第9話 side ハルカ

背中にこつんという衝撃を受けて、一歩よろけた。

「あ、悪ぃ」

「いえ」

反射的に答えてから、その声がカナタ君のものであることに気づく。

(あれ、オマエこの前の)

(なんだ、今日も来てたんだ)

(あん時はありがとな)

そんなのほんとにただの妄想で、カナタ君はわたしに一瞥をくれただけで

それきり一言もなくそのまま歩いていってしまった。

…馬鹿みたい。わたし、何を期待していたんだろう。

わたしのことなんて、カナタ君はおぼえていないんだ。

自惚れていた恥ずかしさでカッと顔が熱くなる。ここが暗くてよかった。

なぜだか急にからっぽの手のひらが不安になり、

カバンのストラップを握りしめる。指先に触れるものがあった。

わたしはそこに結んでいた青色のリボンを、無造作に解いた。

ちょっと悩んで捨ててしまおうかとも思ったけれど、結局ポケットに入れた。


カナタ君のライブはそこそこ盛り上がった。

最前列を陣取った女の子たちが間断なく黄色い声援を送っていたから。

カナタかっこいい、あの曲やってー、フリスタやってー…

そんなふうに投げかけられる言葉のひとつずつに、カナタ君は

笑ったり怒ったふりをしたり、嬉しそうな表情を見せていた。

そういうのが、いいんだろうかと思う。

わたしは、カナタ君の音楽が好き。それだけでいいと思ってた、でも。


どうして、なんだか惨めな気持ちになるんだろう。


一語一句、囁かれる語尾まで、音源とは違うブレスのタイミングすら

聞き逃したくなくて、息をつめるようにして聴いているわたしと

彼女たちの距離は、きっと果てしなく遠いのだと思う、すぐそこにいるのに。

あんなふうに、わたしは好意を声や態度にして表すことが出来ない。

曲の合間にカナタ君の名前を呼んでなんだよって笑われることも、

気軽に手を振って振り返されることもない。

ライブのあいだじゃなくたって、そうだ。

彼女たちはフロアにいるカナタ君をつかまえては楽しそうにしている。

わたしみたいに曲への想いを募らせて、その姿を盗み見しているわけじゃない。

そして、いうまでもなく彼女たちはきらめいていて、わたしは無様だ。


どうして、こんな気持ちになるんだろう。

そんなの、変だけど。

傷つけられたような気になっている、いちばんの理由はあの曲。

今夜のセットリストには影も形もなくて、

カナタ君はわたしを覚えていないどころか、あの時のわたしの言葉も

届かなかったんだ、と思ってしまったから。


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