34・接触

 限界まで加速しつつ、ふたりは接近した。抜いたら勝ち、抜かれたらおしまい。試合の勝敗自体が、このワンプレイの行方で決定してしまう、という局面だ。

 イチガンケイは、オレに当たってポイントとなり、そこでモールをつくるか、あわよくば叩き潰して抜き去ろうという腹だった。ところがオレの必殺の勢いを見て、ひるんだにちがいない。轢殺をあきらめ、接触の寸前に右にステップを切った。

 一瞬の躊躇が、一呼吸分それを遅らせた。一方、こっちの動きに淀みはない。思いきって左肩でコンタクトした。

「相手のひざ頭に耳を切らせるように当たるんだ」

 よく先輩から聞かされた言葉だ。こめかみすれすれに敵の足を迎えにいき、肩深くで当たる。そうすれば、最も効果的に破壊力を伝えることができる。肉を切らせて骨を断つ。それは恐ろしいカミカゼタックルだ。生命保険会社からも「自爆」と判定され、保険金はおりないだろう。しかしラグビー部員はそんな訓練を積んできたのだった。ただし、動かないサンドバッグを相手に。生身の人間で試みるのははじめてだ。

(死んでもいい!いったれ・・・)

 コンタクト。左肩に、ヤツの背骨の芯を食う感触があった。後にも先にもそれ一回きり、という渾身のタックルが突き刺さったのだ。乾坤一擲。

 方向を逸らした分だけ、ヤツのベクトルは細っていた。オレは勢いを生かしたまま、さらにもう一歩、懐深くに踏み込む。同時に、目の前にある二本の脚を両腕でパックし、引き絞る。サンドバッグを相手に百万回反復した作業だ。体に染みついている。さらに押し込んでイチガンケイの爪を地面からひっぱがすと、硬く重い筋肉塊が宙に浮く感触があった。空中で足首を刈り取り、そのまま体を浴びせて、巻き倒す。

 耳をつんざく大歓声が沸き起こり、オレのからだには、生涯一度きりのジャストミートの余韻が熱く残った。一本勝ちだ。

 ヤツはトサカから落ち、そのまま密集に飲み込まれた。わやくちゃがはじまって、自軍ディフェンスの穴は閉じ、危機が去った。

 オレは破壊の感触に恍惚した。ところが同時に重大な問題が発生した。オレは自分の腕を周囲にさがしていた。ない、ない、腕がない。タックルの衝撃で、左手が根本からもげてしまったのだ。失われた腕を必死にさがした。・・・しかしやがて、右手に自分の左腕をにぎっていることに気がついた。一瞬の幻覚だった。それはちゃんと左肩にくっついていた。

 密集から出たボールはサイドに蹴り出され、プレイがいったん切られる。落ち着くと、ようやく事態が飲みこめた。左肩から先の感覚が、完全に麻痺しているのだ。触れても叩いてもつねっても、なんの刺激も感じない。指先を動かそうとしても動かない。長い正座で足がしびれたような、あんな感じだった。

 やがてゆっくりと神経がつながっていく。一本、また一本と電気信号が伝わりはじめる。すると今度は一転して、激しい痛みが襲ってきた。痛みの元をたどって、自分の左鎖骨が折れていることに気がついた。相手のステップの分だけ、タックルが肩の先に入ったようだ。その負荷に鎖骨が耐えられなかったというわけだ。左鎖骨の頸動脈と交わるあたりが、ピンポン玉を飲み込んだように見る見るうちに腫れはじめる。激痛で、腕がまったく上がらない。

 場内は騒然となった。大変な事態だ。試合が中断し、グラウンド内に担架が運びこまれた。

 ところが、それに載っけられて運び出されたのは、チキンの方だった。ヤツはトサカを垂れ、腹をかかえ込んでうめいている。アバラか内臓か、そのあたりをやってしまったらしい。ひと通り大騒ぎした後、静かに戦場を後にした。安らかに眠るがいい。

 そしてオレの治療は、粗暴なマネージャーによって行われた。寝てください、といわれて素直にグラウンドに横になると、左肩から頭までジャブジャブとヤカンの水をぶっかけられる。しおれた花にも水をやれば、もうしばらくの間はもつだろう、ということらしい。すばらしき魔法の水よ。

 オレは動かない左手を右手で持ち上げて、再びピッチへともどった。

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