6・始動

 桜の花びらを散らして、春風が視界いっぱいを流れていく。片田舎にある大学のグラウンドは広大だ。その外周を、ひたすら走る。普通に走り、スピードを上げて走り、流して走り、横跳びに走り、後ろ向きに走り、小刻みにステップを切りながら走る。

「美大ふぁいとー、ぜっ」

「おうっ」

「ぜっ」

「おうっ」

「ぜっ」

「おうっ」・・・

 絶え間なく大声を上げつづける。

ーそのかけ声はやめてくんないかな、はずかしい・・・ー

 校舎の窓から顔を出した女子が、それを見てくすくすと笑い合う。ラグビー部は彼女たちをこそ勧誘すべきだ。可憐なマネージャーが必要だ。グラウンド脇のベンチから手を合わせて見守りでもしてくれたら、力が20%増しに出せるというものではないか。ただ、彼女たちにアプローチしたところで、こんなむさ苦しい男どもなどとても相手にしてくれやしないだろうが。

 走りはじめて5分。すでに心臓が破裂しそうになっている。部活動といえば、オレにとっては中学時代から、イコール「美術部」だった。「運動部」とは、窓の外はるか眼下に存在する変人たちの世界、という認識だったのだ。自分がそんな場所に放り込まれるなど、考えたこともなかった。しかもいきなり「青春バカのお手本・ラグビー部」だ。ついていけるわけがない。

 持久走が終わると、かるくボールを手になじませる練習がある。「ワンダッシュ」という。蹴られたボールをキャッチする練習で、野球でいうノックのようなものだ。ただ、野球と決定的に違うのは、ボールがヘンテコな形をしている、という点だ。蹴り出された楕円球を追うのは、逃げまわる野生動物を捕まえるようなものだ。あっちにはずみ、こっちにはずみ、まるで動きの予測がつかない。ドジョウすくいのようなへっぴり腰で不規則なバウンドを追いかけていると、またも校舎の窓から女子が声を上げて笑っている。みっともなさと徒労感で打ちのめされる。準備運動だけで、心もからだもボロボロになる。

 一方、先輩たちの動きは機敏だ。全力疾走しながら、ボールをたちまち追いつめ、手のひらにそっと吸い寄せる。そしてハッシとつかむと、再び矢のようにダッシュする。一歩目で全開加速し、二歩目にはスロットル激しぼり、わずか三歩で最高速に達している。メリハリだ。フルブレーキング、捕獲、フル加速。カラフルなジャージーをなびかせ、風の中を疾過する先輩たちの姿はかっこよかった。そして、恐かった。

 基本的な全体練習が終わると、各ポジションに分かれての練習がはじまる。

 フォワード陣が集まる。周りの誰もが巨体だ。脂肪でだらしなく膨らんでいるわけではない。硬く、分厚く、みっしりと詰まったヨロイのような筋肉を、太い骨格の上にまとっている。破壊を目的につくりあげられた巨躯なのだ。オレは見惚れ、ただたじろぐしかなかった。

 彼らへの畏怖の念は、ぶつかり稽古がはじまっていよいよ本物となった。彼らの質量は、地面にどっしりと構えるためのものではなく、加速をつけて敵を粉砕するためのものだった。砲弾のように飛び出した鋼の肉塊は、わずかな距離でトップスピードにのり、目標物に突き刺さる。

 ドカン!!

 その慣性は、コンタクトの瞬間にクッションを持った敵役の大男を5mも後方にはじき飛ばすほどだった。

「オメーもやってみろ」

 キャプテン・小林さんから声がかかり、オレはおずおずと前に歩み出た。自慢ではないが、これまでキャッチボール以上のスポーツを経験したことがない。モテたいがために、毎夜腕立て伏せ程度のことはしていたが、その腕力は男性誌の最終ページに載ったブルワーカー少年のそれだった。つまり、実用を想定しない筋肉だ。

 しかしオレは今まさに、自らの肉体の有用性を問われているのだった。

「きみならいけるよ。Go!」

 コロコロ丸メガネ先輩がよけいなフォローを入れる。オレは覚悟を決めて、大男が構えるクッションに向かって走りだした。全力で加速し、コンタクト!

 ポヨン・・・

 まぬけな音が漏れ、爪楊枝のようなからだが大空に舞う。天と地が入れかわる。みっしりと重い衝撃が肩から背骨にまで伝わり、一瞬意識が飛ぶ。オレは、芝生を噛む大男の足を1センチも動かせなかった事実を、地表からの視線で知る。オレの全身全霊を込めたアタックベクトルは、相手にキズひとつ残すことなく、全部おつりとしてこの身に返されたのだった。

 土と鉄の味を奥歯に噛みしめながら、オレは思った。ムリだ、やめよう、と。

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