第3話 公園 子供のお面

 駅を出て、コンビニを過ぎると後はひたすら平凡な道になる。住宅地を歩いて歩いて、その途中にあるのが小さな公園。このあたりに住む子どものための遊び場だ。私も、友達がここら辺に住んでいるからこの公園で遊んだ記憶がある。もう結構暗くなってきてるから、遊んでる子はいないだろう。空は完全な黒ではないが、闇の気配をはらんだ濃紺になっている。地平に近いところでまだかろうじて朱色の光が一線を描いてる。

 私はちょっとだけ公園に顔をのぞかせてみた。公園の中心には、あいかわらず小山のような滑り台。上の方が風化して茶色くなっているから皆からはタコ焼き滑り台と言われている。その右横にはうんてい。滑り台の奥にはブランコ。あれ? 回転式ジャングルジムが前はあったんだと思うけど……。

 つい気になって私は公園の中へ入ってしまった。滑り台の左横は、何もなく、ぽっかりと無が漂っていた。近くに看板が立ててあった。読んでみる。

『回転式ジャングルジムの撤去について。地域の皆さまのお声があり、子どもの安全性を考慮し撤去させていただきます』

 子供の安全性。私はなんだか鼻で笑ってやりたくなった。まさかケガなんて一つもさせずに育てるつもりなのかな? そんなのいつか滑り台でもうんていでも撤去させられる。ケガをしなきゃ、危ないってことも学習できないのに。大人はきっと習得して長い時間が経つから、学習方法を忘れてしまったんだ。

 早く帰ろう。呆れてしまった私はさっさと公園を出ようと思った。入り口を見ると、小さな子供三人が楽しげに笑いながら公園の中へ入ってきた。暗くなってきたのに、今から遊ぶの? 私がビックリしてると子供の一人が私を見つけた。でも目は合うことはなかった。

「お姉ちゃんも遊ぶの?!」

 ハツラツとした、周りに元気だぞと伝えるような声。その子はお面をつけていた。奇妙なのは、お面は俗に言うライダーとかレンジャーではなく普通の人間の顔だった。口元を大きく引き、えくぼができている。俗に言う満面の笑みの男の子のお面だった。

「遊ぶ?!」

 男の子(満面の笑み)が私の近くに寄ってきた。私は慌てて看板を指差した。

「ま、前はここに遊具があったのに、なくなってたからビックリして」

「お姉ちゃんも遊んでたの? 僕ら、これがなくなったから困ってるんだ!」

「困ってる?」

「度胸試しができなくなっちゃった!」

 そう言って男の子(満面の笑み)は他の子の方へかけて行った。私は誘われるように後をついて行った。タコ焼き滑り台付近で、二人の後ろ髪が一斉に振り返る。でも目が合うことはなかった。その子達もお面をつけていた。一人の子は世を儚んだ、いかにも母性をくすぐるような微笑を浮かべたお面。もう一人の子は、世の中の人間の笑顔を平均すれば出てくるような一般的な笑顔。三つの笑みが私を頭の先からつま先まで見るように首を動かす。

「早く遊ぼうよ!」

 男の子(満面の笑み)が二人に言う。この子はもう私のことは気にしていないようだ。滑り台に登って行く。

「うんー」

 男の子(微笑)が舌足らずな言葉で返事をする。男の子(笑顔)も少し私のことを気にしつつ、男の子(満面の笑み)について滑り台の上に登って行った。

「あ、待って待って」

 夜の公園で人間の顔のお面をつけた子供が普通に遊ぶ。滑り台を滑り走り回り顔を寄せ合って秘密を共有する。私もこうやって遊んでいた。なににも不思議に思うことはない。ただ、精巧に作られた人の面をつけているだけ。

「ブランコ誰が一番高くこげるか勝負!」男の子(満面の笑み)

「僕いっちばん上までいけるよ」男の子(笑顔)

「えぇー。こわいなぁ」男の子(微笑)

「行くよぉ!」

 男の子(満面の笑み)がブランコをこぎ出す。男の子(笑顔)もこぎ出す。男の子(微笑)はブランコが二つしかないので、近くで見守っている。手を後ろに回して組んでちょっとのぞきこむ様にブランコをこぐ二人の様子を伺う。

 キィ……キィ…

 二人はどんどんこいでいく。

 キィ……キィ…

 鎖を軋ませて二人は空に向かって体をそらす。

 キィ……キィ…キィ!

 限界の悲鳴をあげたのは鎖だった。二人の体は空に向かった後それ以上は許さないという鎖に地面に引き戻され、鎖を垂らす鉄の棒に落ちてゆく。私が悲鳴をあげる間もなく二人の体は鉄の棒に打ち付けられた。

「わぁ」

 男の子(微笑)がひじょうにゆっくりとした口調で驚きの声を出す。鎖が暴れ、甲高く叫びながら元に戻る。二人は鉄の棒に仰向けになって布団の様に干されていた。

「だいじょーぶ?」

 大丈夫なわけないじゃない。私は思わず男の子(微笑)を睨みつけた。視線を感じたのか男の子(微笑)がこっちを見、首をかしげる。私が睨む意味が分からないようだ。

「へいき! きのうもやっちゃったし!」

「また失敗した」

 突然、仰向けの二人が起き上がり重力に任せて地面に落ちる。私は彼らの代わって痛みに顔を歪めた。

「次はあっち!」

「また滑り台ぃ」

「違う違う。たこ焼きに登って放るの」

 私の横を通り過ぎて、三人がたこ焼き滑り台に登る。いつの間にか男の子(笑顔)が両手で包むように何かを持って滑り台に登る。

 何だろう? 私は滑り台に登った三人がよく見える位置まで下がった。三人はてっぺんでおでこをくっつけてないしょばなしをし、それから男の子(笑顔)の手の中から緑色の中指……いやイモムシを取り出した。

 暗くなった世界で緑のイモムシだけがのたうちまわっている。私は一歩下がった。男の子って虫とかグロテスクなもの好きだよね。小学校の頃、男子がよく好きな子に虫を向けて追いかけてたりしてたっけ。そういや私もアリの行進とか友達と見ていたな。

「いっくよー!」男の子(満面の笑み)

「おー」男の子(笑顔)

「そぉれ」男の子(微笑)

 そぉれを合図に三人が三人ともイモムシを放り投げる。どれも私に向かって放られる。 私は慌てて避けた。あたっていないけれど、コートやスカートの裾を手で払ってしまう。三人はさっきまで私が立っていた場所に向けてイモムシを放る。私に向けて投げつけてたわけじゃないらしい。緑のイモムシは地面に落ちると体をひねってなんとかこの場を逃れようとする。仰向けに落ちてしまうと、何本もある短い手足を一本ずつが違う方向にうねる。

「次はこうだー!」男の子(満面の笑み)

「えい」男の子(笑顔)

「うむむ」男の子(微笑)

 滑り台のてっぺん。

 三人のお面をつけた子ども達がイモムシを両手に立つ。三人はおもむろにイモムシの頭と尻尾を両手で掴む。それから思いっきり引っ張りだした。イモムシは喋れない。だから悲鳴をあげられない。痛いとも止めてくれとも言えない。それを知ってか知らずか三人はイモムシを容赦なく引っ張る。

 ブチっ…ブチブチっ──!

 聞こえるはずのないちぎれる音。三人の手の中でイモムシは二つになった。緑の体からイモムシの体液がどろりどろりと滑り台に垂れる。

「えーい!」

 男の子(満面の笑み)が元気良く言った瞬間、ちぎったイモムシも楽しげに放り投げた。私はもうなにがなんだか分からなくなってしまって、バカみたいに口が半開きになっていた。放物線を描いて体液を空中に撒き散らすイモムシを目で追う。

 そのうちの一つ。多分頭が私の方に飛んできて、よける間もなく口の中に滑り込んだ。一気に口の中に、なんとも言えない生臭い苦味が広がって、ねっとりとまとわりつく。頭は勢いあまって喉を通り、私はそれを飲み込んでしまった。柔らかい、でも固い。何本もの足が喉を撫でるようにして通り越した。口の中に体液が残る。食道がざわざわする。かきむしりたい。口に手を突っ込んで血が出るまでかきむしって、その後胃袋まで手を伸ばして頭をつまみ出したい。

 頭を飲み込んだ時、私はふとアリの行進を見た後のことを思い出した。私は友達とアリの行進を追って、巣穴にたどり着いた。小指の指先よりも小さい穴。中は真っ黒。どうしてそうしようと思ったのかは、もう覚えていない。ただ私と友達は地面の砂をひっつかんで、巣穴に戻るアリを見ながらその穴に砂を落とし、最後には水を流し込んだ。入口が小さな穴だから、巣も小さいものなのだろうと思っていた。小ぶりのバケツ一杯で十分と、友達と漏斗を使って丁寧に水を注いだ。けれど予想に反して、バケツは何倍も必要になった。私たちは無言でバケツに水を入れては漏斗に注ぐ。

 水で溢れかえった穴の中から一匹、アリが浮かんできた。死んでいた。でもそこには罪悪感も何もなくて、ただアリの巣はでかいのだと学習しただけ。

 うえぇえぇぇ。

 私は盛大に吐いた。公共の場である公園のしかも人気のある滑り台の近くで吐瀉物を撒き散らした。吐いたものの中に緑色のイモムシの頭があった。濃紺の世界の中で朱色の弱々しい光がイモムシを立体的に見せる。

 うえぇえええええ。

 私は二回吐いて、口元をぬぐった。視線を感じて顔を上げれば三つのお面が私を見ていた。イモムシは投げ尽くしたのか、手が体液でベトベトになっている。

「なんで吐いてるの?」男の子(満面の笑み)

「なんで睨んでるの?」男の子(笑顔)

「なんで怖がってるの?」男の子(微笑)

 三人が一言ずつ私に問いかける。いや、誰か一人だけだったかも。なんせお面で顔が分からない。それにしゃべり方が一緒だ。でも声が違う。

「なんで? 自分もやってたくせにさ」

 最後の言葉は誰が言ったのだろう。 私は胃液にまみれたコートと口元で、撤去された回転式ジャングルジムの方を見た。それからブランコ、滑り台へと視線をうつす。

 ───ふん

 鼻で笑われた。

 私は力が入らず頼りない足を動かし公園を出た。振り返るとまだ濃紺の空の下、三人の子供が居た。滑り台の上で口の開かないお面をかぶり笑っている。

 その声は子ども特有の透明なものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る