8・急場

ーこんなんムリっすわ・・・ー

 口からこぼれそうになる弱音を鼻血といっしょに飲みくだし、オレは一千回立ち上がるのだった。

 当初の新人教育の大半は、ルールの詰め込みと、集団内における個人の動きをからだに焼きつけることに費やされた。スキルアップは後まわしにして、とりあえず「型」だけでもつくりあげておかなければならない。わがチームには、急ぐ必要があった。なぜなら、美大ラグビー部にとって最大の目標となる試合が、なんとわずかひと月後にせまっていたのだ。高校野球でいう「甲子園」、サッカーでいう「天皇杯」、お笑いでいう「M-1」のような権威ある大会だ。オレたちでいうところのそれは「四芸祭」だ。日本全国の公立芸術系大学が集まって競う、スポーツの祭典である(四芸祭という名のとおり、四つの大学しかないのだが)。芸術系大学のスポーツ部は、四芸祭の頂点というただ一点を目指すためだけに存在する。

 ただ、前年度の戦力の大半を卒業で送り出してしまったわが金沢美大ラグビー部は、勝ち負けを算段する状況にはなかった。なにしろ部員が決定的に不足していたのだから。そこで発想されたのが、新入生誘拐捕獲作戦だった。オレたちは、そんな急場しのぎに掻き集められたインフレルーキーというわけだ。

 当然、力強い戦力になどなりえない。急ごしらえのポンコツ部品がそこここのポジションに散りばめられているものだから、チーム全体の意思の疎通が働かない。動きも無秩序で、戦術も描きようにない。それでも大会はやってくる。ひと月間でなんとか粗相をしない程度の動きを身につけなければ、わが校は面目を失う。格好がつくかどうかの瀬戸際だ。

 そこでチーム首脳は考えた。やせ細ったチンピラ画学生のハンドリング技術を向上させるよりも、チームスポーツとしての体裁を整えることに重点を置こう、と。ライバル校相手に「試合にならない」などという恥ずかしい姿をさらすことはできないのだ。こうして、フォーメーション丸暗記作戦は発動された。

 首脳陣の方針が打ち出されたその日以降、オレたちはひたすらに、「ボールがここに来たとしたらこう動いて」「ここでこうつぶされたとして」「そしたら後ろのやつはこう横に付いて」「さらに後方から押して、ボールがスクラムハーフに出たとして」「ここでブレイクね」などと想定問答集のような約束ごとを延々とくり返した。それは団体ダンスのステップの練習のようでもあり、組み体操の形態を編んだりほぐしたりする練習のようでもあった。グラウンドのまん中で大男たちが、ぶつかったり、肩を組んだり、抱き合ったり、押したり、引いたり、寝そべったり、転げ回ったり、という妙な光景が、その後一ヶ月間も展開された。

 しかしそんなシミュレーションばかりをくり返していたわけでもない。

「ラグビーでいちばんかっこいいプレイはどんなシーンか、知ってるか?」

 ある日、新入部員を相手に、小林キャプテンがこう切り出した。オレたちは顔を見合わせ、あたりまえに思える解答をする。

「トライですか?」

 小林さんは首を横に振る。

「わかった!50m独走トライ?」

「ダイビングトライ?」

 小林さんは不機嫌になる。

「バッカモン。そんなん、チャラい!」

 違うようだ。

「トライじゃないんすか?」

「じゃ、直角ステップで相手をかわしたときとか?」

「ひょっとして、ゴールキック?」

「ロングキック?」

「まさか、キックオフ?」

 どの答えにも小林さんは首を振る。わかってねーな、とでも言いたげだ。やがて彼は、前歯の抜けた口で正解を告げた。

「いいか、よく聞け」

「はあ」

「ラグビーでいちばんかっこいいのは、実は『ディフェンス』なのだ」

「へ・・・?」

「そんなバカな・・・ディフェンスなんて・・・」

 ディフェンス=防御・・・守りがいちばんかっこいいなんて、どこの世界にそんなすっとぼけたスポーツがあろうか。スポーツは、攻めるからこそポイントが入るのであり、その得点シーンがいちばんの見どころなのだ。ラグビーがでてくる青春ドラマでも、いちばんのクライマックスは「トライ」と相場が決まっている。

 それでも、この巨体の弁舌家はつづける。

「いいか、大学ラグビーの御三家といえば、早稲田、明治、慶応だ。これらの古豪は、それぞれに伝統の戦術をもってる。早稲田はバックスの華麗なパス回しによる展開ラグビー、明治は重戦車フォワードによるタテ突進、てな具合だ。だけど中でもすげえのは、慶応の『魂のタックル』ってやつよ」

 オレたちは、はたと気づいた。

「そうか!タックルだ」

「そうだ。まあ聞けよ」

 特待生制度をつかって高校ラグビーのエース格を根こそぎチームに引き入れる早稲田、明治とちがって、慶応だけは困難な入試を突破した優等生たちの細い肩を鍛えぬき、戦闘員に育てあげる。その必殺の武器が、タックルだ。本当にやつらは、死ぬほどそれを磨きぬくのだ。タックルは、一瞬で大ピンチの芽を刈り取り、チャンスへと転換させる「革命カード」だ。巨大な敵を一撃で沈めたときの胸のすくような快感、そして美しさを想像してみるがいい。これ以上に劇的でかっこいいシーンがあろうか?ラグビーの華は、誰がなんと言おうと、ディフェンス、すなわちタックルなのだ。

「おめーら、タックルをみがけ」

 新入部員は申し渡された。またもまじないにかかってしまう。小林さんのドラマチックな口調は、聞いている者にヒーローの幻想を見させる。彼は、ひとを奮い立たせる天才だった。

 ただ、そこには逆に、苦しいチーム事情も隠されていた。前年度の主戦力の抜けた穴をド素人でツギハギにつくろったわがチームには、華麗な展開力も、強力な突破力もない。攻めてくる敵をひたすら身を削ってツブしていくしか手がないのだ。そして、その戦術を大会までに間に合わせなければならない。タックル玉砕は、考え詰めた挙げ句の窮余の策だった。

 しかし、そんなこととはツユ知らぬ新入部員たちの目は、ヒロイズムに輝いていた。かっこいい、と聞いて燃えない男があるだろうか?ルーキーの中で最初に手柄を立てるのは自分だ、と誰もが野心をたぎらせた。

 目の前に立ちはだかるサンドバッグは、ライバル校の紫紺のジャージーを着せられている。オレはそいつめがけて殺気立ったタックルをかます。敵は、ふかーっ、と空気をもらし、ゆらゆら~ぱたーん、と倒れる。・・・まだまだ頼りないタックルだ。だけど、だけどオレは一千回立ち上がって、そんなアタックを反復するのだ。そうするうちに、窓辺の女子のくすくす声もやむはずだ。はやくかっこよくなりたかった。

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