第8話
ゆさゆさと体を揺らされる感覚で、志希の意識は浮上する。
「んぅ?」
寝言に近い声で抗議の声を上げるが、耳元で囁く様に呼びかけられる。
「静かに起きて」
声はクルトで、志希は小さく頷いて体を起こす。
寝起きは悪い方ではないが、まだ寝足りなくて頭が重い。
「嬢ちゃん、しっかりと目を開けるんじゃ」
ベレントが小さな声をかけて来た事で気がつく。
何故か、皆酷く緊張している。
志希は取り敢えず掛けられていた毛布をたたみ、クルトに差し出す。
「ありがとう。シキはこのローブを着て帽子かぶって、周囲に顔を見せない様にして」
クルトの言葉にこくこくと頷き、毛布の代わりに手渡されたローブを身に纏い帽子を被る。
「……シキ、何か感じないか?」
カズヤが、酷く緊張した声で問いかけてくる。
何が起きているかは分からないが、取り敢えず異様なほど緊迫しているのは分かったので目を閉じて意識を澄ます。
周囲の気配を感じると言うよりも、大気に意識を乗せて辺りを探る。
すると、今いる所から右手の方から異様な気配を感じた。
それは敵意や悪意を纏った、強大な戦意を放っている。
そちらへと意識を集中すると、目蓋の裏にその光景が見えた。
ゴブリンだけではなくオークやホブゴブリン、オーガがめいめいに行軍していた。
ホブゴブリンのごく一部が精霊を従え、邪神の加護を使って奇跡を起こしているのが見える。
同時に、ゴブリンの中で黒い布切れを纏った者が居るのに気が付いた。
黒い布切れを纏ったゴブリンは、その手に短いながらも杖を持ち振っている。
杖が振られる度に、黒いゴブリンの前に積み重なっていた何かが体をよたよたと起こしていく。
それが何か理解した瞬間、志希の喉が鳴る。
「うぐっ!」
胃の方から酸っぱい塊がせり上がってきて、志希はとっさに口を覆って俯く。
「ぐっ、ぐぅ!」
必死に嘔吐するのを堪えようとするが、発作の様な反応が止まらない。
「おい、如何した!?」
カズヤが心配そうに声をかけるが、志希は返事をする事が出来ない。
「これに吐け」
イザークは素早く木桶を志希の前に置き、背中をさする。
それで志希は我慢できずに、そのまま木桶に吐き出す。
吐いても胃液しか出ないのだが、それでも志希は涙を零しながら吐き続ける。
「何か、感じましたか?」
ライルはそんな志希に、至って冷静に問いかける。
クルトは布を水袋の水で濡らし、何とか収まり始めている志希の口と手を拭っている。
「ここから右の遠くの方でゴブリンとホブゴブリン、それにオーガが集まってた」
ぜいぜいと息を切らしながら、志希は震える手でクルトから濡れた布を受け取る。
「ホブゴブリンには精霊使いと、暗黒神官がいて。ゴブリンには珍しい死霊魔術師が居て、今リビングデットを大量に作ってた」
志希の告げた言葉に、ライルとクルトが驚いた表情を浮かべる。
「そこまで詳しく、わかるものなのですか?」
ライルが問うのはクルト。
しかし、彼は頭を振って答える。
「普通、そこまで詳しい事は分からない筈だよ。シキは、随分と優秀な精霊使いの様だね」
驚いた様にクルトは言い、カズヤは何とも言えない表情を浮かべる。
「取り敢えず、進軍準備をしているって事じゃのぉ」
ベレントはそう言いながら、顎の髭を扱く。
「向こうに死霊魔術師が居ると言うのが、厄介ですね」
ライルはそう言いながら、考え込む様に目を伏せる。
「撤退時だな。昨日の昼間の戦闘も、指揮が悪くて戦死者がかなり出ている。それで、俺達の元仲間が襲ってくるっつー状況にもなって、士気ががた落ちするぞ」
カズヤは真剣な声音でぼやき、ぐるりと仲間を見回す。
「ワシとしては、もう少し戦場で戦いたいのじゃが……なぁ」
ベレントは困った様に、志希を見る。
何とか落ち着いた志希は、肩で息をしながら水を貰って口を漱いでいる。
どう見ても足手纏い以外の何物でもない彼女に、如何して良いものかと困っているのだ。
ライルもまた、困った表情で肩を竦める。
「傭兵としての期間は、今日の昼までです。その前に逃げだせば、違約金を払わなくてはならなくなりますよ?」
ライルの言葉に、それならとクルトが声を上げる。
「隊長にシキが感じたものを教えて、大隊長にお伺いを立てた方が良いね。撤退するにも何をするにも、大隊長の判断が無いと規律が乱れる」
例え傭兵でも、その規律を守らなくてはならないのだ。
志希は青ざめたまま、クルトを見上げる。
「シキの名前は出さないから、安心して。君は色々と訳ありだから……隠しておいた方が、良いだろう?」
クルトは優しく笑んで、シキの頭を撫でてからライルとベレントを見る。
「なんじゃ、ワシまで行くのか」
ベレントは面倒くさげに言うと、ハルバートを持って立ち上がる。
「当たり前だろ? 戦女神の神官様なんだから。カズヤとイザークは、ここでシキと一緒に待っていて」
クルトはそう指示を出し、ライルとベレントを従えてテントを出て行く。
イザークは無言で志希が吐いた物が入った木桶を持って外へと行ってしまい、どこか憮然としたカズヤと志希が取り残される。
「……おはよう」
志希は取り敢えず、朝の挨拶をする。
その言葉に、カズヤは一瞬顔を歪めてから小さくおはようと返事をする。
後は気まずい沈黙だけが横たわり、志希は如何していいのか分からずカズヤをぼんやりと眺める。
すると。
「シキが精霊使いだっつうのは、最初の方で分かってたけどよ。なんつーか、こう……」
イラついた様な声音で、カズヤは呟く。
「納得いかねぇって言うか、如何してオレん時と違うのか……すげぇ腹立つっつうか、イラつく」
カズヤの言葉に、志希はきょとんとする。
「え?」
思いがけない事を言われたと、志希は思わず声を上げてしまう。
「シキに言っても仕方ねぇ事だとは思うんだけどよ……理不尽だって思っちまう」
ガリガリと頭を掻き、カズヤは深い溜め息を吐く。
「オレがこっちに来た時は十五で、なんも分からねぇ餓鬼だった。んで、暢気に俺は特別な奴なんだって、思ってたんだよ。冒険者として大成できるとか、ゲームと同じみたいな事を考えてた」
しかし、現実は非常だった。
「オレは、戦士としては致命的に体力が足りてねぇ。だから、諦めた。そんで、その次は精霊使いを目指して挫折して、魔術師にも挑戦したけど駄目だった」
そこまで一息に言ってから、カズヤは志希を見る。
歪んだ表情は、酷く哀しそうだ。
「努力しねぇで、精霊をあっさり使ってるシキが羨ましいって嫉妬しちまう」
苦しい声音で、カズヤは吐露する。
「オレが諦めたものをあっさり手に入れて、妬ましいって……バカみてぇだよな」
カズヤはそう言って、肩を落として俯く。
志希はそんな彼の前に移動し、じっと待つ。
「悪い、オレちょっと……」
志希を見ずに立ち上がろうとするカズヤの手を、ぐいっと引く。
「頭冷やして来るだけだから、離してくれ」
カズヤは必死で顔を背けながら言うが、志希は頭を振る。
「私は、カズヤさんは凄いと思うよ?」
志希の唐突な一言に、カズヤは思わず志希を見る。
「だって、ダメだったからって冒険者その物から逃げ出してないじゃない。生き物や、人を殺す事を覚悟して、実際その手にかけても逃げ出してないじゃない」
志希は真っ直ぐにカズヤを見上げ、告げる。
「現代の日本人って、安易に人を傷つけることなんてできないじゃない。特に、十五歳って言ったら多感な時期でしょう?」
思いがけない志希の言葉に、カズヤは目を丸くしてすとんと元の位置に腰を落としてしまう。
「最初は軽い気持ちだったのかもしれないけど、生きて行く為にこの道を選んだんだったら……凄い事だよ」
志希とカズヤの目線が同じになり、志希は安堵した表情を浮かべる。
「カズヤさんがイラつくのは、当たり前だよ。私はただ死んで、生き返っただけで言葉や知識を得て世界や神々から庇護されてる。努力なんてこれっぽっちもしてない」
カズヤは、志希の言葉にはっとした表情を浮かべる。
しかし、志希は気が付かずにカズヤの手を握って励ます様に笑いかける。
「だから、カズヤさんは凄いんだよ!」
志希の笑顔と言葉に、カズヤは何とも言えない表情を浮かべる。
励ましたつもりの志希は、カズヤのその表情に自分が何か失敗したのかと困惑してしまう。
「その励ましは、逆効果だろう」
と、いつの間にかテントに戻って来ていたイザークが言う。
「えっ!?」
志希は驚いた声を上げると、カズヤが深い溜め息を吐く。
「……死んで生き返る方が、オレの努力より遥かに大変だっつうの」
何せコネと大金が必要だ。
「バカ見てぇ、マジで」
カズヤは脱力した表情で苦笑して、呟く。
「え、えと……?」
志希は如何声をかけようかと悩んでいると、イザークが嘆息して声をかけてくる。
「シキ、一つ訊くが……成人しているのか?」
華奢な体と幼い顔立ちをしているが、全体的に志希は大人びている。
そのアンバランスさが気になり、イザークは問いかけたのだ。
「そうね……カズヤさんと同じか、一つ下かな」
志希の答えに、成程とイザークは頷く。
カズヤは、志希の答えに驚愕している。
「……その体形と顔で?」
思わず出たらしいカズヤの言葉に、志希は憮然とした表情を浮かべる。
「若返ってるって、言ってるでしょう」
志希の言葉に、そう言えばとカズヤは頷く。
「なんか……オレの嫉妬とかマジでバカみてぇだよなぁ。シキの方が、オレより遥かに大変じゃねぇか。なぁ? イザーク」
カズヤはイザークに話を振り、彼はそうだなと頷く。
「どんな職種で在れ、いて困る事はない。特に、迷宮に潜る事を考えれば腕の良い盗賊は特に重宝する」
イザークの淡々とした言葉に、カズヤの頬が少し緩んでいる。
「そうだな。隣の芝生は青いって言うしな!」
盗賊と言う職業は居てくれた方が良いと言うイザークの言葉に、カズヤの機嫌がどうやら治ったらしい。
単純な男である。
志希はそんな事を思いつつ、イザークを見る。
志希の視線に気が付いたイザークは、志希を見返す。
マジマジと志希を観察するうちに、ふっと眉を潜めて志希の前髪に手を伸ばす。
「……カズヤ、手鏡を貸せ」
イザークはそう言いながら、志希の前髪を手で上げる。
志希は目を白黒させながら、黙ってイザークの様子をうかがっている。
「如何したんだ……って、なんだこれ」
カズヤはぎょっとした表情を浮かべ、腰に付けているポーチから素早く手鏡を取り出して志希に渡す。
「額、見てみると良いよ」
真剣な声音に、志希は慌てて額が見える様に鏡を調節して覗きこむ。
そして、目を丸くする。
「何これ……」
声を震わせながら、志希はイザークが露わにしている自身の額に手を伸ばす。
鏡に映る自分の額には、虹色に輝く宝石の様な物が埋まっていた。
宝石に指先が触れると同時に、志希はこれが何なのかを理解する。
「あ、これ証か」
成程、と呟きつつマジマジと鏡を覗き込んで宝石を指で撫でる。
アルトの額にもあったのだが、あまり気に留めていなかった。
「……随分早く、順応するなぁ」
呆れた声でカズヤが言い、イザークは志希の前髪から手を離す。
「んー、だって……何時までも驚いてたって仕方ないから。それに、昨日から色々あり過ぎてるんだもん。そろそろ順応しないと、生きていけないでしょ?」
志希のあっけらかんと言い返しながら、カズヤに手鏡を返す。
カズヤは志希の言い様に何とも言えない表情を浮かべつつ、手鏡を受け取りポーチに戻す。
志希はその間に、額の宝石を隠す様に前髪を降ろす。
イザークが気付くまで、パーティ内の人間は全く気が付いていなかった事を安堵しながら。
その志希の前に、イザークが布を差し出して来る。
「これを額に巻いて、前髪が邪魔にならない様にしろ」
ついでに、宝石を隠せ。
言葉の外にある意図を滲ませた声音に、志希は頷いて布を受け取る。
「ありがとう、イザークさん」
先程のやり取りで帽子が脱げてしまったので、志希は丁度良いとばかりに額に布を巻いて帽子をかぶり直す。
「しっかし、マジもんで大隊長はどうするつもりなんだろうな」
カズヤはそう言いながら、身支度をしていた。
弓を背負い、腰の小剣を確認してから、矢筒の中の矢の本数を数えてながら痛んでいる物が無いか見る。
「無謀な奴なら、ここで迎え撃つと言うだろう。無能なら、クルトの助言を一蹴する。有能な人間であれば……」
「撤退か、奇襲か……オレの勘は、撤退するべきって訴えてるけどな」
カズヤはイザークの言葉に呟き、荷物から紐を二本取り出す。
「シキ、靴がずれねぇようにこれできつく縛っておけ。どっちにしろ、ここから移動する事になる。足に合ってねぇ靴を履くからって、お前に合わせる事は出来ねぇからな」
カズヤはそう言って、志希に手渡す。
「分かった」
志希は素直に頷き、紐で靴と足を強引に縛りつける。
変な隙間が出来ない様に縛ってから、靴に慣らすようにテント内を歩き回る志希。
カズヤがそれを眺め、イザークが荷物の点検を始めると、外から声がかけられる。
「イザーク、カズヤ。準備はできてますか?」
ライルの問いかけに、カズヤが応と答える。
「大隊長は撤退を指示しました。傭兵の私達には既に報酬が支払われ、ここで契約が終了いたしました。各自、好きな様に逃げてくれだそうです」
大隊長は有能な人物だったらしいと、先程のイザークとカズヤの会話を思い出して志希はぼんやりと思う。
「了解。そんじゃ、行くぞシキ」
カズヤは志希に声をかけ、促す。
「え?」
思わずきょとんとした表情を浮かべる志希を、イザークが腕を掴んで引っ張る。
「見つけたのは俺達だ。面倒見るのも、当然だろう」
「それに、優秀な精霊使いですからね。道中、クルトと一緒に働いてもらいます」
イザークの言葉に続き、入口の布を上げているライルが言う。
「テントはどうすんだ?」
カズヤがライルの後ろに向かって問いかけると、かかと笑うベレントの声が聞こえる。
「手早くたたんで、持って帰るぞい。何せ、ワシが神殿から借り受けたものじゃからな」
ベレントの言葉に、若干うんざりした表情を浮かべるカズヤ。
「さっさと片付けて、移動を開始するぞ」
イザークは表情をあまり動かさず、淡々と言って動き出す。
カズヤも渋々と言った様子で動き出し、ベレントとイザークと協力して手早くテントをたたみしまい込む。
しまったテントが入った荷物は、ベレントが持つ荷物袋に仕舞われていく。
あまりの手際の良さと、荷物を軽々と持つベレントに志希はぽかんとした表情を浮かべて眺めてしまう。
その志希に、クルトが声をかけてくる。
「シキ、この辺りに敵が居ないか分かるかい?」
問いかけられたシキは目を閉じ、先程と同じく意識を広げる。
すると、先刻より近付きつつある敵意を感じて、目を開く。
「さっきより、近付いてきてる」
志希の言葉に頷き、クルトは皆に手で合図をする。
「それじゃ、出発するよ。シキは、疲れたらイザークかカズヤに声をかけて、背負ってもらってね」
クルトの一言にこくりと頷き、手を引かれるまま歩き出した。
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