12・敗戦

 試合後に再びむすばれた円陣は、どんよりと無言に沈んだ。グラウンド内では、宿敵キョーゲイが勝鬨をあげている。その雄叫びを、沈痛な面持ちで遠く聞いた。オレたち新入部員はともかく、先輩たちはやつらに雪辱するために、一年間をドロにまみれてきた。それが、見るも無惨な返り討ち。すべてオレたち使えない新入部員のせいだ。

 キョーゲイの歓喜の声は、背中の傷口からじわじわとしみ入ってくる。それ以上に、先輩たちのヘコみ方を見ているほうが痛かった。

「カナ美、ファイトー!」

 京都芸大側の円陣からエールがくる。よけいなお世話だ、が、こちらからも「キョーゲイ、ファイト」のエールを返す。ラグビーでは、ゲームセットのことをノーサイドという。この瞬間、敵味方の壁はなくなりました、という意味だ。戦った後はお互いにエールを送って、健闘をたたえ合う。美しい儀式だ。だけどオレたちは健闘したんだろうか?いや、「オレ」は。ちゃんと走ったか?覚えたことを出しきったか?もっとできたのでは?・・・部に入りたての未熟者とはいえ、即席にヤスリにかけられたなまくら刀とはいえ、もう少し役に立てたのでは?・・・反省というよりは、後悔ばかりが頭に浮かんでくる。

 小林さんは、場違いなほどに穏やかな表情だった。彼はこの日、ほとんど働けなかった。試合中に脱臼癖のあるひざ関節が抜けてしまい、何度も自分でハメ込んで修理しつつ、走っていたらしい。しかしついには力つき、ピッチの外に運び出されたのだった。自分抜きの14人でチームに戦わせるキャプテンの心持ちとは、どんなものだろう?その無念さたるや・・・

 この大会で引退するはずの彼は、円陣の中心に座って兵卒の名前を呼び、個々の健闘をたたえた。丸山、よく食らいついてたな、オータ、いい判断だったぞ。成田、部の将来はまかせたぞ。

「杉山、よく走ったな」

 そんな言葉をかけられると、かろうじて緊張に支えられていた気持ちはたちまち崩れた。ビー玉のような涙がまつげの奥にたまり、それをひとに知られないようにまぶたの内に飲みこんだ。感謝の言葉を返そうとしたが、胸にこみ上げるものがそれを詰まらせた。

 この気持ち。先輩たちはこれを一年間かかえつづけて、紫紺のジャージーを着せたサンドバッグにタックルをかましていたのだった。たしかにあの執念じみた目の奥底には、根深いくやしさが宿っていた。試合に勝ちたい、強敵キョーゲイを打ち負かしたい、という。

ー強くなってやるー

 いつかきっと、討ち果たしてみせる。オレ自身にも、勝利への渇望が生まれた。

 だが、現実はそう甘くはない。翌日の三位決定戦では、前年大会で最下位になり「世界最弱」の称号を冠せられていた愛知芸大と対戦した。前日の試合で、ダンナ・松本がろっ骨を折っていた。ボスは、抜けたひざ関節にテーピングを巻いて強硬出場したが、14人しかいないチームにどれだけのことができるというのか。試合前、相手に正直に「14人しかいないんだけど」と告白すると、露骨に侮蔑のまなざしが飛んできた。こちらの補欠をひとり回しましょうか?とまで言われたが、もちろん断り、今いるメンバーだけで戦った。こうして「世界最弱」タイトルは、わが手に移動した。

 その夕刻、四校ラグビー部が勢ぞろいした打ち上げセレモニーが、とある池のほとりで開かれた。水場のほとりで、というのは伝統らしい。

 四芸最強の座はここ数年間ずっと東京芸大が維持しており、この年も彼らがタイトルを防衛した。キョーゲイはそのチャンピオンに肉薄したが、惜しくも及ばなかった。しかし戦力の充実に沸き立ち、来年こそは、の気概に盛り上がっていた。ホスト校の愛知芸大は、最下位脱出という戦果に狂喜した。盛大に樽酒が割られ、どの校もその味に酔いしれた。

 オレたち金沢美大だけが、ひとり打ちひしがれていた・・・かと思えば、そうでもなかった。オレたちはいちばんはしゃぎ、飲み、暴れた。金沢の酒好きと、酒癖の悪さは有名なのだ。

 打ち上げでは、恒例の行事がある。四校の同じゼッケンが舞台上にならび、自己紹介の後、その番号分の升酒を飲み干すのだ。1番は一杯、10番は十杯、といった具合だ。その合間に各自の芸が披露されるので、早々と酔いはまわる。4番のオレが舞台に立つ頃には、会場はすでに完全にへべれけ状態になっている。すさまじい飲みっぷりと、乱れっぷりだった。ふと舞台を見ると、四人のキャプテンが壇上に立ち、升酒の中に「友情の証」としてそれぞれの胸毛を刻んで入れ、口移しに飲んでいる。とんでもない連中だ。

 荒らぶる金沢美大のメンバーは、やがて宴席の横で待ち受ける池に、次々と他校の生け贄を投げ込みはじめた。酒さえ飲めば勝ちも負けもカンケーねー、というのがわがチームのスタンスらしい。これがすなわち、ノーサイドの精神なのだ。誰もがはだかになり、水の祭典がはじまった。飲んで、泳いで、投げられて、落とされて・・・死者・行方不明者がでないのが不思議なほどだ。

 そんなめちゃくちゃなのに、ひたすら笑顔に満ちた宴席だった。笑い合い、酌み交わし、肩を抱き合えば友だちになれる。憎っくきキョーゲイも、話してみれば気分のいい連中だった。グラウンドの外では、本当に敵も味方もないのだ。気持ちよくはじけ、意識が飛ぶまで飲んだ。

 獲物がすべて池に沈むと、わが校もようやく落ち着いた。荒ぶったわがチームは、試合後にようやく勝利の溜飲「に似たもの」を下した。しかしそれはごまかしでしかない。複雑なものが去来する。本物の勝利が欲しかった。

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