第16話 研究
時を同じくして、景も自宅に帰って来た。と言っても実家というわけではなく、一時的に借り受けている住まいだ。 外観は、京都にはあまり似つかわしくない西洋風で、黒く傾斜が緩やかな屋根が特徴の一軒家。2階建て4LDKのこの家は、20代前半の男が住むにはあまりにも不釣り合いだ。まあそれも一人暮らしなら、なのだが。
景は玄関から家の中に入り、フローリングの道を進みリビングに到着した。すると、リビングに置いてある高級そうなソファに横たわる女性が目に入った。 息を飲むような黒髪、穏やかな印象を与える目元、艶やかな唇、大人の色気が香るグラマラスな身体、スラッと伸びた美脚……
そんな全てを兼ね備えたような絶世の美女が、真昼間からジャージ姿でゴロゴロしていた。
横たわるなんて上品なものではない。まさに夏休みの帰宅部の男子高校生のようなだらけっぷりである。
「楢崎、いい加減動いたらどうなんだ」
「景ちゃんがうちのこと菖蒲さんって呼んでくれはるなら言う通りにしてもええよ〜」
そんなことを言いながらゴロゴロしている関西弁の女性、
そう、この面倒くさがりな大人の美女こそが景に生活環境を提供している張本人なのだ。
「馬鹿なことを言ってないで、少しは自分の仕事をしたらどうだ」
「そう言われても〜景ちゃんが悪霊相手に戦ってくれへんとデータが取れないんよ〜。だから景ちゃん、うちに仕事させたいならまずあんたが働きいや〜」
景の正論に、菖蒲は謎の暴論で応戦する。しかしながら何故か筋が通ってるように思えてくるから不思議だ。
景は呆れながらも、さらに言葉を紡ぐ。
「俺はちゃんと仕事をこなしている。お前はただ自分の研究が行き詰まって面倒になっているだけだろ」
「うっ……デリカシーのない男の子は嫌われるで」
そう言って、菖蒲はソファの上のクッションに顔をうずめる。
今でこそこのような態度を取っているが、菖蒲にもちゃんと仕事があり、景を雇った理由もある。ズバリその理由とは、悪霊研究の推進のためである。
菖蒲はこう見えて、普段は市内の大学で歴史学者なるものをやっている。と言っても、研究室はこの家の二階と地下、大学にはたまに顔を出す程度、大学の人間は誰も菖蒲が今何の研究をしているのかすら知らない。
そんな異例極まる人物だが、その研究成果はどれも見事の一言に尽きる。ジャンルは日本史に限定されてはいるものの、誰も思いつかないような斬新な視点から、数々の謎を明らかにしてきた。その成果のおかげで、菖蒲は天才歴史学者の名を欲しいままにし、こんな豪邸に住んでいる、という訳だ。
しかしもちろん、その成功には大きな秘密があった。仮にその秘密を除いたとしても、菖蒲が優秀なのには変わらないのだが、むしろこの手法を取り入れるという発想こそ、彼女の優秀さを表しているとも言えよう。
つまり菖蒲は、悪霊研究のプロフェッショナルなのだ。
日本では古くから霊の存在を信じられてきたのだが、今ではその存在のほとんどが嘘偽りだと言われている。
しかし歴史学では、この信仰こそが重要なのだ。歴史とは人類の辿ってきた道そのもので、その中に霊について書かれた文献はごまんと存在する。つまり霊は、それだけ数多くの人に、様々な時代で信じられてきた、ということになる。
ならば、いっそのことその文献の裏付けを悪霊に接触することで確かめてしまおう、というのが菖蒲の考えだ。菖蒲は、陰陽師の原点にして悪霊伝説の溢れかえる町であるここ京都に研究室を構え、片っ端からその真相を確かめているのだ。
そして、そのためには悪霊を消滅させるよりも使役できる人間がいた方が都合がいい。そう考えた菖蒲は、景に給料と生活環境を提供することと引き換えに、自分の助手として働く、という契約を結んだのだった。
そんな理由で、景はこのヘンテコ歴史学者楢崎菖蒲とともに暮らしている。それももう1年は経とうとしている。菖蒲がこうグダグダしている時に、何をすればいいのかは心得ていた。
「そんな事だろうと思って、今日はお前にいい話を聞かせてやる。……先ほど、俺は鬼種を確認した」
「鬼種やて⁉︎」
景の言葉に、クッションに顔をうずめていた菖蒲は、慌てて跳び起きた。その目には光が宿り、興奮を隠しきれない様子だ。
「ああ、だが姿を見ることはかなわなかったから、さしたる情報でもないが、暇ならとりあえずそいつについてでも調べておいたらどうだ。もしかしたら、近いうちに戦うことになるかもしれないしな」
「言われるまでもないわ! で、わかっとる特徴をできるだけ聞いときたいねんけど、近いうちに戦うってどういうことや?」
景の意味深な言葉に目ざとく反応した菖蒲はソファから乗り出し、景に顔を近づけながらそう聞いた。
「今から今日起きた出来事について説明する」
景は菖蒲の言葉に、平坦な口調で答えた。
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