35・終幕

 激しい闘いはつづいたが、オレはもう働くことができなかった。なにしろ左腕が30度の角度から上に可動しないのだ。それ以上無理して上げれば、今度こそ鎖骨がポッキリといきそうだ。それでもリザーブの選手と入れ替えられるのが嫌で、何事もできないままにウロウロと走りまわった。

 告白すれば、気持ちはもう萎えていた。ケガによる弱気が、今まで自分を支えていた精神力を蝕んでいた。接触が恐い。当たれば激痛が走るし、なによりからだが本当に壊れる恐怖につきまとわれて、積極的に動けない。気の入らないタックルはたやすくかわされ、ボールもぽろぽろと手からこぼれた。

 そういう気持ちは伝播するものなのかもしれない。歯を食いしばって耐えに耐えていたディフェンスラインにも、徐々にほつれが目立つようになった。たったひとつのうかつなプレイは、数人がかりのフォローによって埋め合わせなければならない。そうしてチーム全体は消耗し、信頼関係自体がほころびていく。

 やがて焦りが生まれ、手っ取り早い方法で局面を打開しようという横着が行われてしまう。しかしそれは、決してしてはならない方法だった。代償が大きすぎる。

 自陣深く攻め込まれた地点で、あの緊張を強いる長いホイッスルが鳴った。ついにわがチームは反則を犯し、相手にペナルティを与えてしまったのだ。辛抱ができなかった。水面から先に顔を上げたのは、オレたちのほうだった。

 敵はためらうことなく、審判の前でゴールポストを指差した。PKを狙うことを宣言したのだ。老練な王者はこの瞬間を待っていた。トライを奪いにいく必要などない。未熟な「最弱タイトルホルダー」の闘い方は、見透かされていた。待ってさえいれば、この瞬間がおとずれることはわかっていたのだ。あちらにとっては、「まんまとやってくれました」というところだろう。

 オレたちはその痛恨に頭を抱えながら、エンドゾーンに下がった。ゴールポストの裏で、なにもできないまま見守る。これから蹴られるボールがポストの間を通れば、とうとうスコアが動く。それがなにを意味するのかは、誰もが理解していた。

 ボールが静かに地面に立てられ、キッカーが助走をはじめた。会場全体が息を殺して見つめる。しかしそれはキッカーにとって難しい仕事ではなかった。

 インパクトされたボールは軽々と宙に放たれ、頭上高くの青すぎる空を通過していった。チームメイトたちは呆然とそれを見送った。オレもその光景を目に焼き付けた。それは終わりの風景だった。

 祈り(呪いか)は通じなかった。得点がカウントされるホイッスル。0ー3。たった3点。しかし事実上、そこで勝負の行方は決まった。ラグビーとはそういうものなのだ。

 成田はまだ、おーっし、逆転するぞお、などとゲキを飛ばしたが、みんなの緊張の糸はもう切れてしまっていた。いったん向こうに渡した流れをもう一度こっちに呼び戻すには、このチームは未熟すぎた。

 それからふたつみっつの面白味もなにもない空疎なトライを決められ、オレの中でいちばん熱かった季節が終わった。

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