29・因縁

 初戦の相手は、この年も紫紺のジャージーだった。四年連続でキョーゲイだ。前年成績の2位と4位が一回戦で対戦すると決められているため、この二チームは必ず初戦にぶつかることになるのだ。別の言い方をすれば、この宿敵の壁を乗り越えられないために、わがチームはいつまでたってもBクラスに甘んじているということになる。

 試合直前のチーム練習は情けないものだった。みんな肩に力が入りすぎ、ボールが手につかない。決死の気合いが上すべりしている。浮き足立つ、というやつなのか。ボールを追うその姿は、ドジョウすくいのように滑稽だ。硬さはチーム内に伝染していく。不安が不安を増幅させる。

 一方、キョーゲイのコンディションは上々のようで、憎らしいほどにリラックスしていた。より上を狙う彼らにとって、この一回戦は準備運動でしかない。フィジカル面充実、磨き抜いたプレイは機敏で正確。非の打ち所ナシ。さらに集団としての動きも規律立ち、個々が教科書のように連動していく。画的にも勝てそうな気がしない。一年かけてゆっくりと育ててきた自信が、根底から揺らぐ。

 しかし待て待て。オレたちだってこの一年間、遊んでばかりいたわけではない。大口を叩けるような結果こそ残していないが、内容は確実に上向いている。努力の果実はすっかり熟れて、収穫寸前なのだ。あとは心の問題を克服しさえすれば、勝機は見えてくる。

 試合開始時間がせまり、チームは円陣を組んだ。その中心には、成田がいた。

 前年の四芸祭後にキャプテンを任ぜられた成田は、無精ヒゲをたくわえていい面構えになっていた。やつが4年間着たおした試合用ジャージーは色褪せ、右フランカー「7」を縫い込まれたゼッケンはズタズタに引き裂かれている。そんな野武士風の出で立ちがしっくりくる。やつは、同級の根性ナシたちを一から練り上げ、闘う集団に変革するという役回りを、新入生だった当時からすでに与えられていた。やつがキャプテンになるのは宿命だったのだ。

 オレたち同期6人は最高学年となっていたが、そのだらしない世代を一貫して引っぱって(いや、押して)きたのが、成田なのだった。やつはキャプテンにふさわしい人格と品位とを備えていた。そしてプレイの内容と。誰よりも早くグラウンドにきてアップをし、口数は少ないが、ここぞという場面のひと言でチームの士気を鼓舞し、類人猿のような荒くれ上級生とマイペースな新人類の混在するむずかしいチームを、信頼感でひとつにまとめあげた。不器用な成田のたったひとつの武器は「誠実さ」で、プレイのひとつひとつにもそれは表れた。アンフェアを決して許さず、ソンをするような場面でも素直にこちらの非を申告する。バカと紙一重だが、その姿勢を見せられるとオレたちは、なにも考えずについていこう、と信じたくなるのだった。

 鼓舞の言葉が、円陣内のせまい空間にひびく。その声は細く、穏やかだが、しかし芯に熱を帯びてスゴミがあった。意思の力がみなぎっている。キャプテン・成田の言葉は、深部にチリチリと浸透してきた。涙が落ちそうになる。

「さ、いこかっ!」

 やつの一喝でフィフティーンはグラウンドに散った。

 キックオフ前のグラウンドは、チビリそうなほどの静寂に支配される。静かな風が足元を流れる。皮膚になにも予感させるものがない。しらちゃけたような風景に、寄り付きどころのない浮遊感。これから起こる激しいぶっ飛ばし合いがウソのような、夢見心地な数十秒間だ。歓声も耳に入らない。そんな奇妙な平穏に飲み込まれる時間帯の底に落とされる。

ーこれで現役生活も最後か・・・ー

 そんなことを考えてみる。現実みがない。この試合だけを目標にすべてを準備してきたにもかかわらず、だ。自分が自分でないように思える。ぼんやりとした違和感につつまれる。

「杉山ぁ」

 隣の成田がずかずかと近づいてくる。そしていきなり両肩をつかみ、自分のぶ厚い胸板にオレの薄いアバラを思いきりぶつけはじめた。

 ごつんっ、ごつんっ。

 左右の胸でそれをやる。痛い、痛いんですけど。心臓が止まりそうな勢いだ。

「どうだ?」

「へ?」

「芯が通っただろ」

「あ、お、おお」

 確かに。筋肉が覚醒した、とでもいうのか。

 すっかり落ち着きを取り戻した。苦笑いをやつに向ける。しかしやつは笑っていない。本気の目は、すでにトイ面のキョーゲイに向いていた。

ーよっし・・・ー

 オレも敵に集中する。もう大丈夫だ。足に芝を踏む感覚がもどった。いつでも飛び込める。

 7人制の大会で優勝したゲンのいい市営グラウンド。緑一面に包まれたピッチのあちら側に、キョーゲイの選手たちが散らばった。テンメートルラインの向こうにフォワード、ゴールライン近くにバックスラインが散開する。

 いよいよ試合開始だ。センターサークル中央に、チームのキッカーであるナナフシ・柳井が向かう。審判から真新しい試合球を渡されると、ひょいひょいとそれをあしらいつつ、風を見る。いい追い風が吹いている。

 時間だ。

 そのとき、柳井はオレたちフォワードに向かい、ぼそっと呟いた。

「・・・アズミさんとこに落としますよ」

 キョーゲイ一の巨体を誇るアズミの上にキックオフのボールを蹴り込むから、そこに向かってつっこめ、と示唆したのだった。やつもまた燃えている。

 誰もが腹をくくった。不意に、得体の知れないものが血液中にみなぎってくる。からだ中に炎をまとうような感覚だ。

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