9 王子は死体愛好家?

 クリスが打ち上げられたのは、リーベルタースはリーベルタースでもかなりパンタシア寄りの港アカリナで、修道院しかないという寂れた田舎だった。クリスは数日療養のために留まったあと、そのままくだんの姫君に会うことも叶わずにパンタシアの王都ハーゲルへと強制送還されることとなった。

 というのも、アカリナから王都シャンテまではまだ随分と距離があったからだ。供の者もさすがに全て助かったわけではなく、皆疲弊していた。それに、贈り物なども全て流されてしまったため、一度出直すこととなったのだ。

 とにかく国の両親が気が気でなかったらしい。カタラクタを通り抜けて駆けつけた親衛隊に強引に囲まれれば、逆らうことは出来なかった。


(ああ……くそっ)


 自国に戻り、自室での療養を告げられて数日経つけれども、あのとき――意識が落ちる直前に聞いた声が耳からどうしても離れてくれなかった。

 聞いた話によると、クリスを最初に見つけて助けてくれたのはアカリナの修道女らしい。会話を交わした女と――それから言葉の通じなかった少女。どちらも名乗ることもなく去ってしまったため、誰なのかもよくわからないまま。


『どうして見つけてくれないの』


 そんな風にユウキが自分を責めているような気さえして、落ち着かない。少女の正体が知りたくて調査を依頼しているけれど、神の花嫁である修道女だ。人探しの答えが帰ってくることは期待できない。

 知らず頭を抱え込んでいると、難しい顔をしたルーカスが入室してきた。


「失礼します――おや、頭痛ですか?」 


 彼は母の仕事――国内のユウキ捜索だ――を手伝うためにパンタシアに残っていたのだが、船の難破を聞いて、ついて行けばよかったと悔やんだそうだ。だが、彼がついてきたら彼が死んでいたかもしれないと思うと、置いてきてよかったとクリスは思った。自分が助かったのは、とにかく運が良かったとしか思えないのだ。

 ルーカスはクリスに近づくと耳打ちをする。


「ええと、殿下。――、見つかったらしいです。今、伝令が来まして。お会いになりますか」

「……は?」 


 クリスは一瞬固まったあと、探しものが何かに気がついて、鬱屈を払って立ち上がった。


「会う! 会うに決まっている」


 ルーカスの顔が曇っているのが気になりつつも、クリスは打ち破る勢いで部屋の扉を開けた。


 謁見室にいたのは、確かに髪と目が黒い少女だった。涼し気な目元は確かに似ている――ような気がした。だが、ボロボロの服を着て、肌や髪は埃にまみれている。それも手伝って、いつも小綺麗にしていたユウキとはまるで印象が違う。

 だが、どこか諦めきれずにクリスはユウキを思い浮かべて比較しようとした。だが、直後愕然とする。


(……嘘だろ……)


 ユウキがどのような姿をしていたのかが、どうしても浮かばない。どのように笑って、どのように泣いたのか。それどころか、眼裏にいつもあったはずの像が、目の前の少女でどんどん上書きされていくような気がした。

 記憶が侵食される恐怖から、クリスは慌てて少女から目を逸らすと、直感だけで否定する。


「違うだろ、全然」

「やっぱりそうですよねえ」


 ルーカスは悪びれない。自分が探してきたわけではないから関係ないとでも言いたそうな顔をしている。それが気に食わなくて、


「じゃあなんで報告を俺に上げた」


 と責めると、ルーカスはやや不快そうに口をとがらせた。


「……人助け、というか」

「はあ?」

「彼女、港で売られていたそうです。実は殿下が《黒髪》で《黒い目》のを寵愛しているというのは、大陸中に広まっていてですね」

「なんだ、それ」


 クリスは目をむいた。


(死体を寵愛? どこのヘンタイの話だそれ)


 愕然としていると、ルーカスはやれやれとため息を吐いた。 


「城内でも密かに噂になっていましたからねえ」

「嘘だろ……だけど、」


 かなり神経を使って隠していたのに。クリスは顔をしかめる。


「そりゃあ、三年もの間、になっていらしたんですから。あの塔に何があるのかと訝しむものは多かったようですよ。もちろん私は何も喋っていませんが、ほかはどう思ったのでしょうね。下々の者は話に尾ひれをつけて面白おかしく噂しますからねえ」


 クリスは頭を抱えた。


「……つまり、攫われてきたとか、そういうこと?」


 クリスの求めているのはユウキであって、黒髪黒眼の少女ではないというのに。

 怒りと情けなさで声が震えた。ルーカスは静かに頷く。


「巻き込まれているのは明らかでしょう。それもこれも、殿下がユウキ殿を理由に結婚から逃げておられたせいですし、責任をとられるべきではないかと思いまして」


 穏やかだが責めるような口調に、クリスはぐっと詰まる。まさかそんな噂が広まっているとは思いもしなかった。もしそうだったら捜索を頼んだりしなかった。恨めしく思いつつも、そういう理由で連れてこられたのであれば、世話をする義務があるようにも思える。


「ええと……じゃあ、補償金を持たせて元の住処へ帰してやってくれ」


 ルーカスは、だが、首を縦に振らなかった。

 手当が足りないだろうかと、もう一度考えなおそうとするクリスにルーカスは言った。


「それがそう簡単にはいかないのでして」

「どういう意味だ?」


 ルーカスは娘を見やると大げさに肩をすくめた。


「この娘、口がきけないようなんですよ。だから誰なのかも、どこから来たのかも全くわからないのです」

「…………」


 クリスはたまらず天を仰いでいた。



 *



 風呂に入れて清潔さと肌の白さを取り戻すと、少女はユウキにかなり似ていることがわかった。

 なによりこの大陸では黒い目と黒い髪の色の組み合わせを持つ人間は珍しい。クリスは自分の記憶を疑わざるを得なかった。


(違う――ちがうよな)


 彼女は話すことだけでなく、文字も書けなかった。それは普通に考えれば当たり前のことだった。大陸での識字率はまだまだ低い。字が読めるほうが珍しいのだ。だが、高度な教育を受けていないとなると、ますます彼女がユウキだとは思えなかった。ユウキは文字が書けたし、文字を操ることで高度な考え方もできていた。


(俺は、あの娘がユウキでなければいいと思っている?)


 あんなに会いたかったのに、やっと目の前にそれらしき人物が現れたのに――どうして否定の言葉ばかり出てくるのか。

 もしかしたら、記憶を失っているだけの本人かもしれないではないか。

 なんといってもユウキはこちらの世界で一度死んでいるのだ。そして異世界からの移住者なのから、何が起こってもおかしくない。

 そう考えると不穏な考えが湧き上がる。


(そもそも、ユウキは、体ごとここの世界にやってきていたのか?)


 三年前、ユウキが眠ってしまってからずっと引っかかっていた疑問が浮上した。前提としてユウキが向こうの世界で目覚めたとして(これはそう考えないと、クリスが後悔で死にそうになるからだ)。

 こちらに体を残していったとなると、あちらでは体がないということになってしまう。目覚められるということは、あちらの世界にもちゃんと体があるということになる。

 となると、一つの仮定が浮かび上がる。


(あの体が、この世界でだけ使う、単なる容れ物だったとしたら?)


 それがクリスが一番納得できる答えなのだ。だが、そう考えると――。

 少女を見つめると、彼女はクリスを見つめ返してきょとんとした表情を浮かべる。知らない者を見るような熱のない表情。見ていると体の芯が冷え込んでいくのがわかった。


(そして、容れ物には、他の人格が宿ることが可能だったとしたら?)


 不可思議な現象の仕組みについて考えても答えが出るわけがない。だけど怖くてたまらない。


(もし――もし、あちらの世界から別の人間がやってきて。あの身体に、別の人間の魂が宿っていたら、どうなる?)


 そう考えると、雰囲気や性格、持つ知識が違うことのに説明がつけられる気がしたのだ。

 もしそうなら――その時は、今度こそユウキが本当に消えそうで。クリスは怖くてたまらなかった。



 *



 結局、素性がはっきりするまでは、少女を城で保護することとなった。といっても口のきけない娘の使い道などそう多くはない。しかも自分のせいで無理矢理に連れてこられた娘を下働きなどで使うのはためらわれ――クリスは王妃の力を借り、素性を偽って客人として扱うこととなった。

 パンタシア北部に領地を持つバスク子爵の令嬢、エミーリエ=ハウプトマン。それが彼女の偽りの身分と名前だ。


(もうあの人には頭が上がらない)


 胸の内で嘆息する。ユウキという弱みが消えたかと思うと、新たな秘密を握られるなど――これも長年に渡る彼女への嫌がらせの業であろうか。


 エミーリエはしゃべらないけれども、パンタシアの言葉は理解できるようだった。問えばうなずいたり、首を横に振ったりなどの簡単な身振り手振りをして意思疎通を計ろうとはしていた。

 熱心な様子に、ユウキの面影を見つけて、クリスは度々彼女の元へ訪れていた。もしかしたらという想いを捨てきれないのだ。

 せめて筆談ができればと文字を教えようとするけれど、難しいのか首を横に振るばかりだ。


「君をエミーリエと呼ぶことにした。こう書くんだ。わかる?」


 エミーリエ、と書きかけて、ふとクリスは《夕姫》と書きたくなった。どんな反応をするのかを確かめたかった。

 だがエミーリエはこれはなんだと言わんばかりに首を傾げるだけ。やっぱり別人なのだろうか。クリスはがっかりする。

 エミーリエは名前の練習をすることもなく、すぐにペンを置くと、茶をいれだした。


「そんなことはしなくていいから。君はここでは客人なんだから。侍女を呼ぶから字の勉強をしてほしい。聞きたいことがたくさんある」


 止めてもエミーリエは必要ないとでも言いたげに首を横に振った。そして丁寧な手つきで茶器を運ぶと、クリスの前にそっと置いて微笑んだ。

 黒目がちな目が甘く細められる。

 紅を薄くひいた唇が、優しいカーブを描く。

 小さな前歯が白く光る。

 そんな、気取らない笑い方は貴族の娘はめったにしない。

 ――それはまるでユウキが笑ったようで。

 どくん、と胸が脈打って、クリスはぎょっとした。

 逃げるように席を立ちながらも、口からこぼれたのは「また来る」という言葉だった。


 廊下を駆け抜ける。侍従たちが訝しげに振り返るけれども、構っていられないほどクリスは取り乱してしまっていた。

 エミーリエからは情報を得なければならない。そうして、彼女が何者なのかを確かめなければならない。ユウキでなければユウキを探し、もしもユウキならば――彼女の記憶と言葉を取り戻す。

 そのための「また来る」であるはずだ――クリスは自分の心を分析する。

 だが、クリスの眼裏には先程の少女の笑顔が、笑みを浮かべた唇が焼き付いてしまっている。そして、同時に湧き上がった衝動にひどくおののいていた。

 クリスは彼女に触れたかった。眠ったままのユウキの尊厳を侵すような真似はしないと決めていたけれど、目覚めたとたん、心にかけていた鍵はもろくも崩れ去ってしまったらしい。


(だって……三年ぶりなんだ)


 クリスはその日を待ち焦がれていたのだ。

 だから、目を開けて、クリスを見つめて微笑む彼女がひどく眩しくて。どうしようもなく、膨れ上がっていく想いがあった。


(正体を確かめてもいない。――あれはユウキかどうかわからないんだ)


 必死で否定する。だが、胸の中の想いはどんどん熱を上げるばかり。

 人に任せてもう会わないほうがいいのかもしれない――クリスは思う。だが、甘い誘惑を撥ね付けられるほどの気力が、すでに残っていないのも事実であった。

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