16・地獄

 京都と金沢の全員がそろったところで開かれた合同ミーティング。わたされた4泊5日のスケジュール表を見て、オレたち一年生は完全に声を失った。睡眠時間を除いたタイムテーブルの大半が「練習」の文字に彩られているのだ。テニスや山登り、ワサビ摘み、そばの名店めぐり、花火大会、女子大生とのレクリエーションなどに費やされるはずだったフリータイムは、「給水」「トイレ休憩」の数分間に圧縮されていた。

ーなにもできない!というより、練習以外なにもできない!ー

 約束が違う、ぼくたちの夏を返せ、自由をわれらに・・・そんな憤然とした抗議も、薄笑いを浮かべた先輩たちの

「るせー」

の一言のもとに退けられた。しかも

「すぐに着替えて練習だ。とっととドレーは働け」

という傍若無人っぷり。覚悟も固まらないまま、オレたちはいきなり労働に狩り出された。

 練習用ジャージーに着替え、重いサンドバッグや道具類を肩にかつぎ、長い坂を運ばされる。グラウンドに着くと、練習開始までの短い間に、ボール磨き、水まき、石拾い、トンボがけ・・・雑用は山ほどある。まるで悪徳ブローカーにだまされた発展途上国の労働者のあつかいだ。バラ色の生活を夢見てこの土地を訪れ、待っていた現実は、身を削る無償の労働奉仕。冗談じゃない。女はいない、たのしいイベントはチャラ、いいようにこき使われる、じゃ、完全に詐欺被害だ。オレたちをだまし討ちにした先輩たちを告発してやりたい気分だ。いや、それよりもいい考えがある。オレは心に誓った。来年の新入部員も必ず、同じようにだまし討ちをしてやろう、と。

 しかし高笑いの先輩たちも、その瞳には深い哀しみと憂いをたたえていた。なぜなら、自分たちが組んだ練習メニューに、まさに自分たちも苦しめられることになるのだから。

「調子にのって、こんなスケジュールを組んでみたが・・・」

「ほんまや・・・やりすぎかもしれへんな・・・」

  両校の首脳同士がこんな弱音を漏らし、ため息をつき合っている。これからはじまる高原の日々がいかに恐ろしいものであるかを、暗い沼底のようなその表情は雄弁に物語っていた。

 抜けるような青空の下ではじまった練習は、まさに、バカ、の一言に尽きた。走る、飛び込む、ぶつかる、押す、食らいつく、取っ組み合う、なぎ倒される、転がる、痛めつけられる、のたうち回る・・・這いつくばる、立ち上がる、這いつくばる、立ち上がる・・・そして、耐える。寸断なく動きつづけなければならない。石を積んでは崩し、崩しては積み上げる、ナチスの拷問に似ている。ただただ肉体をいじめ抜くためだけに存在するメニューの連続だ。なのに脱落することはプライドにかけて許されない。なにしろ宿敵キョーゲイが一緒なのだ。お互いが根性を試されている。少しも手を抜くことはできない。これは両校のチキンレースだった。へばると、すぐに先輩の叱咤の声が飛んできた。

「ばーろー。本気で走れ!」

「がんばれ!」

「押せ、押せ、押せ、押せ、押せ!」

「おせー!おせーぞ!」

 脳が筋肉でできたヒトビトの、シンプルで動物的なワンフレーズ。しかしそんな言葉に尻を叩かれると、男の子としてくじけているわけにもいかない。何十分かおきに与えられるコップ一杯の水だけに希望を見いだし、ひたすら地面にダイブし、巨大な質量に圧せられ、十万回這いつくばり、同じ数だけ立ち上がり、土ぼこりの中で喘ぎつつ、鉛のような足で疾走する。まさしく苦役そのものだ。

 しかし、意外やその労働量はフェアだった。最上級から最下級まで学年に関わらず、練習メニューは等質かつ等量なのだ。ヒエラルキーは絶対的に存在して上意下達がゆきとどいていたが、命ずる立場の者は、下に命ずると同時に、自らにも命じた。誰も楽をしない。先輩も、後輩も、OBも、現役も、金沢も、京都も、まったく関係ない。そこにはラグビーをし、少しでも向上しようとする人間があるのみ。最下層の奴隷も、指導する上層部も、まったく同じ地獄を味わい、同等の痛みを背負った。だからオレたち下級生は、どれだけムチャなメニューを与えられようと、決して文句を言うことはできなかった。先輩たちの行為は、完全な説得力を持っていた。彼らが、叱りつけ、命令を下し、罵声を浴びせながらも、下級生と等しい距離を移動し、同じ姿勢をとりつづけ、同じ量の汗をかき、土と石灰にその体をまみれさせることに、オレたち下っ端は感じ入らざるをえなかった。呪詛は吐いても、不平不満などこぼしようになかった。

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