15・合宿

 夏休み。空には暑苦しい雲が垂れこめ、金沢の町は蒸されたような湿気に覆われる。太陽はちっとも顔を出さないくせに、やたらと気温だけが上がる。北国特有の暗い夏は、まるでサウナだ。

 そんな酷暑の町を離れ、オレと成田はオータの軽に便乗して、涼やかな長野に向かっていた。白馬の峠の急勾配をえっちらおっちらとのぼり、たどり着いたのが、合宿地である栂池(つがいけ)高原だ。ラグビー部員はこの日、全員がここで落ち合うことになっているのだ。楽しい楽しい夏合宿のはじまりだ。

 雪の消えたスキー場は、新緑と澄みわたる青空のすがすがしい光に満ちている。標高1000mを流れる清浄な風はさえざえと乾いて樹々をゆらし、耳をくすぐる小鳥のさえずりは荒んだ心をやわらかくほぐした。出会いのヨ・カ・ン。

 避暑でコテージにでも滞在しているのか、ワンピース姿の女子大生たちが白樺の木立ちを行き交う。美大には決して存在しない、優雅なお嬢様タイプだ。高原の陽射しにロングヘアをひらめかせて、彼女たちはまばゆい輝きを放っていく。オレたち野人トリオはそんな風景に目を奪われ、恍惚と立ちつくした。具体的で生々しすぎる期待に、胸が高鳴った。

「きみら、カナ美のひとやないか」

 突然、野太い声に呼びかけられ、現実に引き戻された。声のほうを振り向くと、むさ苦しい男の群れ。しかしオレはその集団を見たことがあった。どこで見たのか記憶を検索する。驚愕の回答が導きだされる。そうだ、砂じん舞うあの乾いたグラウンドで、狂乱の池のほとりで、オレは彼らを見たのだ!

「キョーゲイ・・・!?」

 目の前にいたのは、あのにっくき京都芸大ラグビー部だった。宿敵が勢ぞろいして、オレたちを待ち受けていたのだ。

ーなんでやつらが・・・?ー

 男たちは不適な笑みを浮かべ、「ロッジ・山一館」入口のアーチの下に仁王立ちしている。こちらを見下ろすその顔は、どれもこれも見覚えがあった。オレたちはトランクから荷を降ろす手をとめ、やつらをにらみ返した。不穏な空気が漂う。

 柱に背をもたれかけて腕組みしていたイカツイ男が、不意にくわえていた葉っぱを吹き飛ばした。のそり、のそりと近づいてくる。のちにオレの好敵手となる男だった。

「俺、アズミです。手伝いますわ」

 意に反して、相手の口から出てきたのはそんな挨拶だった。

「これ降ろしたらええの?うわ、重いわ、このサンドバッグ。ウチのもあんねんけど、そっちのほうがぶつかり心地よさそやねえ」

 巨漢・アズミは愛想よく、トランクから荷物を引っぱり出した。他の連中もゾロゾロと寄ってきて、手伝ってくれる。そのとき、これが二校合同の合宿であることを理解した。毎年恒例のことらしい。それで合点がいった。四芸祭でどうしても負けられないライバル関係とは、こういうことだったのだ。同じ釜のメシを食い、ともに土にまみれれば、これはもう負けるわけにはいくまい。男同士がそういう環境に放り込まれたら、芽生えるのは懇意でも憎悪でもなく、競争意識であるべきなのだ。

 しかし裏を返せば、この合宿でキョーゲイに遅れをとることは許されない、ということだ。額に冷や汗がにじむ。五月のあの試合で経験したやつらのパワー、スピード、タフネスを思い出したのだ。その強大なエネルギーに、これから合宿の間じゅう毎日つき合わされ・・・いや、同化して食らいつかなくてはならないのだ。

ーうそだろー・・・ー

 先輩たちが吹聴した「愉快な合宿」の、裏に隠された真の意味を悟った。だがもう遅い。この地では、先輩たちから聞かされた酒池肉林とは対極の世界が待っているはずだ。恋の予感はあっけなく高原の露と消え、悪夢の予感が鎌首をもたげてくる。

「さあさ、地獄の夏合宿のはじまりだよ~」

 今やOBの立場となった元キャプテン・小林さんが、のんきな声で宣言する。地獄とは大げさな・・・とは、もはや誰も思わない。2、3年生の先輩の顔色を見ればわかる。彼らは青ざめ、げんなりし、むしろ自嘲とあきらめの笑みを浮かべていた。背筋を悪寒が走る。ここから先、本物の地獄が待っているにちがいない。

 それは想像を越えたものだった。しかも鬼のしごきは、着いたその日の午後からいきなりはじまった。

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