30・先制
冴え冴えと晴れわたる5月の空に、ホイッスルが鳴り響いた。それを合図に、地面に立てられた楕円球の横っ面を、柳井のムチのような脚がひっぱたく。試合開始だ。
オレたちフォワードは意味のない雄叫びをまき散らしつつ、敵陣へと突っ込む。しかし闇雲ではない。ターゲットはしぼられている。
キックオフのボールは高々とした放物線を描いた。やがてゆっくりと下降し、22メートルライン近くまで飛んでいく。迷いのない正確なキックだ。行く手には、奈良の大仏さまのようなアズミが待ち受ける。オレのトイ面のポジション。すなわち、ま正面だ。
アズミが捕球姿勢をとり、オレは身を沈めてタックルの体勢に入った。
「しねっ!」
アズミの、ぎょっとする表情を、オレは見た。やつは敵の来襲を視界に入れると、グッと脚を踏んばって衝撃に備えつつ、ボールをキャッチした。しかし捕球の瞬間はどうしてもからだのバランスが不安定になる。コンタクト!
「このやろっ・・・」
毛むくじゃらのからだを押し込み、そのまま体重をあずける。高原のグラウンドでさんざん組み付いた親しみのある肉布団が、ふわりと浮いた。やつは尻モチをつき、ボールを手からこぼす。ルーズボールが敵陣地をてんてんと転がっていく。オフェンスラインをつくっていた敵バックスと、背後から敵フォワード陣が襲いかかってくる。紫紺、紫紺、紫紺の殺到だ。
オレはアズミの腹の上でもんどり打ちつつ、頭からボールに飛び込んだ。芝生の上をすべり、楕円球を胸の中に確保する。地獄の夏合宿で尻に大きなお好み焼きをつくった、例のセービングってやつだ。あの練習がまさか本番で役に立つとは思ってもいなかったが、実際、生涯に一度きり、この瞬間に、あのバカ練習は意味を持った。
オレは敵の脚の林立する地べたでボールをかかえ込んでいたが、孤立してはいなかった。すぐに味方フォワードがフォローに付いてくれた。両サイドにパック、その後ろにも数名が組み付き、勢いよく敵の壁を押し込む。ラックってやつだ。横たわるオレの胸の中にあったボールは、スパイクでかき出され、リズムよくスクラムハーフの手に拾われた。すぐさまサイドを突き、密集を流動させていく。
フォワード同士でケンカ祭りをしたままじわじわと進み、今度はバックスの脚で仕掛ける。せまいサイドにオータがいた。ハーフはそこにパスを出す。
オータは直線的にしか走れない。なぜかというと、そういう男だからだ。ボールを受けたオータは勢いよく突進し、タイトなスペースに走り込む。当然のように京都の山賊たちに取り囲まれてもみくちゃにされ、サイドラインの外に転げ出された。しかしボールはピッチ内を転がっている。あわてたキョーゲイのバックスが、ラインの外に蹴り出した。ホイッスルが鳴って、いったんプレイが切られる。
こちらのアタックの勢いがまさった。これでマイボールラインアウトだ。しかもゴールラインは間近。この局地戦でボールを確保し、2~3歩スキップを踏んで寝そべりさえすれば、得点になる。どチャンスだ。
スロワーであるオレはすぐさまボールを拾い、ロングボールをピッチ内に投げ入れた。たくさんの手の平がそいつをタップし、ボールはニュートラルなスペースに転がる。密集が視界をさえぎり、なにがなにやらゴチャゴチャでわからなくなった。ま、ラグビーとはこんな局面の連続なのだ。
だが、その刹那にオレは見た。大男の腹と腹のあいだを縫うように、ズタズタに裂けたゼッケン7の影がかすめるのを。いつもはクールなひげ面の、ものすごい形相を。穏やかで無口な男の、狂人のような目を。どういう経緯でかボールを強奪した成田は、ゴツゴツとした脚に蹴られ、袋叩きの目に遭いながらも、突進をやめなかった。そしてついに太鼓腹の下をくぐって、ゴールラインに飛び込む。
「トライ!」
ボールがインゴールにタッチダウンされたのを審判が確認し、高々と手をあげた。
悲鳴ともつかない歓声が、客席からベンチから上がった。トライを挙げた成田は臆面もなく咆哮し、チームの誰もがその姿に身震いをおぼえた。
前半1分の先制点。前代未聞の事態といっていい。しかもこの後のむずかしいキックを、柳井はゴールポストのまんまん中に通してみせた。あの宿敵キョーゲイを、世界最弱チームがリードした、歴史的な瞬間だった。
チカちゃんはじめマネージャーの面々は、電光掲示板に記された得点を何枚も証拠写真に撮り、帰り支度をはじめた。これでもう思い残すことはないのだ。
しかし信じられないことに、まだまだ見せ場はここからだった。
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