10 欠損の直し方
言葉がなくとも、世界には慌ただしく変化が訪れる。ユウキが何かがおかしいと気がついたのは、ドレスの仮縫いが行われた時であった。
与えられていた地味なドレスを奪われて、充てられたのは色とりどりの美しい布だった。形作られていくドレスは、すべてレースや刺繍をふんだんに使った豪華なもの。オフィーリアという少女の身分の高さを否応なく思わせた。
(お姫様……だったりして?)
そんな風に思っていたユウキだが、仮縫いが終わりに近づいた頃、ドレスの色がどう考えてもおかしいと不安になる。
(欠損……してるわけじゃないよね? 欠損は言葉だし……)
ぐるぐると考えてしまうのも仕方がない。ドレスは真っ白な絹で出来ていたのだ。
(ウエディングドレスに見えるんだけど……まさかね?)
まさかまさかと自分を偽っていたけれど、緻密な模様の描かれた豪華なマリアベールまで出されてしまえば、ユウキの混乱は最大値になった。
「あ、あの! まさかだけど、結婚とか、しないよね? だってわたし偽物だよ!」
必死で訴えてみるけれど、誰も不可解そうな顔をして首を傾げるだけ。相変わらず全く通じない。
「――――?」
逆に話しかけられる。けれど、理解できないのは同じだった。ユウキは小さく首を振ると、天井を仰ぐ。
(ど、どうしたら欠損って治るの……?)
話がここまで進んでいるというのに、全く変化がないというのが恐ろしかった。ルールが変わったのではないかと不安になる。仮縫いが終わり部屋に戻ると、ユウキは慌ててノートを確認する。
『7 世界には欠損がある。これは君という異物が入ったがための
「つまり、欠損が治ってないってことは、完結に向かって話が進んでいないってことになるよね……?」
ユウキの行動が物語の進行をなんら助けていないということになる。これは、まずい。ユウキはにわかに焦った。
(だって、わたしは、現実に帰らないといけない)
やっと母を取り戻したばかりだというのに。さよならも言わずにここにやってきてしまったのだから。
クリスには会いたい。だけどそれは、彼に待たなくて良いと伝えるためだった。だから、ユウキは別れを告げずにやってきたのだ。少し前なら、母が悲しむなどとは思えなかった。だけど今はもう、母の泣き顔がしっかりと思い浮かんでしまう。そして、その像にユウキの胸は締め付けられた。ユウキはもう、現実を――母たちを捨てようなどとは思えない。
「帰らなきゃ――わたし……しゃんとしないと!」
ユウキは両手で頬を叩く。どこかで欠損に甘えていた自分に気がついたのだ。不便だから。言葉が通じないから。だから物語を特定出来ないとどこかで諦めていたのだ。
自分を哀れんで嘆くのは楽だけど、それは甘えだ。甘えたままではこの厳しい世界から脱出できない。クリスに再会もできないし――欲しいものは一つだってつかめない。
自覚したら目から鱗が落ちる思いだった。
(とにかく、このまま流されるままじゃまずいから……。今わたしにできることは一体なに?)
顔を上げたユウキの視界に童話集が飛び込んできた。文字化けしているからと開くことさえしていない。だが、読めと言われているような気がして、思い切って開くと、文字化けしたままの文章の隣には美しい挿絵がきらきらと物語を彩っていた。
(そうだ言葉から情報が得られないなら――絵を見ればいいんだ)
「よし。まず、今までのことを整理してみよう。そして、挿絵と照らしあわせててみる」
口に出して、心を奮い立たせた。わからないと投げていたけれど、なにかヒントになるものが出てくるかもしれない。
ノートに『今までの出来事』とペンを走らせる。なめらかな書き心地は現実での授業を思い出させた。頭を使うためのスイッチが入る気がする。
(ええと――まず、今回は教会みたいなところに落ちたんだよね。教会が出てくるお話なんてあったかな……)
思い浮かばずにユウキは唸った。ユウキの知っている童話で、出てくるものはなかったように思えたのだ。
(そもそも神様が出てくるお話はあったっけ? おまえの落としたのは金の斧か? 銀の斧か? とか――あれって神様だっけ? 仙人? どっちにせよ教会は関係ないっぽい……?)
考察には知識があまりにも足りない。初っ端から詰まってしまったユウキは、ひとまずその項目を後回しにすることにする。受験勉強でもそうだったけれど、詰まったからといってそこで問題を解くのを諦めては、合格にたどり着かないのだ。言われたのは、まず全体を見渡して、出来そうなところから手を付けること。
しかし、
(次は――オフィーリアとぶつかったこと? わたしとそっくりな女の子……)
女の子とぶつかるというシチュエーションも思い浮かばない。試しにと童話集をパラパラとめくって挿絵を見てみるけれど、該当する絵はやはり見つからない。そもそも挿絵というのは、話の特徴的なシーンのみを描いているのだ。シンデレラであればガラスの靴を落とすところであったり。白雪姫であれば、毒りんごを手に倒れる姫の姿だったり。細かいエピソードは全て文字で書かれている。これもその一つなのかもしれない――ユウキは途方に暮れかけた。
だが次ページ、ガラスの棺に眠る姫とそれを見守る王子の挿絵を見たとたんに、切れかけたやる気スイッチが再び入った。
(ああ、だめだ。諦めちゃ)
首をブルブルと振ると、不安を無理やり押しつけて次に進む。
(三つ目は……行き倒れている男の人、か)
ユウキはますます混乱してきた。行き倒れの男を拾うような話など聞いたことがない気がしたのだ。挿絵を見てもそんなシーンは見つからない。
「いきなり難易度、上げ過ぎだよね……」
肩を落としてグリムへの不満を漏らすユウキだったが、なんとか思考の縁にしがみついた。ここで諦めたら、振り出しに戻ってしまう。せめて一歩だけでも進みたい。
(まだ、まだ材料はある。ほら、そうだ。わたしは今から結婚するかもしれないんだし――)
ユウキはぐっとこらえて四つ目のエピソードを書こうとして……目を見開いた。
(結婚!? ――って……わたし、他人事みたいにぼうっとしてたらだめじゃない?)
ついつい物語を完結に導くというルールの上で考えてしまっていたけれど、さすがに結婚にはすさまじい拒絶反応が出た。
(だって――結婚とか、したくないし!)
そう考えたとき、するり、と『クリス以外とは』と頭のなかに浮かんできてしまった。
同時に、白雪姫である自分が彼の目の前で目を覚まし、彼が自分に結婚を申し込むところまでが眼裏に怒涛の勢いで浮かび上がる。ユウキは、ぎょっとしてその妄想を追い払おうとする。
「いやいやいや――だから、わたしはクリスには待たないでって言いに来たんであって――」
だがいくら追い払おうとしても、暴れだしたユウキの心にはなかなか蓋ができない。膨れ上がる気持ちが恐ろしい。慌てて理由を探して口に出す。とにかく頭を切り替えたかった。
「そうだ! わたしってそもそもオフィーリアの身代わりだよ!? やばいって!」
と、その時、部屋の扉がノックされて、訝しげな顔をしたハンナが現われた。
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