第30話・海
火を落としてから窯出しまでは、作品の冷却期間としてまる一日置かなければならない。本当はもっと日数をとってゆっくりと冷ましたいのだが、そこはタイトなスケジュールで動く苦学生の身。いったん家に帰って、またはるばる越前まで出掛け、作品を引き取り、持ち帰る・・・なんて鷹揚なことはしちゃいられないのだった。
というわけで、間に一日ぽっかりと時間が空いてしまったオレたちは、思いきり夏休みを満喫することにした。みんなで車に分乗し、山あいを北へ北へと向かう。急なのぼり坂を、ツカチンの軽はえっちらおっちらと進んだ。ようやくてっぺんまでくると、今度は林にかこまれた長い長いくだり坂。緑のトンネルを疾駆する。やがて地面が平坦になってきて、樹々の向こうに視界がワッとひらけた。日本海の深いブルーは、盛夏のまばゆい光線の中で透き通っていた。おだやかな潮風。のんびり移動する雲。ひさびさに心が開放された。
越前の荒々しい岩をけずってつくられた海岸道路をひた走り、やっと見つけた砂浜に降り立った。「海水浴場」ってやつだ。女子は目にもまぶしいふとももをさらして、次々に波間に飛びこんでいく。男子はその尻を追っていったり、別のビキニを目で追いつつビールを飲んだりした。
沖縄出身のツカチンはこの日のために、みがきたてたモリと、素もぐり用のゴーグルを用意していた。
「こんなこともあろうかと思ってたのさ。ふふ・・・」
かっこよく魚を獲って、また女子にモテようというのだ。どこまで貪欲な男なのだろう。オレはリーダーとして、ヤツのそんなスタンドプレーを見すごすことはできない。さっそく言いがかりをつけてその遊び道具を取りあげ、ひとりでテトラポットの奥で魚を突いて楽しむことにした。
夏らしい夏だった。陽光が水面を透かすと、足の指の間をくすぐる砂粒までがくっきりと見える。もくもくともり上がる入道雲は、幼い日の写生大会で配られた画用紙のようにまぶしい。もぐると、鼻先を小さな魚の群れが横切る。カニが岩礁にはりついている。オレは不細工にもがいては水中にもぐり、獲物を追った。ところが、海イグアナのように泳ぎが達者なツカチンが、いく先々に姿をあらわしてはジャマをする。こちらを向けばヤツの尻に遭遇し、あちらを向けばヤツのバタ足のあぶくが立っている。実にうっとおしい。ヤツのせいで何匹の獲物を逃したか知れない。仕方なく、成果なしのブザマな姿でオカに上がると、女子たちはあからさまに嘲笑する。オレは逃した獲物の巨大さと、海中での格闘ドラマを語って聞かせるので精一杯だった。
春・夏の訓練校での生活と、越前合宿の濃密な日々で、男女のツガイが二組ばかり誕生していた。そんな若いふたりはグループを離れて、浜辺にむやみに小さなシートを敷き、ふたつの尻を寄せ合って過ごしていた。一方、ガールフレンドのできないオレとヤジヤジ、そしてガールフレンドをしぼりきれないツカチンは、いかつい背中を寄せ合って苦いビールを飲んで過ごした。熱くて粗いアワ、鼻の頭を焼くむき出しの紫外線、目の前を通りすぎる色あざやかな水着、焼きトウモロコシのかんばしい香り、サジの上でとけるかき氷、風にころがるビーチボール、規則正しい潮騒・・・時間はゆっくりと流れた。砂浜からぼーっと沖をながめて、遠くにはずむ声を聞いていると、土にまみれて格闘しているハードな毎日が夢のように思える。いや、逆だ。このたのしいたのしい一日が幻想じみているのだ。
あとから振り返ると、訓練校に席を置いた一年間で焼き物のことを忘れられたのは、この日一日だけだった。
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