14・場所
リーグ戦が行われる根上町(ねあがりまち。ゴジラ松井の故郷)のグラウンドはすばらしかった。芝生のピッチは手入れがゆきとどいていて、いつも目の覚めるようなあざやかなみどり色をしている。柔らかくてふさふさで、その芝の絨毯の上でストレッチをしていると、あまりの心地よさに眠りこけてしまいそうだった。田んぼに囲まれた田舎町の運動場なのだが、ヨーロッパラグビー五カ国のひとつ・ウェールズチームがきたこともあるらしい。そんな場所で試合をできるのは、誇らしかった。
一方、美大のグラウンドは、芝のような野草のような奇妙なグリーンに覆われている。芝生というよりは、草っぱらだ。雨の日にスライディングをしたときなど、ジャージーにワカメのようなものがくっついてきて、いったいどんな植物なんだろう?と不思議に思った。ところどころハゲちょろになって土がむき出しになっているが、やたらと熱苦しい使命感を帯びた事務員氏が、グラウンド脇で芝を育てては、せっせと修繕していた。
グラウンドは広大だが、サッカー部、野球部とスペースを分け合って使用するため、危険がいっぱいだった。美大は、学生自体が極めて少なく、どの部もメンバーをそろえるのに苦労している。外野陣をまかなえない野球部は、たった三人ほどでもおかまいなしにフリーバッティングをおっぱじめる。するとオレたちのスクラムの上に、あの硬い硬式球が雨アラレと降ってきて、危ないことこの上なかった。サッカー部もうっとおしかった。いつもやつらのベンチには、美しいマネージャーが三人座り、黄色い声援を送っている。しかも固定式のサッカーゴールを使ってグラウンド中央を独占するため、腹立たしいことこの上ない。だからオレたちは、サッカーボールが自分たちの足もとに転がってくると、思いきりグラウンド脇の竹林に蹴り込んでやり、ストレスを解消した。
週に一度、名門・金沢大学・医学部のラグビー部の連中が、練習場を求めて出稽古にやってきた。彼らは自前のフィールドを持たない「グラウンド難民」なのだ。わが美大は気前よく彼らに面積を分け与えた。
ところが合同練習がはじまると、彼らとこちらとのレベルの著しい隔たりが明らかになる。もちろん彼らの実力が際立ってまさっているのだ。そもそも、からだのつくりからして違う。医学部チームはどの選手も、上腕は力こぶムキムキ、脚は筋肉繊維の束がくっきりと割れ、その奥には金属のような骨格が渡っている。パワーはブルドーザー並み。脚力はハイトルクな上に、高速回転を持続しても疲れ知らず。よからぬ薬でも自分たちで調剤しているのでは?と勘ぐりたくなった。オレたちは、どうにも動かしがたい彼らの頑丈な肉体にしがみつき、振り回されては、徒労の時間を味わった。
彼らは医者の卵で、超秀才のエリートだったが、心優しく、気のいい連中だった。しかしなにより印象に残ったのは、練習に取り組む姿勢の生真面目さだった。ああ、やっぱり難関を突破した勝利者には、積み重ねという裏打ちがあるものだなあ、と感じ入ったものだ。勉強ができる者は、スポーツもできるのだ。それは神様が二物を与えたわけではなく、努力する才能という一物を与えた結果なのだった。
だが練習が終わって、オレたちビンボー画学生がチャリのキーをポッケに探すその横で、彼らは車のトランクに荷物を投げこんでいる。それがベンツやらポルシェやらフェラーリやらという、まばゆいばかりの高級車。オレたちはうらやましがるより先に、あっけにとられた。
「おつかれさまでーす」
そう言いながら、意気揚々と爆音をとどろかす彼らを見たら、ほんの10分前の好感はたちまち払拭された。
月日がたち、四芸祭の熱が体内から去っても、練習の虫たちは飽くことなくグラウンドを這いずりまわっていた。新入部組は、誰がいちばん早くグラウンドに現れるかを競った。彫刻科に籍を置くオレとマッタニは、日中ずっと石彫場で巨石に向かって、あーでもないこーでもない、とノミを打ち込んでいる。そして終業のチャイムが鳴ると、くそ重いゲンノウを置き、からだ中に積もった石粉を払い落として、いそいそと部室に駆け込んだ。成田とオータは油絵科で、ねとねとの絵の具をわけもわからずキャンバスにぬりたくっている。彼らは、前髪や鼻の先に鮮やかな色をのせたまま、曲がった背骨を伸ばしにやってきた。デザイン科の連中も、課題で寝不足の目を覚ましに、重い足を引きずってくる。誰も彼もが創作活動で疲れきっていたが、ラグビーボールを見るとそんなものはすっかり忘れてしまう。そして、練習で新たに疲れ果てるのだ。シーズンは終わり、試合はもうしばらくない。それでも練習のための練習に、オレたちは明け暮れた。
じめじめとした梅雨空が明け、樹々の緑が輝きはじめた。やがてそよぐ風に夏近しの声を聞くと、合宿の話題が部室で飛び交うようになった。
「たのしいよ~」
「ぜったい参加したほうがいいね」
「ああ、まちどおしいな~・・・」
先輩たちはいやらしい笑みをスキっ歯からこぼしながら、夏合宿がいかに楽しいかを一年生に説き、酒池肉林の模様を描写した。高原のさわやかな空気、うまい食べ物、テニスラケットを片手に別荘地を闊歩するお嬢様女子大生・・・。是が非でもそれには参加するように、と甘く、しつこく、ささやく。新入部員たちはうっとりと桃源郷を夢見つつ、合宿の開始日を待ち焦がれた。
それが「地獄の夏合宿」と称されていることを知らない、平和な時期だった。
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