20・宿敵
過酷な練習はなおもつづく。筋肉痛と疲労感はほどいてもほどいても、翌朝になれば再び鎌首をもたげてからみついてきた。朝食時にフロアをほふくして移動する部員の姿は、もはや昼も夜も見られる日常風景となり、誰の注意も引かないものとなった。
フォワード陣の起床の際のイモムシ運動は、日に日に悲惨さを増していく。仰向けからうつぶせに姿勢を移行できても、とにかく鉛のように重い頭がマクラからはがれない。正確には、首の筋肉が張りつめて機能不全に落ち入っているだけなのだが、うっかりヒョイと起きると首がツマヨウジのようにポッキリと折れてしまいそうに思える。ゆらり、ゆらりと時間をかけ、夏祭りの風船釣りのように慎重に頭を吊り上げた。
スクラムによる肩痛だけではない。走り込みのせいで、ひざ関節はサビついた蝶番のようにギリギリと音を立て、足の裏にはいつも木の芽を踏んでいるような疼痛が根深くはびこった。石垣のようなコリに圧された背骨は柔軟な運動性を失い、オレたちはせむしをわずらった老人然となって、ラジオ体操のほがらかな責め苦に耐えた。
それでもスパイクに足を通してヒモをぎゅっと結ぶと、不思議と入魂し、骨格に芯が通った。立ち上がるのも歩くのもやっとだったからだがなぜかシャンとし、サンドバッグまでかつぐことができる。気の張りとは恐ろしいものだ。目の前の練習に集中すると、痛みすら忘れて動けるようになるのだから。
乾いた土に寝そべり、成層圏まで抜けた青空を見てストレッチをしていると、清々しい空気が血液の中で循環して、体内の組織が生まれ変わっていくのがわかる。自分が更新される。やる気がみなぎってくる。しかし、最初の一歩を走り出せば、コールタールの沼に足を取られる悪夢が待っていることに変わりはなかったが。こうして毎日自らを粉砕しながら練り上げていった。
四芸祭前の先輩たちの洗脳教育によって、キョーゲイに対して憎しみと侮蔑と怨念しか感じなかったオレたち一年生だったが、同じ土の上を這いつくばるうちに、いつしか相手を認めるようになっていた。両校の間に、信頼と友情が芽生えていた。からだ中に一千の傷を負ったオレとアズミは、ジュッと音を立てそうな熱い湯につかって我慢比べをする。死ぬほどの思いで意地を張りながら、ふたりで「拷問を受けるジョン・ランボー」のマネをし合っては、ゲラゲラ笑った。湯船の外では、成田が股間を開いて自らのチンコを指し示し、それを取り囲んだキョーゲイの連中になにやら深刻な相談事をしている。彼らも心を許し合ったのだなあ、とほのぼのする光景だった。両校は、風呂上がりには酒を手にお互いの部屋を行き来し、汚いひざ頭をつき合わせて語らった。こんなことをくり返すうち、両校の結びつきは強まり、それ故に、キョーゲイはさらなる宿敵となった。
最終日には、両校による練習試合が行われた。疲れはピークに達し、足は動かず、ボールは飛ばず、スピードもテンポもないひどい試合だったが、みんなの目には炎が燃え立っていた。誰もが亡者のように勝利に飢え、鬼気迫ったプレイを見せる。あきらめる、ということがない。それまでに経験したどんな試合よりも気合いがみなぎって、しびれるようなゲームだった。
試合のタイムアップは、すなわち、合宿の終了を意味する。誰彼かまわず、敵味方見さかいなく、抱き合ってよろこんだ。わがチームはいつものように惨敗だったが、そんなことはもう関係ない。生きて五日間を終えられたことが、いちばんのよろこびだった。こうして「地獄の夏合宿」は打ち上げとなった。
最後はお約束のバーベキュー大会だ。みんな疲労困憊を忘れ、笑顔笑顔で飲み合った。年長者はみんな芸達者で、伝統の春歌の交換や、持ちネタの披露が行われた。彼らはすぐに服を脱ぎたがる。すっぱになり、チンコを足の間にはさみ隠して歌う「レナウン娘」の替え歌は圧巻だった。「つーがいけーに夏がくりゃ~、いぇいぇいぇいぇいいぇい」と踊る彼らの姿は、将来の自分の姿を想像させて、少し恐ろしかった。確かにオレはこの半年で変わっていた。内向的で受け身な性格だったのに、ずうずうしくて楽観的な人間へと変貌しつつあった。あと数年もたてば、先輩たちのような「楽天バカ」になれるのだろうか?それは困惑すべき行く末でもあったが、あこがれたくなるような未来像でもあった。
すさまじい芸を次から次へとくり出す先輩たちに比べて、オレたち一年生は無芸なので、やむを得ず「なにか愉快な方法でスイカ割りをする」ということになった。成田は意味なく「あずさ2号」を歌いながら、目隠し姿で棒切れを振り回し、殺陣の演武のように舞った。女子の子宮を疼かせるようなシブ声の上に、異常にかっこいい舞いが逆に滑稽で、それは彼の至芸となった。
オータは、昔習っていた空手でスイカを割ると言いだした。しかし目隠しでなにも見えない。
「ちえすとー!」
まっすぐに振り下ろしたチョップは、スイカでなく地球を叩き、せっかく地獄を生き延びたというのに、最後にきて手痛いケガを負った。
オレは自身が棒の役となり、怪力のアズミにからだをかつぎ持たせて、頭をスイカに叩きつけさせた。目隠しをされたオレの前頭部でスイカは粉砕され、オレの額も砕けた。
そんな夏だった。こうして新入ラグビー部員は、ラガーマンと認められた。
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