13・練習

 四芸祭が終わり、世代交代が行われた。キャプテンの座は次の学年の「沖さん」に禅譲され、小林さんをはじめとする4年生は、その時点で現役を退くこととなった。とはいっても、メンバーが15人ちょっきりしかいないわがチームは、リタイヤ組を召集してやっとスターティングメンバーがそろうような状態だ。そのため4年生は、引退後も予備役として、試合にも練習にも出つづけなければならない。その風景は、ビフォーもアフターも少しも変わらない。つまり、美大ラグビー部に「引退」の文字はないのだった。

 小林さんは岩のようだったが、新キャプテンの沖さんはクジラのような風体をしている。瞳はいつも茫洋とした空間を泳いでいて、なにを考えているのかさっぱりわからない。前キャプテンのように饒舌でもない。練習メニューも人まかせで、試合中の口癖は「んがーっ」という。しかしラグビーにかける情熱は、前任者にいささかも引けをとらない。無口だが、ゆくべき方向を背中で示してくれて、信頼の置けるひとだった。理論的指導者はコロコロ丸メガネ・丸ちゃん、まとめ役は幹部候補生・成田、そして実行力の沖さん、という新体制が発足した。

 それにしても、4年生の抜けた後のなんという心細さ。リタイア組は、新体制に配慮して指導を極力つつしむため、チーム全体の動きがまるで背骨を失った軟体生物のように心もとない。いかに先輩たちの力に頼りきっていたかがわかる。それでも来年の四芸祭には、せめて今年以上の戦力でのぞまなければならない。そのためにも、上級生は小林さんのように、新入生は成田のように、チームはオールブラックスのように・・・いや、せめてキョーゲイの水準にまで成長しなければ。幸い、屈辱を噛みしめた直後で、オレたちの体内にはたっぷりと熱が残っている。このままのテンションでシーズンに突入できるのがうれしかった。

 地域の春期リーグがはじまった。

 わが金沢美大ラグビー部は、そのあまりの弱さのため、地区大学のいちばん下部リーグにも入れてもらえない。そのためここ数年は、試合を求めてクラブチーム(趣味のヒトビト)の集まる地域リーグに参加していた。ところがこのステージとて侮れない。強豪高校のOBチームや、各大学から独立した学部の体育会も名を連ねているのだ。この格下リーグですら、やはりわがチームはずば抜けて弱かった。

 ヒグマのような大人たちに揉まれ、ケズられ、踏んづけられて、チームは経験を積んだ。ただの一勝もできなかったが、試合には執念深くエントリーしつづけた。余裕しゃくしゃくで、二軍を出してくるチームもある。あまりに手応えがなさ過ぎて、舌打ちされたこともある。それでも試合をこなすごとに、少しずつ強くなっていく実感があった。

 状況に応じた動きが身につくと楽しいもので、皮膚をズタズタに裂かれながらも、次の週末には嬉々として試合用ジャージーの血跡を洗い、真緑の芝生のグラウンドに持ちこんだ。そしてまたこてんぱんにやられる。翌日は骨がきしむような全身の痛みに襲われたが、必ず練習には顔を出した。試合の翌日には姿を現さない部員もたくさんいたが、組織トップの沖キャプテンと丸ちゃん、それに成田とオータ、マッタニ、オレの新参組あたりは、一日も欠かさず参加していた。

 しかしみんなの予定がつかなくて、4~5人だけ、なんて日もある。そんなときはそんなときで、いろいろと工夫をして練習した。丸ちゃんは彫刻科の鉄部屋に所属しているので、巨大な古タイヤ数本を寄せて鉄骨で溶接し、スクラムマシーンをつくってくれた。こいつがあれば、ふたりでもひとりでもスクラムが押せるのだ。とてつもなく重厚なシロモノだったが、キョーゲイのフォワードのプレッシャーを思い出すと、負けるわけにはいかなかった。また、バックスは「ふたりランパス」という地獄のような練習を編みだした。ヨコ後方へパスを渡しながらグラウンドをひろびろと展開していくのがバックスのオフェンスラインだが、それを二人だけでやるのだ。例えば右にパスを出したひとりは、その直後に相手の後方を通り抜けてさらに右側に先回りし、パスを受け取らなければならない。パスを受けたら、すぐまた右にパスを出す。相手はそのとき、再び右側に展開していなければならない。ぐるぐるぐるぐるふたりで回りながら、グラウンド全面を使ってパスを出し合うのだ。全力疾走で。このオモシロ哀しい光景を見たとき、つくづくフォワードでよかった、と思ったものだ。

 練習は毎日、太陽が卯辰山の向こうにとっぷりと沈むまでつづいた。空と竹林の境目がにじんで、夕闇が降りてくる。すると広大なグラウンドの一角に、校舎の窓から心細い蛍光灯の明かりが差した。そのせまい四角の土俵に集まり、フォワードはスクラムの練習をする。植え付けたばかりの芝をスパイクの爪で引っぱがしては、事務員のおっさんによく叱られた。それでもオレたちは、窓から落ちる薄明かりを求めて移動し、グラウンドの隅から隅までの芝生をはがして回った。がつん、と肩を合わせる音が、校舎の壁に重く反響する。汗に蒸れた匂いが立ちのぼる。奇妙なスポーツだ。なんの因果でこんな押しくらまんじゅうをしているのか。しかし、たのしいのだ。この渾身の力の向こうに強敵の姿をイメージすると、それはそれは底知れぬ闘志が湧いてくる。みんな、男の子なのだった。

 窓には相変わらず二、三の女子のシルエットが並んでいたが、もうくすくす声は聞こえなかった。

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