7 街道の街にて

 川沿いを下り、半日歩いてたどり着いたクトゥルスは、城壁で囲まれた大きな街だった。人の目も多い。先程の人里で交換してもらった服を着ていた二人は、顔を汚し農村の夫婦を演じることにしていた。

 本当ならば、自分が妻役をしたほうが変装としては完璧だけれども、数年女装をしていないうちに、かなり背が伸びていたらしい。まず服が全く入らなかった。男物でも、寸法が合わないくらいなのだ。

 それでも服を変えれば大分印象が変わると自分に言い聞かせつつ、列に並んでいたクリスは、前方を見てにわかに焦った。


「あ、通行税」


 街を通るには通行税が必要なのだ。いつも馬車に乗って移動する上に人任せなため忘れていた。どうしようかと考えていたら、


「大丈夫。どうせあんたそこまで頭回らないだろうと思ってさ」


 とロシェルがポケットから数枚の銅貨を取り出した。

 クリスよりも旅慣れているのだろう。彼女は物々交換の際に貨幣まで入手していたのだ。

 ホッとしつつ俯き気味にして門をくぐってみたけれども、兵は見かけるが、街の自警団のようでリーベルタースの軍服を着た人間の姿は見えなかった。追っ手はまだやってきていないらしい。

 昼時に差し掛かった街は活気に満ちていた。辺りには食べ物の良い匂いが漂っている。村で手に入れたパンは既になくなっていた。

 クリスはポケットのサファイアを握りしめる。服装に似合わない耳飾りも指輪も外してあるのだ。


(早く換金しないと干からびるな)


 と足を急がせたときだった。


「クリス!」


 ロシェルの押し殺した声に足を止める。直後、前方から風を切る音が響き、クリスはとっさに後ろに飛び退く。足元に吹き矢が数本刺さっていた。一瞬遅ければ危なかった。だが冷や汗をかく間もなく、再び矢が放たれる甲高い音がどこかで響く。

 クリスは弾かれるようにして物陰に飛び込み、立てかけられていた棒を手に取る。

 そして先程まで一緒にいたロシェルを探して目を泳がせる。


「こっちだ!」


 聞き覚えのある声に視線を走らせる。反対側の路地を人影が走った。それを数人の男が追っていく。


(ロシェル!)


 手に持った棒を掲げようとしてぎょっとする。


(斧?)


 武器として使用したことはなかった。家出の際に打ち捨てられていたのを使ったことがあるくらいだ。


(いけるか?)


 躊躇している間に、凭れかかっていた木箱に大きな衝撃が走り、クリスは大きく飛び退いた。追っ手は二手に分かれただけらしい。


(心もとないけど、なにも無いよりもましだろ!)


 そう思うけれど身体が思うように動かない。男に戻ってからは随分と鍛錬を重ねた。だが、情けないが実践経験が少なすぎる。気持ち的にもルーカス達親衛隊に頼りすぎだ。毎日訓練をしていたがこれでは意味がない。後悔しつつも、クリスは覚悟を決めて構えた。

 刹那、ぐい、と後ろから羽交い締めにされてクリスは目を見開いた。

 絶体絶命のピンチ。


(あぁ……おれは、もう、ユウキに会えないのか)


 それは嫌だ――思ったとたん、体が勝手に動く。まだ自由な足を振り上げると、思い切り相手の脛を蹴りつける。相手が怯んで僅かにできた隙間を利用して身じろぎすると、身体を押さえつける腕を取って、肩に担ぎ上げ――その勢いのまま前方に投げた。

 だが、相手はうまく受け身を取り、なんでもないように立ち上がる。その身のこなしは戦闘の玄人。反撃に身構えるクリスはだが、


「…………!」


 目の前の男を見上げて絶句した。


「――なぁんだ、やれば出来るじゃないですか」


 そこに居たのは、涼しげな眼差しをした長身の男。たった今、彼が居なくてもなんとかしようと心に決めたばかりだったのに。


「……ルーカス……おまえ、どうやってここ」


 色々問いたいけれど、驚きすぎて口がうまく動かない。


「船が殿下を捜索するため停泊したので、岸まで泳ぎました。そこからひとっ走りしただけですよ」


 さらっと言うけれど、それが容易ではないことはわかる。ありがたいと思いながらも、干からびた喉から出たのは文句だった。


「……もうちょっとましな登場の仕方、できないのかよ」


 情けないにも程があるが、文句を言い終わる頃には、クリスは気が抜けてその場にしゃがみみそうになる。だが、直後我に返る。


「あ、ロシェルがさっきあっちに――」


 と言いかけたクリスだったが、「ロシェル?」とルーカスは不思議顔だ。


「エミーリエ、だ。ホントの名前かどうか知らないけど。彼女は、敵じゃない」

「ふうん、そうですか」


 ルーカスが視線を走らせると物陰からざざっと人影が現れた。


「……お前ら」


 人影は六つ。エクムント、ヨハン、フロレンツ、グスタフ、リーンハルトに、アーベル、そしてルーカスを合わせると七人だ。クリスを守るためにいつもそばに居てくれる心強い臣下――クリスの七人の親衛隊だった。そして、その背後からぴょこんと顔を出したのはロシェルだ。

 ルーカスが訝しげに彼女を見やる。


「この娘何者です? 騒ぎを聞いて私達が駆けつけたときには、兵を二人ほどあっさり気絶させてました。そのうえ、こうして殿下のところまで案内をしてくれましたよ」

「すごいな」


 思い返してみると、彼女はクリスの部屋にも侵入を果たしたし、ユウキの部屋に二人きりになっていた時も難なく侵入を果たした。あれは偶然でもなんでもなく、彼女がどうにかしたのだろう。どうしたらそんな技が身につくのやらとクリスは目を丸くした。

 

 が、ロシェルは素知らぬ顔で、「あんたらもすごいよね。特に嗅覚。よくここだとわかったよな」と笑った。


「付き合いも長いですから、殿下のお考えはだいたい予想できるのですよ。城でのかくれんぼは毎日でしたし、家出も三回されてますが、全部すぐに辿り着きましたから」


 ルーカスが誇らしげに言うと、他の六人も


「隊長の嗅覚は犬なみですからねえ」

「そうそう、いつも真っ先に見つけてくる」


 などと頷き合う。


「そのくらいじゃないと守りきれませんからね。とにかく、ここでは目につきすぎます。落ち着ける場所に移動しましょう。――大事なお話があるのです」


 穏やかだったルーカスの顔が急に険しくなる。


「話? ユウキがみつかったのか?」


 そう問いつつも、違うという直感が走る。それならばもったいぶらずにすぐに伝えてくれるはずだから。

 直感どおりにルーカスは「いいえ、まだ。しかし捜索は続いております」と首を横に振った。


「じゃあなんだ?」


 大きくなる嫌な予感に眉をひそめる。

 そして予感は当たった。

 ルーカスは憤りを隠せない様子で言葉を絞り出す。


「戦が、始まりそうです」


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