんな、カグラ、ヒップホップでは女性のラッパーの事を『フィメール・ラッパー』って言うねんで。ちなみにヒップホップが好きな人の事を、B-BOYって言うねんけどな、あたしの場合はB-GIRLやな」

 見た目はちょうど僕よりもちょっと年上くらいに見える。笑った時に見せる白い歯が印象的だ。とても綺麗な歯並びだった。ずっと見とれていた。

「あたしも、ほとんど毎週サイファーに来てんねんから、あんたもぃや」

「ありがとう、ミユちゃん」

 優しくて丸みを帯びた心地よい声。ミユは屈託のない笑顔ではにかんだ。

 続いてよれよれの古着のネルシャツ、そしてちょっと丈の短いジーンズにスニーカーといったファッション、それに黒ぶち眼鏡をかけた、ちょっと小太りの正直あんまり見た目は冴えない感じの青年が声をかけてくれる。

「あのー、俺のー、MCネームはーね、ダイソン、って言うんだよーん、地方出身だからねー、こんな喋り方なんだけどねーん、気軽にダイソンって呼んでーね。大学進学に伴って大阪に引っ越してきたんだーよ、普段は大学に通ってるんだー、22歳だーよ、俺も毎週、サイファーに参加してるーよ」

「ダイソン、よろしくお願いします。普段はどんなヒップホップを聴いてるんですか?」

「あ、俺さー、普段はあんまりヒップホップを聴かないんだーよ、アイドルとかねー、声優さんとかーね、そういうのがーね、好きなんだーよねん」

「そうなんですか、ダイソンはどんなアイドルがお好きなんですか?」

「そうだーね、最近だと『桜坂64』かーな。俺はーね、日本橋のオタロードとかによく行くんだーよ、美少女フィギュアを集めていてーね、あ、あとねー、メイド喫茶とかもねー、楽しいーよ、今度一緒に連れていってあげるーね」

 オタク・ラッパーか。いろいろな人がいるんだな。でも僕はアイドル・グループの話には疎かった。アイドル・グループの事はさっぱりわからない。

「ダイソンは、なぜヒップホップを始めようと思ったんですか? 何かきっかけとかあるのでしょうか?」

「それはねー、やっぱり自分を表現する場が欲しいなー、って思ってねー、それで俺もーね、ここに通ってるんだーよ」

「そうなんですね、よろしくお願いします、ダイソン」

 最後のひとりは僕と同じような学生服を着た高校生だ。

「あ、僕、キタガワって言います。大阪市内の高校に通う高校2年生の16歳です。僕もまだ、初心者でMCネームも決まっていなくて…」

 僕より一学年、年下だ。少し安心した。木霊サイファーに参加するのは、まだ3回目だという。カッコいいMCネームを、あれこれ思案している最中だそうで、今は本名である苗字の「KITAGAWA」をそのままMCネームにしているそうだ。相撲部屋に入門したばかりのしこ名が決まっていない力士みたいだなぁ、と思った。


 みんなの話を聞き入って面白いなぁ、と思った。本当にいろんな種類の人たちが集まっているんだなぁ、と思った。僕もみんなの前で自己紹介をした。

「えっと、初めまして。今日が初めての参加になるんですけど、僕の名前はカグラ、って言います。気軽にカグラって呼んでください。MCネームは、本名そのままで『KAGRA』です。K、A、G、R、Aで『KAGRA』です。見ての通りの学生服なんでお分かりだと思いますが高校生です。大阪市内の高校に通っています。今年、高校3年生になったばかりの17歳です。ちょっと事情がありまして今はひとり暮らしをしています。いっぱい練習してきましたので、よろしくお願いします」

 精一杯の声を振り絞った。女性ラッパーのミユが僕に尋ねる。

「カグラって変わった名前やんね、それって苗字なん?」

「あ、それよく言われるんですよ。確かに変わった名前ですから。苗字じゃないです、下の名前なんです」

 ハマやんも訝しげな表情を浮かべていた。

「嘘やん、下の名前なん? ほんだらもっと珍しいな。カグラ。ふ~ん、ええ名前付けてもらったな」

「ありがとうございます。下の名前は珍しいのですが、実は苗字の方は平凡でして…。カワカミ・カグラって言います。カグラって名前は1回聞いたら忘れないと思いますよ」

 オタク・ラッパーのダイソンが鼻息で黒ぶち眼鏡を曇らせながら

「なんか巨大望遠鏡みたいな名前だーね… いや、今ねー、大学で巨大望遠鏡をテーマに研究してるからーね」と呟いた。

「巨大望遠鏡… ですか」


「よろしくね」と言いながら、メンバー全員とそれぞれ拳と拳をコンコンとぶつけ合わせてヒップホップ式の挨拶をした。ステレオ・デッキを囲み6人のメンバーが輪になった。何人かの通行人が足を止めて、僕らの様子を窺っている。そんな周囲の目もあまり気にならなかった。なぜなら高揚感で僕の胸は高鳴っていたから。

「8小節ずつマイク・リレーしていこう、今日はこのビート」

 コダマさんが、ステレオのスイッチをオンにするとリズミカルなビートが流れた。90年代日本語ヒップホップのクラシック・ビート。LAMP EYEの『証言』だ。そのビートに合わせながらサイファーが始まった。




MC CODAMA

YEAH今日は新人さんも来てるから、最年長の俺から始めさせてもらうぜ

俺は だけど プロップス掴み今日のサイファー

俺ら歩道橋の上で 歌おうぜヒップホップ なんて気にすんな

歩道橋の上で集まる心に ビートが流れれば


MC KITAGAWA

確かにコダマさんは そして歩道橋では

もちろん俺ならHEY YO だけどなんて言わせないぜ

俺はこの場所からする為にやって来た

ちゃんと見据えているぜ 将来への


BUSTA DOG a.k.a.はまやん

YOYO  KITAGAWAお前は だけど腰振る

みてぇなRHYMEばっか吐いてんじゃねぇよ俺は 

それじゃ上がらん 寒すぎるじゃねぇかよ全然上がってない俺の

退な韻ばっか吐くなよ MIYUお前に託したぜ


MIYU

ありがとうハマやん 上がってない

だけどハマやんの見た目は~ だもんね

あたしだって頭の 回すRHYME

ON THE BEAT使い回しの韻は~ YEAH


ダイソン

使なら  リサイクルなら

だけどのMIYUのRHYMEは 極上の俺のRHYMEが今日の

のラップは駅前の 脳内が

ここが まるで軽快な 鐘が鳴る世は


KAGRA

俺はラップ始めてまだ3 それでも木霊サイファー初 

俺だっての上で になりながら超えて魅せる

サッカーだと だけど調して乗り込んだ今日は

代わり なんてしなくてもUPする





 1ターン目が終了し、周囲の通行人から拍手が沸き上がった。周りをぐるりと見渡すと立ち止まってサイファーを見学するギャラリーの数も増えていた。でも、そんな周りの目を気にする事なく僕は最後まで歌い切った。充実感に溢れていた。ペットボトルのコーラを飲んで喉の渇きを潤す。笑顔を振りまきながらミユが

「すっごいやん、めっちゃ韻踏んでたやん、上手いなぁ」と僕の事を褒めてくれた。少し照れながらも

「ありがとう、ミユちゃん」と言いながらミユと拳をぶつけ合わせた。

 コダマさんは腕組みをしながら感心したような表情で

「よく練習しているね。とても初めてのサイファーとは思えないよ」と言った。

「カグラ君は、こだわりのスタイルとかあるのかな?」

「はい、僕はRHYMEを踏む事を重視したスタイルでやっていきたいんですよ」

「そうか、それは素晴らしい。自分のスタイルは曲げずに貫いていった方がいい。思いのままRHYMEを研究していったらいいと思うよ」

「ありがとうございます。コダマさん!」

 礼を言ってコダマさんと拳をぶつけ合わせた。コダマさんは指でジャンケンのチョキを作り言う。

「これはPEACEマークだよ、君にPEACEを贈っている合図だよ」

 僕もコダマさんの真似をして右手でチョキを作り、PEACEマークを贈った。ハマやんも僕の目を見ながら手を振りPEACEマークを贈ってくれた。

「俺はな、バイブスで勝負するタイプなんやけど、カグラみたいに韻を踏みまくるヤツの事をライマーって言うんやで。お前は高校生ライマーや」

 ハマやんの外見は厳ついけど、口調はとても穏やかだ。見た目とのギャップがすげぇな、と思った。人は見た目で判断してはいけない、とはまさにこれだ。

「なあ、カグラ、お前これから毎週サイファーに来いよ」

「いいんですか?」

「いいに決まってんやろ。ここでスキル磨いていけや。ここで磨いたスキルは今後きっとお前の糧となるわ、お前は今日から俺のマイメンや」

「ハマやん。マイメン… ってなんですか?」

「マイメンは『親友』っていう意味や」

 嬉しかった。僕の事を親友だなんて言ってくれる友達なんて今まで出会った事がなかった。僕にも親友ができたのだ。ハマやんが兄貴分みたいに思えてくる。

「ハマやん、ありがとうございます。僕もハマやんがマイメンです」

「そや、俺らはみんな、仲間や、ヒップホップはコンプレックスから始めるものや。俺かてカグラぐらいの高校生の頃はコンプレックスの塊やったわ。ほらな、俺はこの見た目やろ、そら、みんなから怖がられたわ。でもな、そんな底辺から這い上がって夢を掴むのもまたヒップホップの生き様なんやで」

 ハマやんの言葉が僕の胸に刺さった。胸を突き動かす衝動。鼓動が速くなっていくのがわかった。底辺から這い上がる。僕はこの場所から這い上がるんだ。

 それからダイソンとキタガワ君とも拳をぶつけ合わせた。一緒に頑張ろうぜ、とみんな口々に僕に声をかけてくれる。なんか、温かいなぁ、みんな温かいなぁ、と思った。

 学校には居場所がなかった。今まで、なんの取り柄もなかった。親友なんていなかった。そんな僕の事を応援してくれる仲間がいる。仲間ができたんだ。こんな僕にもたくさんの仲間ができたんだ! 涙が溢れそうになる。でも泣いていてはいけない。歌い続けるんだ、僕は歩道橋で歌い続けるんだ。心の中で土砂崩れのように何かが大きく動いた。コダマさんが

「次のビートかけるよ、みんな準備いいか」とメンバーに声をかけ、2ターン目のサイファーが始まる。そこでも僕は気迫のこもった渾身のラップをぶつけた。それから3ターン、4ターンとサイファーが続き歌い続けた。みんなも熱唱し続けた。楽しくて仕方がない。喜びに満ち溢れていた。言葉を届けたいんだ。みんなに声を届けたいんだ。声が枯れてしまってもありったけの魂を込めたラップを歌い続けた。歩道橋の上から。ここが僕の出発点だったのだ。


 気が付けばもうすぐ終電の時間が迫っていた。夢中で歌い続けていたので、すっかり時間の事を忘れていた。コダマさんに

「今日はありがとうございました、とっても楽しかったです。また来週も必ず参加します」と僕は告げた。今日集まったメンバー全員と連絡先を交換した。みんなが口々に声をかけてくれた。

「来週も待ってるよ」

 駅に向かい歩道橋の階段を一気に駆け下りた。振り返り歩道橋を見上げると、みんなが僕に向かって手を振ってくれている。僕もそれに応じるように手を振り続けた。みんなの姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振り続けた。

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