21・変態

 地獄から生還し、オレはひと回り大きくなった。技術的な進歩や、精神的な成長もあるかもしれない。が、なにより筋肉層が厚くなって、物理的に巨大化した実感があった。腕をひょいと曲げると、ビキビキと音をたてて力こぶが盛り上がる。腹筋はチョコレートのようにくっきりと割れ、ヒラメ筋はテーブル代わりに使えそうだ。途方もない回数のスクラム練習で、首と肩ががちがちに硬く太くなった。逆に脂肪分はそげ落ち、からだのどの部分を引っぱっても筋肉の上に張りつめる皮がつまめるだけで、ふわふわな感触がない。自分が合金製のサイボーグになったような気がした。

 パワーもアップしたが、持久力も以前とは段違いについた。走っても走っても、すぐにスタミナは回復する。心肺機能が格段に向上したらしい。これらは、バカ練習でもらった筋肉疲労の対価だ。肉体とは要するに、疲れることによって成長するのだと知った。がんばった分だけ神様はすてきなからだを与えてくださるのだった。

 心臓は、いろんな意味で強くなった。検査をしてみると、本当に右心室が肥大していた。内視鏡でのぞいたら、きっと毛もはえていたにちがいない。肉体改造は、性格まで変えてしまう。以前よりも自分に自信が持てるようになった。怪物になったような気分だ。例えば、街角で空き缶をポイ捨てするようなクズ野郎を見つけると、拾って追いかけていって「おい、落としもんだよ」などと言えるようになった。驚くべきことに、その相手はオレを見るとビビりはじめ、素直に謝ってくれるのだ。見た目にもはっきりとわかるほどの筋骨の変化が、わずか半年の間に発生したのだ。オレは筋肉成金となり、ちょっといい気になっていた。トラックにぶつかっても勝てそうな、そんな陶酔感があった。

 さては、それこそが地獄の夏合宿の目的だったのかもしれない。ラグビーに最も必要な要素のひとつは、度胸なのだ。いや、こっ恥ずかしいが、勇気、という言葉のほうがしっくりとくる。全速力で向かってくる敵に向かってタックルに入るのは、ほとんど生き死にを覚悟するような行為だ。そのときに、自分が破壊される可能性を考えないこと、それこそが極意なのだ。「割れないかもしれない」と心配しながら叩きつける拳は瓦を割ることができない、と空手家は言う。割れることをイメージしなければ、あの粉砕力は発揮できないのだ。つまり、「割れる」と強く信じることができる力を、オレは獲得したのだった。地獄の夏合宿は、それをもらっていいくらいにしんどかった。あの極限的な状況を乗り切ったという自信は、それ以後もずっと褪せない財産となった。オレは改造された結果、薬を服用することもなく昂揚感を引き出す術を修得した。

 こうなったら、早いとこ試合にのぞみたいというものではないか。なにしろ怖いもの無しなのだ。以前とは、試合に向かう心構えが違う。

 秋のリーグ戦がはじまった。チームは、成熟とはいかないが、形にはなってきた。新入部員がこなれてきたおかげで、各部署が徐々に機能しはじめた。しかしやはり敵は強大。一朝一夕の努力でお手軽に倒れてくれるようなことはない。相手とて、やはり我々と同じような(あるいはそれ以上の)修練を経てきているのだ。力の差は、春のリーグのときとほとんど変わりはない。それでも、春には恐れおののくだけだった巨大な敵とぶつかっても、ひるむということがなくなった。まったく歯が立たないわけではない、ということもはじめて感覚できた。自分の視点が変わって、相手の印象が違ってきたのだ。ラグビーでは、どれだけ地力に勝っていても、腰が引けていては絶対に相手の力を上回ることはできない。逆に、相手を見下す傲岸が潜在能力を引っぱり出すこともある。オレはそのふてぶてしさを身につけた。一対一の場面では、もちろん簡単には勝たせてもらえない。だが、ふっ飛ばされても踏みつけられても、起き上がっては血液まじりのツバを吐き捨て、平気な顔ができるようになった。不敵さを装うことによって、自らに暗示をかけるのだ。激闘を経るうちに、そんなまじないは効力を増していき、ラガーマンの心持ちは超人のそれとなっていくのだ。巨大な相手にぶつかればぶつかるほど、その反作用は自分を大きくする。くり返しくり返し石壁のような胸にぶつかり、はじき飛ばされながら、エネルギーを吸収した。

 ただ、本当に強くなったわけではない。勘違いする術を覚えただけだ。五日やそこらみっちりと鍛えたところで、たいして強くなれるわけがない。それでもラグビーは、以前と比べて格段に面白くなり、青芝の野を駆けずりまわる時間はかけがえのないものとなっていった。

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