第31話・アトリエ
ロストルから勢いよく空気を送ったおかげで、棚のかなり奥まで灰が飛んでくれたらしく、窯出しされた作品はどれも上々の焼きあがりだった。なるみさんは赤ら顔で、「ミラクル」とほめてくれた。90%まで満足の出来で、歩留まりの悪いマキ窯にしては奇跡的な大成功焼成だったのだ。ツカチンの一対のシーサーは他を圧する威厳を身につけ、ヤジヤジのランプシェイドは高い格調を手に入れた。オレのツボもたっぷりと自然釉をかぶって、なかなかの出来映えだった。最前列を独占するオレの作品だけがうまくいったらどうしよう・・・などと焼成中はムシのいいことを考えていたのだが、みんなが傑作を手にしたおかげで、どうやら袋叩きはまぬがれた。
夢のような九日間が終わり、訓練生はひとまわり大きくなって越前をあとにした。ひとつの出来事を積み上げるたびに、自分が更新されていく。そして新たな境地に突き進む気力を手に入れるのだ。すぐに二学期がはじまる。夏休みの経験は陶芸熱をさらに上昇させ、オレにひとつの決断をさせた。
ーろくろを買おう!ー
学校で様々な作業をこなすうちに、自分のやりたいことが明確になっていた。また、越前で目の当たりにしたクラスメイトのがんばりにも刺激された。きたない彼らは「なーんも知らんもんねーぼく」みたいな顔をしながら、陰険なことに、こっそりと家にこもって大量の作品と自分の個性とを形づくっていた。オレの「スキあらば出し抜いてやる」という目論みは、だれもが共通に考える、職人としては至極当然の意識だったのだ。
となると、こうしちゃいられないではないか。さっさと電動ろくろを手に入れて、学校でも帰宅後でも、だれよりも多くの時間を創作に費やし、連中をギャフンと言わせてやらなければならない。決めたら即、少ないたくわえを散財してろくろを購入した。とにかくいちばんになりたかった。
ボロアパートの六畳一間にやってきたろくろは、タテ・ヨコ・高さ各60cm、重量45kgという大物だった。タタミの床が沈みそうだ。かといってベランダで雨露にさらすわけにもいかない。とりあえず、部屋の壁すみに大きなコンパネ(厚板)を敷き、その上にろくろを置いてみた。さらに、壁とは逆の側面にも板を立てて間仕切りとし、生活空間から独立した制作スペースを設けた。壁と板とで囲われたコンパクトなアトリエというわけだ。その場を占拠していた万年床が浸食されるが、布団の上半身部分はコンパネの上に敷くしかないとしても、下半身を押し入れにつっこめば十分に寝るスペースは確保できる。ろくろを使うときは、布団を巻きあげればいい。枕元にビニールシートでも敷けば、布団はよごれないだろう。周囲の壁には大きなゴミ袋をペタペタと貼りめぐらせて、どの方向に粘土が飛び散っても大家さんからイチャモンがつかないようにした。
カンペキだ。お茶の世界でえらいとあがめられている千利休さんは「世界なんて二畳あったら十分ですわ」みたいなことを言ったらしいけど、オレは六畳間の中に一畳の小宇宙をつくったのだった。端からみるとその閉ざされた空間は、むかし夢に描いた秘密基地のようでもある。いや、大げさにいえば、それは城だった。野望の集積場。この場所から世界に打って出るのだ。
思えば、久しく学校の授業(必要性の認められない機械的大量生産作業)に倦んでいて、ろくろを渇望していた。会えない時間がろくろへの愛をはぐくんだのかもしれない。永い片想いをへて、ふたりはようやく巡り会えたのだ。もう離さないよ、いつも一緒にすごそうね。オレはろくろにそう語りかけ、ほおずりした。
その日から、学校が終わるとどこへも遊びにいかず、部屋で一心にろくろに向かうようになった。せまいアトリエは、集中するのにおあつらえ向きだ。トイレで壁に対峙するのと似ているかもしれない。ろくろに向かったとたん、外界からの雑音が完全に遮断された。きゅうくつな四角い空間に身をかがめ、ターンテーブル上の土の回転に見入る。すると、間仕切りの薄板が閉ざしているものは、ドロ跳ねや微粉末の汚れ、においなどではないことに気付いた。閉じたのは、自分の気持ちだ。堅固な意欲がきりりと据わる。心の内側に向かう瞑想空間がそこにあった。
ろくろに集中すると、やがて自分自身を回しているような気分になる。土と同化してしまうのだ。土の前では、身勝手に振る舞ってはいけない。それは禁物だ。もしこちらが相手をひれ伏させようと決めこめば、土は人間ごときの反射神経では太刀打ちできないような暴れっぷりで拒絶する。ところが、土はストレス(抵抗と摩擦)を加えることによってしか成形できないというジレンマがある。強さと優しさのバランスがむずかしい。要は、土と同調し、土がどうしてほしいかを読み取ることが重要なのだ。相手の気持ちになりさえすれば、土もこちらの意図を汲み、聞き分けよく挽きあがってくれる。そうするうちに、静かな静かな時間がやってくる。そうして自分のイメージを土に写しこみ、物体に具現化していく。それはまさしく、自らを成形する感覚なのだ。
ろくろの回転に見入り、手のひらで土と対話している間は、まったくの「無」の状態だ。聞こえていた音楽がいつの間にか聴覚神経から追いだされ、肌をなでていた風がやみ、外界の色彩が消え、頭の中は土くれの単調ならせん運動に支配される。自分の中をゆっくりと落ちていき、地球の自転までが感覚できるようになる。それは座禅を組んだときのように澄んだ瞬間だった。
夕刻、ろくろのターンテーブルにてんこ盛りだった土が、深夜、たなごころにおさまるくらいにチョビてくると、はたと我に帰った。窓の外にカエルの大合唱が聞こえ、蛍光灯の軽薄な光に照らされた風景がもどる。そこではじめてオレは、思いがけず時計の針が進んだことに驚き、性も根も尽き果てていることに気がついた。最後の土を挽き終えても、腰がろくろに向けて曲がったまま伸びない。油の切れた古鉄を起こすようなきしみを背中に味わいながら、ちょっとした充実感にひたる。遊びきった、というときのあれだ。まともな作品など一個もできちゃいないのに。
ようやく背筋の蝶番をもとの位置にもどして、ゼンマイの伸びたからだを寝床に倒す。今まですわっていた作業イスから尻を少々ずらして反り返りさえすれば、背後には至福の万年床があるのだ。布団は、ろくろのおかげで半分押し入れに追いやられたが、いい位置でご主人様を受け止めてくれる。すばらしい空間の連携。まさに制作に没頭できるように組み立てられた配置ではないか。
そのままことりと眠りに落ちる。湿った土のにおいが床を這い、鼻先をただよう。土の夢を見る・・・。こうしてさらなる陶芸三昧の日々が幕を開けた。
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