23・封建

 ラグビー部に籍を置いて以来、オレの変化には著しいものがあった。鏡の中の顔は精悍になり、眼光が鋭くなった。つまり、かっこよくなった。ついつい自画像を描きたくなる自分を戒める一方、もっとモテてもおかしくないのだが・・・などと煩悶したりした。また絞り上げた筋肉は、精神にも強いものを与えてくれた。やせっぽちでおどおどして、鎖骨や尺骨の醜いフシくれにコンプレックスを抱いていた入学当初がウソのようだ。肩で風を切って歩けるようにさえなっていた。おうおうどきなー、チャラチャラしてんじゃねー、てなもんである。

 その図太さは、生活環境をも変えた。多少汚れたものでも洗濯しないで着ることができるようになったし、髪の毛がザラザラでも風呂に入らなくて平気になった。食が太くなって「食い放題」系の店にいってもペイできるようになり、酒にめっぽう強くなったおかげでワリカン負けしなくなった。中庭の芝生でぼーっとしていると、物好きな女子がバナナやキュウリなどを与えてくれるようになったし、彼女たちの顔をまともに見て話せる程度に人見知りをしなくなった。着実に進化しつつあった。自分のことを「超人の卵」だと思っていた。しかしいくら練習しても、肝心のラグビーはちっともうまくならなかったし、複雑なルールも覚えられなかったが。

 月日が流れた。金沢には、とてつもない量の雪が降る。とくに美大に入学した年は、観測史上記録的な豪雪イヤーだった。道端の郵便ポストの上には、ポストの背丈分の雪がそっくり積もっていた。つまり高さが倍になっているわけだ(ほんと)。その巨大な四角柱を「電話ボックス?」と勘違いして入り口をさがすと、ポストの投函口が出てくる。そこで金沢市民は電話をあきらめ、手紙を書くのだった(ウソ)。また、家屋の一階部分が雪に埋まって閉ざされてしまうため、二階の窓から出入りするのだという話も聞いたことがある(半分ほんと)。もっと豪雪だった年には、電柱の先っぽの高さにまで雪が降り積もり、そこから張った電線を踏んづけて感電死したひとがいるという話まで聞いた(たぶんウソ)。いろんな伝説が口々に語られるのだった。

 しかし実際は、金沢市内の主要道路には、センターラインに融雪装置というスプリンクラーがついている。路上の雪は、すっかりこいつがとかしてくれた。ところがチョロチョロと水の出るこの装置はけっこう迷惑なシロモノで、水路が雪でふさがれて流れないときなどは道に水があふれ、雪よりもやっかいなことになる。金沢市民はクツをびしゃびしゃに濡らし、凍りそうな冷水に足首までつかりながら交差点を渡った。雪のまま残しておいてくれたら風情があるのに、行政とはくだらないことをするものだ。

 さて、それだけ雪が積もれば、ラグビーなどしようにない。部員は一升瓶を片手にコタツにもぐり込んだり、ゴム製品を片手に女の布団にもぐり込んだりして、長い冬をやり過ごした。

 兼六園の桜が満開になると、オレは「センパイ」という位に就いた。「4年=神」「3年=貴族」「2年=平民」「1年=ドレー」というカースト制がはびこる体育会において、いっこ上という優位性は絶対的なものだ。練習準備などのめんどくさい雑事は一年坊の仕事だし、先輩が「一気に飲め」と言えば、後輩はその命令に従わなければならない。そのことを考えても、自分より下の者が入ってきたという事実は喜ぶべきことだった。いや、そのはずだった。ところが新たに入部した下級生たちは、そんな美徳を根底から覆す猛者たちだった。先人の常識や伝統など通用しない。時代が「新人類」という言葉を生んだのと呼応するように、彼らはまったく新しい価値観を持ちこんだ。

 一年下で入ってきた柳井は、190センチのナナフシ的痩身体型だが、サッカーの経験があるスーパールーキーだった。センターサークルからの長い距離や、角度の全くないコーナーフラッグからの0度キックも、やすやすとポストに通してみせる。コントロールが難しいドロップゴールもお手(お足?)のものだ。オレたちはその得点源の獲得に狂喜した。が、それと引きかえに、センパイとしての存在価値は相殺された。

 新人類はいつも放課後遅くになってから、横綱のように最後にグラウンド入りし、あっためられた空気の中に途中参加した。生意気なのだ。それでもやはりその姿には後光がさし、プレイはいちばん華やいでいた。細長い手足をひろびろと開いてグラウンドを闊歩し、校舎窓に並ぶ女子の視線をひとりじめにする。黄色い歓声が飛ぶと、それに応えて、長距離キックを能登半島のフェーン風にのっけた。そのボールはどこまでもどこまでも伸び、必ずポスト中央を通過する。オレたち凡人は、とてもマネのできないそんな芸当にあきれるばかりだった。

 圧倒的技能、天賦の才、などという価値を持ちこまれては、どりょくーゆうじょうーしょうり、をマンガで学んだ世代には太刀打ちできない。なんとかやつを追い落とさなければならない。上に立つ者にもメンツってものがあるのだ。ところが、そんな企てをまったく無意味にするような新たな新人類が、そのまた翌年に入ってきてしまった。しかも三人も。

 彼らはスーパールーキーというよりも、リアルランカーだった。正真正銘の超大物だ。なにしろ石川県の高校ラグビーの「ベストフィフティーン」に選抜されたこともあるヒトビトなのだ。しかも「フッカー」「スクラムハーフ」「スタンドオフ」という枢要なポジション。やんごとなきお方々、とお呼びしなければならない。上下社会の完全なる崩壊だ。ははー。

 かくしてわがチームには、輝ける人材が各所に散りばめられることとなった。オレたちが入部した当時の状況に比べ、なんというまばゆさだろう。まさに才能のインフレ状態だ。さらにそれに付随して、奇妙な現象が発生した。オレたち「センパイ」は、後輩たちに指示を出しつつ、反対にラグビーを教えてもらうことになったのだ。ラグビーのルールやテクニック、戦術については、後輩たちのほうがはるかに明るい。いや、オレたちが知らなすぎるのだ。正直に告白すれば、オレたちの学年は、ラグビーがあまりわかっていないのに、ただただ練習するのが好きなだけなのだった。

ーわかんなくたっていいじゃん。ボールを追っかけてどろんこになれればそれでいいじゃん。だってたのしいじゃんー

 しかしそんな現状を許してくれるほど、後輩たちは甘くなかった。ラグビーを熟知した人間に、ハンパな態度をとる仲間の存在は耐えられまい。下からの突き上げを食い、ラグビー部の改革がはじまった。つまりオレたちは、「ドレー」に一から知識を叩き込まれる「支配者階級」という複雑な環境に置かれることとなったのだ。

 毎日グラウンドでは、ルーキーたちのこんなゲキが飛んでいた。

「何度言ったらわかるんすか、センパイ!」

 ・・・

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