6 歴史への敬意《イストリア》


(あんまりだ。あんまりすぎる。たかが一冊の本を壊しただけで、ここまで過酷なゲームに巻き込むなんて、あんまりだ!)


 ユウキはクリスに背を向けると、森の更に奥に向かって走りだす。そして小屋が見えなくなるまで駆けると、膝を抱え込んで歯を食いしばる。


「全部、全部一からやり直しじゃない。――ねえ、上から見てて面白い!?」


 だけど答えが返ってくるわけもない。膝に抱えた制服のスカートがじわりと涙で湿る。泣いてもしょうが無い、泣かずに頑張ろうと思っていたけれど、もう堪えきれなかった。

 ふと人の気配を傍に感じた。追いかけてきたクリスだった。


「ごめん、そんなに怒るとか思わなかった――ちょっとしたイタズラのつもりで――っていうか、気づかないはずないと思ったんだけど」


 慌てて着たと見えるドレスは重そうだった。髪もまだ濡れたままだ。見ると捻挫した方の足を引きずっている。放っておけばいいのに、馬鹿だと思う。


(せっかく良くなってきてるのに、ひどくなったらどうするのよ)


 ユウキは無言で彼の腕を引っ張ると近くの岩に座らせる。そして、ハンカチを取り出して彼の頭を拭く。髪からはまだしずくがぽとぽと垂れている。だから、全然足りないけれど、しないよりましだと思った。

 クリスはおとなしく頭を拭かれている。逆らったら許さないというオーラが出ているのかもしれない。

 そうしているうちに、頭が少しだけ冷えてきた。


(男の子……かあ)


 改めて見つめてみると、そうかもしれないと思えてきた。タクヤという年の同じ弟がいるせいで、十五歳の少年に先入観があったのだ。タクヤは野球部所属のせいで、肩もガッチリしているし、日に焼けて、何より髪が短く――とにかく男臭いのだ。比べて目の前のクリスは、確かに線が細く、美しい外見だ。けれど、少女にしては少しだけ線が固すぎる。それに、ユウキの声より弟のタクヤにトーンが近いと思った。

 つまり、見抜けなかったユウキも悪い――かもしれない。

 少しだけ譲ってみると、その分、相手のことを考える余裕が戻ってきた。


(王子様が女装など、普通じゃないし、何か事情があるのかも……)


「なんでそんな――ドレスとか着てるわけ」


 まずそこは聞いておかないと。ユウキが半眼で問いかけると、クリスは目を伏せて言い訳をした。


「だから……ええと嫌がらせの一環で……こうしてると父上が母上を思い出して、ババアがめちゃくちゃ嫌がるから」

「こどもっぽい。馬鹿みたい」


 思わず本音が漏れる。だけど、怒りに任せて本音を言う自分だって、同じようなことをしていると思って恥ずかしくなる。

 ユウキが本を読まなくなったのは、母が嫌がるから。母が愛する物語を拒絶するのは、ユウキの唯一かつ、最大の反抗だ。

 客観的に見ると、ずいぶんこどもっぽいとユウキは思った。

 反撃されても構わないと構えていたけれど、クリスはあっさりと認めた。


「だな。あんたには関係ないのに、巻き込んですまなかった。傷の手当までしてくれたのにさ――からかってごめん」


 拍子抜けしてまじまじと見つめると、彼は照れくさそうに頭をかく。


「あんたは俺を助けてくれた。――今度は俺が助ける番なんだろ? 聞かせてくれよ。何があった。どうしてこんなところにいる?」

「言っても信じてくれない」

「言ってみないとわかんないだろ」


 ユウキは僅かに顔を上げる。そして視界に入った色に、目を瞬かせた。


「あれ――?」


 とっさにユウキはクリスの唇に指を伸ばして、


「なにするんだ!?」


 ぎょっとした彼に振り払われる。


「――あ、ごめん」


 年下とはいえ、可憐な女子にしか見えないとはいえ、男の子の唇に触ろうとしたことに気がついて焦る。でも恥じらいよりも驚きが勝った。ユウキは彼の唇から目が離せないでいた。なぜなら、先程まではグレーだった唇がほんのりと桜色に色づいていたからだ。


「欠損が……修復されてる? いつから?」

「……欠損ってなんだ?」


 クリスを無視してノートをポケットから取り出し、ユウキはルールを注視した。


「『世界には欠損がある。これは君という異物が入ったがための不具合だ。話が進むとそれが同時に修正されるから、完結への指針にすればいい。欠損は物語によって異なるから、自分で見つけてくれ』――ってこれなに?」


 クリスが横でユウキの視線を追ってすらすら口に出し、ユウキは愕然とした。


「え、……読めるの?」


 どう見ても日本人じゃない彼が、明らかに日本語で書かれた文章を読んでいるのは違和感がひどかった。そういえば、名前の字面を聞かれた時にも思ったけれど、あれはたった二文字の記号みたいなものだからまだ納得していた。二度目の――いや、話が通じると知った時もだから三度めのびっくりといった感じだ。

 クリスは頷く。


「読めるのかって、こっちの台詞だけどな……なにこの紙。すげえ白くて薄くて綺麗。どこの技術だ、これ」


 半笑いの顔は、感嘆よりも気味の悪さが勝っている感じだ。だけど目をそらさない彼は意地でも聞いてやるという様子だった。はぐらかすのは難しそうだ。


「う、ん……――笑わないって、あと、医者に連れて行かないって約束してくれる?」


 クリスは真面目な顔で頷いた。さっきユウキを追いかけてきてくれた時と同じ真剣な顔。その顔を見ていると、信じてくれるかもとなぜか思えた。


 ユウキは順を追って説明する。

 自分が日本という国からやってきたということ。

 図書館で本をバラバラに壊したあと、本の中に飲み込まれてしまったということ。

 グリムと名乗る男に出会い、混乱した物語の修復を命じられたということ。

 その修復すべき物語に、クリスが大いに関わっている可能性が高いということ。

 そして、ユウキもまた、どこかで物語に関わっていること。

 そこまで言うと、クリスは少し考えこんだあと、ポツリとこぼした。


「つまり、俺たちは本物じゃないってこと? 誰かの空想の産物?」


 ユウキはひやりとする。今の今まで、心の奥底でたしかにそう思っていたと気付かされたのだ。いや、思いたがっていた、が正しいかもしれない。ここは偽物の世界。絵空事の世界だから――何が起こってもユウキは責任を取らなくても良いと。

 だけど、クリスを目の当たりにすると、とてもじゃないけれど、空想の産物などとは思えない。ユウキの現実のはずの世界がもしかしたら夢なんじゃないかと思えるくらいに、この世界はリアルだ。――だから、怖いのだ。

 グリムは彼らを導けと簡単に言ったけれど、意志のある人間を自分の思い通りになんて、動かせるわけがない。

 ――毒りんごを食べて死んでくれなんて、頼んでも、やってくれる人間がいるわけがない。

 これはやっぱりばらばらになった紙芝居ではないのだ。

 まるでこの世界の神のように、上から目線でうまくいく気がしていた自分はどれだけ馬鹿なのだろう。


 じわじわと実感して、ユウキが自己嫌悪に沈み込むと、クリスは大きくため息を吐いて、頭をガシガシとかいた。いまだ色の分からない髪はグシャグシャになったあと、すぐにストンと元の姿を取り戻す。結い髪を解いてしまえば、ストレートパーマでもかけたかのような見事なさらさらヘアーだ。そういえば、これは地毛なのだろうか。男の子でこれほど長いとなると、そういう文化なのかもしれないけれど……少し気になる。


「で、ユウキは、もう目星がついてるのか? ここがどこで、俺が何者なのか」


 彼は不思議と気を悪くしなかったらしい。そのことにほっとする。ユウキだったら、自分の存在を架空のものなどと――軽く思われたのならば、きっと憤ると思ったのだ。


「……わからない」


 わからなくなったが、正しい。ここが童話の中という前提からしてわからなくなった。

 落ち込みだしたら気分がどんどん下降しだして止まらなくなった。そんなユウキに、クリスは言った。


「正直、ちょっと信じられないんだけどさ。だけど――」


 クリスはユウキの服をじっと見つめる。ユウキも自分の姿を見下ろした。学校帰りの制服は、今はあまり見かけなくなった紺色のセーラー服には白いタイを結んでいる。スカートは膝丈のプリーツスカート。それに脱いでしまって今は裸足だけれど――紺色のハイソックスにローファーだ。彼は物珍しそうに観察したあと、ユウキの顔を見つめ、猫を思わせる綺麗な目を細めた。


「その服とか、髪の色とかさ、確かにあんたがこの世界から浮いている気はするんだ。だから……信じるよ。だから、一人で抱え込むなよ」


 じわっと胸に熱いものが湧き上がった。心細さを拭われて、ユウキは涙を堪えきれず、思わずうつむいた。

 弟と変わらない歳の男の子が、ユウキ当事者でさえ信じきれていないとんでもない話を信じてくれて、前を向かせようとしてくれている。情けなくて恥ずかしかったのだ。クリスは少し戸惑った様子であーとかうーとか呻いていたけれど、やがて「ほら、ここ見て」とノートを開いてくだんのルールを指でなぞった。


「ここさ、最後に書いてあるだろ?」

「え? 『ああ、それから、物語がその物語の色を失わない程度の脚色は可能だ。』っていうの?」


 クリスは頷く。


「これでうまくいくんじゃないのか?」

「脚色……」


 ユウキはふと昨夜考えていたことを思い出す。クリスが王子でなければ、その方向性で進もうと考えていた方法だ。

 要素から話を推理する。まず物語の要素を抜き出していく――。

 考えながら、もう一度ルールを最初から読み直す。そして目を見開く。


「え、これ、最初からこう書いてあった?」


 だとしたらショックで流し読みしていたとしか思えない。いや、あの時は紙芝居のように並べ替えることばかりを考えていたから、そうとしか読み取れなかったのだ。


『君にはそれぞれの物語特有の特徴的な要素をかき集めて再構成し、物語の完結を目指してもらう』


 読み上げたユウキは呟いた。


「――つまり、わたしは、物語の要素をかき集めて、脚色して、話を最後まで作り上げればいいってこと?」


 半ば呆然と顔を上げると、「それだ」とクリスが真っ直ぐな目でユウキを見て頷いた。


「パンタシアの文学にさ、歴史への敬意イストリアっていう手法を使ったものがあるんだけど」

「いすとりあ?」

「古い伝承を下敷きにして、新しい物語を作る手法なんだ。元の物語と新しく作った物語、二重の構造を持つことで、二倍楽しめるっていうやつ。今さ、物語特有の要素をかき集めて再構成、その物語の特色を失わないように脚色するって書いてあったろ? まさにそれだと思ったんだ。――ユウキの世界にはそういうのない?」


 ユウキはあっと声を上げる。

 あまりに慣れ親しんでいたために気づかなかったけれど、ユウキが普段触れている長編アニメーションなどは、まさにその手法を使っている。他にも子供向けにアレンジされた絵本、大人向けにアレンジされた小説もあるはず。そういったのを何と言っただろうか。


「……《オマージュ》だ」


 閃いた言葉を口にすると、クリスはほらね、と誇らしげだ。


「あるんだ、やっぱり。なら、些細な違いは無視して、物語の要素を組み立てていけばいいんだ。ユウキはその《おまーじゅ》ってやつを使って、話を作ればいいんだよ」

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