6 まとわりつく幻影

 幸い水はすぐに確保できた。リーベルタースもパンタシアと同じく、国境に聳えるネブラ山脈の雪解け水の恩恵を受けているらしい。あちらこちらに湧水が見られ、脇には獣道が作られていた。

 だが水だけでは生き抜くのは不可能。そして道具がなければ水を運ぶことさえ難しい。

 少し悩んだ二人の出した答は、危険は承知でも、一度街道に向かうべきだろうということだった。

 大陸の地図を地面に書きつけると、ロシェルが「よくここまではっきりと覚えてるな」と感心したような声を上げる。


「まぁ、一応王子だから」


 教養のうちだと苦笑いをしながら、クリスは続けて航路を描く。そして事故現場と予想される現在位置を指差した。


「じゃあ、ここはバルバか」


 ロシェルが唸り、クリスは頷いた。おそらくここは海岸とネブラ山脈の間にあるバルバの森だ。山から流れ出るウェール川沿いに下流へ向かえば、リーベルタースの王都シャンテを西端にし、パンタシア王都ハーゲルを東端にするケントルム大街道に出るはずだ。


「つまり、ここから一番近い街はアカリナってことか。修道院のある」


 ロシェルの言葉に、クリスは思わず顔をしかめる。忘れたくても忘れられない。アカリナはクリスが前に溺れ、漂着した場所だ。

 思い出したとたん、ふとユウキの言葉の断片が頭をよぎった。


「そういえば、ロシェルは、どうしておれを助けてくれた?」


 ユウキは《人魚姫》が海で溺れるクリスを助けたと言った。そしてその恩人である人魚姫はエミーリエ――ここにいるロシェルだと。だから、クリスが恋をするべきなのは、ロシェルなのだと訴えた。


(おれを救ってくれたのは、ロシェルだけじゃなく、ユウキ、おまえもだろ)


 行き場のない苛立ちを彼女が消してくれた。クリスの居場所を作ってくれた。だからこそクリスは本来の自分に戻ることができたのだ。

 だというのに、


『わたし、エミーリエとクリスのこと応援してる』

『しあわせになって』


(おれに他の女に恋をしろだと? 結婚の約束もしたのに? あれを軽く考えてたってことだろ――その上、あいつ、おれが浮気をしたと思ってた!)


 思い出してにわかに不快になっているとロシェルはからりと笑った。


「同じ船に乗ってたんだ。あんたの縁談を壊すためになんでもするつもりだった。ま、あのときはなんにもしなくても嵐がその役目を担ってくれたけどね、あの時点では死んでもらったら計画が台無しだったから」

「は? 計画?」

「あんたの結婚には大陸中の人間が目を光らせてる。どこと結んでも大陸の力の均衡が崩れるけど、リーベルタースとパンタシアが結束するのはカタラクタにとっては最悪だった。あんたにはカタラクタの姫と結婚してもらいたかった。だというのに、姫姿をしていて女に興味がないって噂は流れてくるわ、それが消えたかと思うと黒い髪の女の死体にご執心だって流れてくるわで。だから似た女をあてがおうとして、アタシが抜擢された」


 わかるようでわからないとクリスは思う。自分の結婚の意味が大きいことはわかる。どこと縁談を進めようとどこかで角が立つのだ。

 カタラクタと結べばリーベルタースが鉱山の件で神経質になる。リーベルタースと結べばカタラクタが追い詰められる。

 父も母も悩んでいるのだろう。だからそれほどクリスの結婚を急がなかった(おかげで、女装が許されていた)のだ。

 だが、今の話では、クリスが執心している娘に似た女が姫でなければ、カタラクタにとって意味は無いのではないだろうか。それに――


「噂って、どうして」


 クリスにはどうしてもそこが引っかかった。ルーカスも言っていたけれど、ユウキの存在は本当に極秘事項だったはずなのに、どこから漏れたのだろうか。


(だいたい、似た女って? どうやってユウキの容貌を知った?)


 クリスが思わず勘違いするくらいにはロシェルの姿にはユウキの面影がある。よく考えると誰もユウキを知らないのに不思議だ。

 だがロシェルは「ま、そんなことは今はいいとして」と話題を勝手に変えた。


「いや、よくない。ちゃんと聞かせろよ」


 クリスは不満を訴えたけれど、ロシェルは話題を戻すことはしなかった。


「もうアカリナは確実に抑えられてるだろうな。じゃあ次に近いのはクトゥルスか」


 ロシェルが街を示す丸を指差す。クリスは頑固な彼女に苛立ちながらも仕方がないとため息を吐いて地図を見た。それはリーベルタースから陸路を行く途中には必ず訪れる宿場町。クリスも何度か通ったことがある。

 リーベルタースの南北を結ぶノウム街道とケントルム大街道が交差する交通の要所で、食料だけではなく武器までも一通り揃えられる大きな街だった。


「だけど、ここも海岸にも近いから既に包囲されている可能性が高い。危険だな」


 クリスはあえてカタラクタの外れの町を指差す。ネブラ山脈の南麓だ。


「ここに小さいけど村があったはず。パトリダ鉱山の採掘所だ。いっそここに向かってみるのはどうだろ?」

「あぁ、なるほど」


 ロシェルは頷いたが、すぐに首を横に振る。そして木々の隙間から見える山を指した。


「だけど、だめだね。パトリダに行くにはあの山の麓を越えることになる。どちらにせよそれなりの準備がなければ遭難する。急げばまだ街を抜けられるかもしれない。大きな街なら、隠れる場所も多いし。そっちに賭けたほうがましだと思うよ」


 青い空の眩しさに目を細めながら、クリスはじっとその山を見つめた。

 山脈の中でひときわ高い山。あの地形があるからこそ、パンタシアもリーベルタースも鉱山を奪えないと言っていい。

 雪は頂だけではなく麓にまでかかっている。雪解け水の冷たさを思い出し、クリスは震える。パンタシアの冬の厳しさを思い、薄着の自分とロシェルを交互に見れば、ロシェルの提案を飲まざるを得なかった。



 川を下れば平地に出る。

 そんなフレーズが頭をよぎると、シュトライテンの深い森が眼裏に蘇り、同時に感心したようなユウキの顔が思い浮かんだ。三年も前のことだというのに昨日のことのように鮮やかだ。記憶があまりにも劣化していなくて戸惑うばかりだった。

 

(どこに行けばいいかわからない……迷子みたいだ、な)


 さらには《迷子のお姫様》などというフレーズが浮かびそうになる。そうなれば続けて《白雪姫》が浮かぶのも仕方がなかった。クリスはこれ以上感傷に浸るのはやめたいと首を振って思考を断ち切ろうとする。

 だが、行く先々でクリスは幻影に惑わされる。

 山葡萄の実を見ても、栗を拾っても、魚を捕まえても。すべての行動がクリスの記憶を洗っていく。すぐ側に彼女が居るかのように錯覚させるのだった。


 そうしてやがて日が暮れる。

 闇に染まった森の中。薪を火の中にくべながら、クリスは幻影を払い続ける。橙色の光に染まる人影に目がくらむ。

 隣にいるのが誰なのかを間違えそうな自分が怖かった。

 それを知ってか知らずか、ロシェルはからっと笑ってゴロンと横になる。


「おやすみ」


 その表情のお陰で幻影が薄くなる。ユウキは、あの小屋でクリスのことを異性だと意識し、亀のように固くなっていた。微笑ましい光景を思い出したクリスは、頬を緩めた直後、刺すような胸の痛みに顔をしかめた。


(……ユウキ。どこに居るんだ、おまえ)




 クリスが幻影と戦うのにほとほと疲れ果てた頃には、小川はいくつもの水の流れを呑み込み大きな川になっていた。

 幅が大人一人の身長ほどになると、ちらほらと畑が見えだした。獣道は人が整備した農道になり、農道がさらに舗装された道となる。

 幸い兵の姿は見えず、クリスとロシェルはホッとしながら民家を探った。地図にはないけれど農村でもあるのかもしれない。街に出なくて済むのなら、越したことはないのだ。

 ケープをかぶった幼い少女が道の向こうに見え、ロシェルが「お嬢ちゃん、この辺の子?」と声をかける。

 とたん、少女は驚いたように目を見開いて慌てて逃げていく。人見知りだろうか。


「どうやら人里があるみたいだし、ちょっと食べ物と、あれば服を変えてもらってくる。変装に必要だろ? ――金なんか持ってないよな?」


 ロシェルがちらりとクリスを見やる。クリスは目線を下ろし、左手の薬指につけている指輪を見た。

 金でできた、繊細な意匠の品。儀式で互いに交換したけれども、ユウキはどこか上の空で指にも指輪にも何の注意も払っていなかったように思えた。

 偽りの婚姻だったからだろうか。

 そもそも彼女はクリスと結婚したかったわけじゃなく、物語を成立させるためだけに、帰るためだけに、承諾しただけなのかもしれない――


 そんなことを考えると自分が足元から腐っていくような心地がした。


「おい? あんた、人の話聞いている?」


 ロシェルの訝しげな声に、クリスは我に返る。


(だとしても、二人揃いでつけている物だ。つまり、今もユウキの指にはこれがついているはず――)


 と考えたとたん、クリスの手は反射的に耳飾りを外していた。

 サファイアと金で出来た代物だ。路銀にはなるだろうと手渡すが、ロシェルがそれを指で摘んで日にかざすと、鋭いほどの青い光が乱反射する。彼女はしばしそれを見つめたあと、呆れたようにため息を吐いた。


「こんなもの渡したら、お釣りが出ない」

「この際、釣りはいらないだろ」

「盗品と疑われて逆に迷惑になるし、足もつきやすい」


 これだから世間知らずの金持ちはしょうがないなと言いながら彼女はシャツの下から首飾りを取り出した。ところどころ濁りがあるが、美しい赤い石だった。


「安物だから、ちょうどいいだろ」


 カラッと笑っているけれど、その笑顔が少し陰っている。

 贈り物だろうか。クリスは自分の指輪をちらりと見て、同じ類のものかもしれないとため息を返した。


「そっちの方がおれの耳飾りよりが高そうだけどね」


 耳飾りは単に高価なだけ。指輪と違って想いは込められていない。

 クリスは耳飾りを石の上に置くと、ナイフを振りかざす。そして思い切り振り下ろした。

 小さな金属音とともに耳飾りが砕ける。分解された小さな金の欠片を指に取るとニッと笑った。


「大事なものだろ。こうすれば足もつきにくい」


 そう言うとロシェルは、小さく「ありがとな」と呟いた。

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