第5話

 この世界は、人と亜人と妖魔が暮らす世界だ。

 人と亜人は仲が良く、妖魔のごく一部とも交流を持っている。

 だがしかし、大半の妖魔は邪悪で、弱い人間達を見下して襲いかかってくる。

 人と交流を持っている妖魔を見下し、亜人や人を食料や玩具とみなしている者が殆どであった。

 その代表格とも言えるのが、緑の肌と大きな牙を持つゴブリンと呼ばれる者達だ。

 彼らの数は多く、部族ごとに長がいてそれらを取りまとめるのが王と呼ばれている。

 部族の長とその一族はゴブリンと呼ばれるには大きな体をしており、ホブゴブリンと呼称が付けられている程だ。

 王はホブゴブリンの三倍近い大きさで、かなり強いと言われている。

 志希は脳内で、この世界の知識の確認をしていた。

 主に、現実逃避の為に。

 そうして精霊達に案内されるがまま歩いていたのだが、木の精霊に警告された。

 悪意を持ったゴブリンがいるので、隠れた方が良いと。

 志希はその言葉に従い、木に登り体を小さくしていた。

 精霊達も志希の姿を隠す為目くらましをかけて、寄り添ってくれている。

 暗闇の中、オレンジ色の光が遠くで揺らめくのが見えた。

 それは見る見る近付いてきて、直ぐに松明の明かりだと判る様になる。

 ほどなくして、十匹ほどの集団を組んだゴブリン達が音も無く志希が先程いた地面に姿をあらわす。

 松明の明かりに照らされた彼らの顔は醜く歪み、見ているだけで志希の肌が泡立つ。

 声を上げない様に息を詰め、じっと彼らを観察する。

 ゴブリンと呼ばれる彼らは、成人男性の腰ぐらいの小ささしかない。

 それ故ゴブリンと呼ばれるのだろうとは思うが、その濁った眼と涎を垂らして歩く姿は嫌悪感しか抱けない。

 厭らしく笑い、楽しげに仲間たちと何か会話しているのが聞こえる。

 〈臭う、臭うぞ! 血と、柔らかい肉の臭い!〉

 〈ああ、旨そうな匂いだ! 子供、子供の臭い!〉

 〈違う、違う。子供じゃない、女の臭いだ!〉

 ぎゃあぎゃあとけたたましく、楽しそうにゴブリン達は騒ぎ立てる。

 〈女、女! 人間の女! 脂肪がたっぷり乗った、旨そうな女!〉

 〈探せ、探せ! おれらの夕飯だ! 隊長に見つかる前に、俺らで喰っちまおうぜ!〉

 ゴブリン達のその声に、志希は目眩を感じる。

 彼らに見つかった場合、また殺されてしまう。

 幾度殺されようとも、『神凪の鳥』は蘇る。

 だがしかし、殺された時の恐怖も痛みも全て魂に刻まれるのだ。

 繰り返されれば、発狂しかねない程の現象。

 しかも、この話の内容からすれば捕えられて調理されるのだ。

 下手に生き返ろうものなら、延々と同じ事を繰り返される。

 恐怖に悲鳴を上げかけるが、志希の感情を受け止めた風の精霊が慰撫する様に彼女の頬を撫でる。

 ここで怯えて、下手に動けば見つかる。

 想像した事が現実になるかもしれないと言う予感に、志希は息を詰めて木に体を押し付け、必死で無心になる。

 下手な事をすれば命取りになると思い、取り敢えず知識の中のゴブリンの項目を確認していたのである。

 ゴブリン達はぎゃあぎゃあ声を掛け合いながら一生懸命探していたが、不意に断末魔の悲鳴が響き渡る。

 〈なんだ!? なんだ!?〉

 このゴブリン達のリーダーらしいゴブリンが、驚いた声を上げる。

 〈人間! 人間に襲われた!〉

 ゴブリンの報告する声に、彼らは動揺する。

 その隙が命取りだった。

 鋭い音が鳴り、矢が報告していたゴブリンの首を貫く。

 それと同時に、首を貫かれたゴブリンの頭上に魔力が収縮するのが見えた。

 咄嗟に身を固くし、木にしがみ付く志希。

 瞬間、物凄い熱と炎が巻き上がる。

 体に纏っていた水気に着いてきていた水の精霊が、志希に水の膜を作り熱と炎から護る。

 炎の精霊もまた、志希に傷を負わせまいと魔力で編まれた炎と熱を風の精霊と共に上空へと逃がす。

 彼らのお陰で、志希は髪の一筋も傷を負っていない。

 しかし、水気のみで膜を作った水の精霊は消えてしまい、志希は恐怖で震えながら涙を零す。

 消滅したと言っても、死んでいる訳ではない。

 水は蒸発して水蒸気となり、空で雲になり雨となって降り注ぐように精霊もまた巡回しているのだ。

 世界の根底と同じ様に、流れている。

 しかし、志希は助けてくれた彼らにお礼を言う事が出来ない事に、悲しくて涙を零す。

 それを慰撫する様に風の精霊が撫で、さわさわと木の精霊が梢を鳴らして慰める。

 志希は小さく頷いて、涙を拭いながらもゴブリン達を見る。

 彼らは真黒に炭化し、過剰な力で焼き払われた事を示していた。

 風の精霊達は志希の為に空気の流れを作って臭いを他へと流しているが、実際は凄い肉の焼ける臭いが立ち込めているだろう。

 想像すると喉が鳴りそうになるが、志希は堪えて木に身を寄せて必死で気配を殺す。

 何せ、ゴブリン達に矢を射て魔法を放った者がいるのだ。

 相手がどんな人間か分からない以上、用心に用心を重ねた方が良い。

 程なく、多数の足音が聞こえてきた。

 風の精霊が囁く数は、五人。

 人間二人とドワーン、アールヴにアルフが混じっているらしい。

「やつらのキャンプから随分離れた所に、ゴブリンか……」

 そう呟きながら、光るハルバードと言う大きな武器を持ったドワーンが現れる。

 ドワーンとは、戦士としての能力が高く、義に厚く信仰心も高い種族だ。

 彼らは元々工夫や芸術家として生まれて来たと言われており、手先も器用で良い武器防具や細工物を作ると言われている。

 今この場に居る彼は、金属の鎧を着ながらもその首には聖印が揺れている。

 その様子を鑑みるに、神官戦士と言う者なのだろう。

「斥候かな?」

 ドワーンの呟きに応える様に、彼の後ろに居たひょろっとした人間の男性がゴブリンの側に膝を着く。

 人間とは、最も平凡な種族だと言われている。

 特徴は無いが、器用である事が大きい。

 そして何より、この世界で最も多いと言われている種族だ。

 厚めの皮鎧に弓矢、そして腰には小剣を差している。

 その様子から見るに、この男性はいわゆる盗賊だろうとあたりを付ける。

「多分、そうでしょうね。こんな雑魚だと分かっていたら殲滅するのではなく、眠らせてから尋問した方がまだ情報が入ったでしょうね」

 そう言いながら細長い杖を持ち、眼鏡をかけた人間の青年がドワーンの隣に並ぶ。

 細長い杖の先には丸い水晶の様な者が嵌めこまれ、古語が刻まれている。

 あれは魔術師が持つ魔法の発動体で、あれが無いと魔術を編むのが難しいと言われている。

 見るからに軽装と言ったその格好は、どこからどう見ても魔術師である。

「まぁ、気にしなくて良いんじゃないかな。こんな雑魚に、大事な事を教えてるとは思えないし」

 そう言うのは、最初に見た人間の青年と同じ様にやや厚めの皮鎧を着た細長い耳を持つ白い肌の青年。

 アルフと言う魔力や精霊を扱う事に長けた種族で、身軽そうな皮鎧を着ている所を見ると精霊使いだろう。

 腰からは刺穿剣を下げ、戦えると言う事を現わしている。

 そして最後に現れたのは、アルフと同じ細長い耳を持つ黒い髪に褐色の肌をしたアールヴだった。

 痩身でありながら大きな剣を背負い、黒い金属鎧と服を身に纏った戦士と言った雰囲気だ。

 アールヴは、アルフが突然変異を起こした種族と言われている。

 魔法系統に長けたアルフと違い、アールヴは戦士としての能力が高くなった。

 昔は堕ちたアルフとも言われ忌み嫌われていたが、今は普通の亜人として受け入れられている。

 その姿を見た瞬間、志希は体を硬直させる。

 思わず吸い込んだ息の音を聞きつけたのか、アールヴだけでは無くドワーン、そして盗賊風の男性まで志希の方を見る。

「出て来い。出てこなければ、撃つぞ」

 盗賊風の男性は弓矢を構え、番える。

 しかし、それを止めるのはアルフだ。

「駄目だ。風の精霊が護ってるから、弓矢の類は効果が無い」

 男性が矢を番えた時から、風の精霊は志希の身を護るべく風を吹かせている。

「精霊使いか……道理で、姿が見えない筈だ」

 ちっと舌打ちをして、盗賊は弓を降ろす。

「では、私の魔法で寝かせてしまいましょう。何か、知っているかもしれませんしね」

 魔術師の青年はそう言い、発動体を揺らそうとするがそれを遮る様にドワーンが前に出る。

「止めとけ、相手は怯えてるだけじゃ」

 そう言って、志希が身を寄せる木の上を見る。

「闇の精霊での目くらまし、かのぉ? わしの瞳を持ってしても、見通す事ができん」

 ドワーンの言葉に、アルフが頷く。

「ええ、そうですね。光の精霊をぶつければ見える様にはなると思いますが……精霊達が如何にも騒いでいて、少々時間がかかるやもしれません」

 その言葉に舌打ちをして、盗賊の青年が口を開く。

「出て来いよ。こそこそ隠れやがって……」

 イラついた言葉に、志希は小さく喉を鳴らす。

 自分を殺した人間がいる事に、体の震えが止まらない。

 だがしかし、今すぐ攻撃される事は無いと考えれば、恐怖を押し殺してでも言葉を返した方が良い。

 時間が経てば経つほど、状況が悪化する。

 それは確実だ。

 意を決して、口を開く。

「こ……殺したり、しませんか?」

 絞り出す様に、問いかける。

 震えた声音に、彼らは驚いた表情を浮かべる。

 しかし、直ぐに魔術師が立ち直った様に頷く。

「ええ、少なくとも今は貴方に危害を加えるつもりはありません」

 魔術師の言葉に、志希は深呼吸をする。

「ありがとう、もう良いよ」

 志希は自分を護る闇の精霊に、木の精霊に大丈夫だと告げる。

 それだけで、闇の精霊達は姿を解き木の精霊の姿隠しの効力も解ける。

 志希の姿がドワーンの持つハルバートの明かりに照らされ、見上げていた彼らは小さく息を呑む。

「何故、女性がこんな処に……」

 驚いた様に、魔術師が呟く。

「いや、こりゃびっくりした」

 思わず言うのは、盗賊である。

 純粋に驚いた表情で、志希をマジマジと見ている。

 志希はそんな彼らの視線に居心地の悪いものを感じつつ、見上げてくる彼らの顔一人一人を見る。

 そして、やはりアールヴの男性の目と顔は志希が知っているものだった。

 じっとアールヴの男性を見ていると、彼の仲間達が怪訝そうな表情を浮かべる。

 アールヴの男性の隣に立つアルフの青年は、肘で彼をつつく。

 志希がなぜ彼を見ているのかを問えと、指示を出しているのだろう。

 多少嫌そうな表情をして、彼は口を開く。

「何故、俺を見る」

 そう問いかけられた志希は、思わず答える。

「私を殺した人だから」

 志希の即答に、彼は眉を潜め周囲の仲間は唖然とした表情を浮かべる。

「おい、お前マジか?」

 表情を改めた、盗賊の青年がアールヴに問いかける。

「……昼間の戦闘で、敵の魔術師が不穏な動きをしていると伝令が来たから、斬り込んで邪魔しに行った。その時、召喚陣から出て来たらしい女は殺したがこんな成りでは無かったぞ」

 アールヴは淡々と、答える。

「黒髪に黒い目、お前と同じだったな……カズヤ」

 アールヴの答えに、カズヤと呼ばれた盗賊の青年は青褪める。

「ま、まて! お前……召喚陣から出て来た女を殺したのか!? 魔法使えるのかも、確認しねぇで!」

 盗賊はそう詰ると、アールヴは頷く。

「敵陣で、敵の魔術師から召喚されていたからな」

 敵陣の中の、敵の味方として呼ばれている者だ。

 そうであれば、殺すのが常識である。

 志希は成程、と頷く。

 冷徹なあの眼は、任務だったからなのだろうと理解した。

 むやみに人を殺す人ではないと理解した瞬間、志希の緊張は少しだけ解けたのである。

 そんな志希を尻目に、カズヤと言う盗賊は怒鳴る。

「マジかよ! オレと同郷の奴、殺してんじゃねぇよ!」

 腰の小剣を抜こうと柄に手をかけ、アールヴを睨みつける。

 殺気をぶつける彼に、アールヴは背中の大剣を抜こうとするが。

「そこまでだ、君達。彼女のお話、きちんと聞こうよ」

 アルフがアールヴの青年の首元に刺穿剣の切っ先を突きつけ、盗賊の方はドワーンがハルバートを向ける事で止めている。

「取り敢えず、場所を移してお話をした方が良いでしょうね」

 魔術師はそう言って、志希を見上げてくる。

 志希はこくりと頷き、するすると木から降りる。

「匿ってくれて、ありがとう」

 志希は今まで登っていた木にお礼を言ってから、改めて五人の男性の方を向く。

 すると、魔術師が自身の上着らしきローブを脱いで志希にかける。

「少々刺激が強い恰好ですので、これを着ていてください」

 魔術師の言葉に、志希の顔は真っ赤になる。

 改めて考えて見れば、確かにそうだ。

 殆ど布切れで、それを結ぶ事で服としての機能を何とか果たしている状態なのだから。

「ありがとうございます」

 ローブの前を握り、志希は改めて頭を下げてお礼を言うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る