32・挑戦

 明けて翌日。あきれるくらいの晴天。ファイナルマッチにふさわしい。

 しかしからだは、昨日の激闘の影響でガタガタだ。そもそもラグビーなんて、二日つづけてやるようなスポーツではない。全力で押し合い、ぶつかり、踏まれ、のめされ、そのうえで全速で走りつづけなければならないのだ。たった一日で疲れがとれ、傷が癒えるわけがない。

 それでも四芸祭の過密日程は、選手たちに強行軍をせまる。ギシギシきしむ関節をほぐし、スリ傷や打ち身に触れないようにして注意深く布団から起きだす。チャリに乗って、集合場所である学校グラウンドに向かった。

 試合用ジャージーの洗濯は、マネージャーがすませてくれていた。すばらしい。疲れ果てたからだにムチ打ち、試合後に冷たい雪解け水でじゃぶじゃぶ洗っていた頃がなつかしい。おんぼろ洗濯機がフル回転でどろんこを落としてくれたユニフォームは、きれいにたたんで積まれていた。

 それが、キャプテン・成田からひとりひとり、ポジション順に手渡される。この年のオレは「6番・左フランカー」にコンバートされていた。フランカーは、スクラムのサイドに張りつき、相手ボールが出ると同時に猛ダッシュして絡みにいったり、密集際を突いてくる敵にタックルをかましたり、またバックスのサポートとして走ってライン参加したりする、ちょっとかっこいいポジションだ。右フランカーの成田と対になっている。やつと比べるとずいぶん見劣りはするが、栄転に見合う活躍をしなくては。

 原チャリやポンコツ軽を連ねて、市営グラウンドに移動する。そこではまず、キョーゲイ対愛知芸大の三位決定戦が行われる。「世界最弱決定戦」だ。そのタイトルは、前回大会まではずっとオレたち金沢美大が維持してきた。だが、今年は高みの見物というわけだ。

 キョーゲイの力は圧倒的だった。まるで精密機械のように各ポジションが機能し、滞りなくボールが動いていく。スタンドから観ていても、ため息が出るばかりだ。どうしてこんなチームに勝つことができたのか、不思議だった。彼らは磨き抜いた攻撃力と組織立ったディフェンスで、あっさりと愛知に引導を渡した。

 たいしてジャージーを汚すこともなく仕事を終えたアズミは、こちらに向かってきた。ピッチと客席を隔てるフェンス越しに手を伸ばしてくる。オレたちは握手をした。

「おまえらもがんばれや」

「おう」

 次はオレたちの番なのだ。大気中に緊張感がひしめき、からだの痛みが消え去る。重要な試合の前には、いつもこうなる。痛覚を忘れ、逆に他の感覚は研ぎすまされていく。いよいよ決戦だ。

 スパイクを締め上げて、優勝決定戦の場に立った。タックルのときに耳を守るためのテーピングを頭に巻く。必勝のハチマキそっくりだ。気が引き締まる。

 相手は、一回戦で愛知を蹴散らして勝ち上がった東京芸大。長年のあいだ王座に君臨しつづける本物のランカーだ。実力は図抜けていて、余裕すら漂わせる。彼らの前に歩み出るだけで怖じ気づきそうだ。このカードは今まで、対戦組み合わせの綾で実現し得なかったものだ。最上位のチームに、最下位のチームは相手をしてもらえないのだ。だがその屈辱感を、今こそ払拭すべきときだ。臆している場合ではない。

 グラウンド中央に整列したとき、初めて対峙する強豪の姿をまじまじと見た。歳月に絞り上げられて褪せた伝統の白ジャージーは、それだけで重みを感じる。左上腕にえんじの一本線というデザインも、シンプルでかっこいい。なによりその佇まいに威厳を感じる。彼らは誇らしげで、まさに王者の風格をまとっていた。

 それにくらべて、金沢美大の赤とグレーの横シマジャージーは、ウルトラマンカラーと愛称されるように、いかにも軽薄に見える。だがそれはオレたちにとっても誇り高いチームカラーなのだ。そして結成されて歳月の浅いわがチームは、自分たちこそが歴史をつくってきたのだという自負もある。ただし、それは敗戦に次ぐ敗戦の歴史ではあったが・・・。それでも元世界最弱と呼ばれた面々は、ついにこの決戦の場に見劣りしないチームを築き上げた。この試合はそれを証明する場だ。今日、まさに栄光の歴史がつくられようとしている。そう、自分たちがその事件を部史に刻むのだ。

 人員の少ないわがチームの応援席には、キョーゲイの連中が陣取っていた。宿敵の前で無様な試合はできない。麗しいマネージャーたちも見守ってくれている。20%増しのパワーをくれ。さまざまな力をもらって、からだ中に熱がみなぎりだした。神経がボール一点に集中する。

ーやったる・・・ー

 尻の穴をぎゅっと引き締めたときに、ホイッスルが鳴った。決戦の幕が切って落とされた。

 いきなり、がつん、と衝撃が走る。ファーストコンタクトで、敵の重量と、高密度な筋肉の質感を知った。彼らの肉体は、鍛えあげられた破壊兵器だ。そのパワーに思わず目を見張り、たじろぎそうになる。しかし思い直した。

ーさがったら、しぬ・・・ー

 気を入れないと、殺される。殺されないために、気を入れるしかない。敵の巨体を受け止める痛みに、逆に精神の柱を通せた。それは開き直りというやつだ。無我夢中でタックルにいく。フランカーとは、そういう役回りなのだ。オレがそれをしなければ、チームが機能しないのだ。

 タックルは、質量とスピードとタイミングの運動といえる。ただしそれをコントロールするのは、人間の原初的な意志の力のみ。すなわち、気合い、というやつだ。巨大なベクトルに命を吹き込むのは、結局はドロ臭い精神力しかない。どれだけ青くさい、非科学的、と言われようが、それは実際にラグビーをやってみればわかることだ。要するに、最後は「根性」なのだ。歯を食いしばるうちに、オレはそのことを圧倒的に理解した。

 臆するのをやめた。一歩も退かない、と決めた。なぜなら、これはオレたち4年生にとって、最後の試合なのだった。

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