拾われた所は戦場だった

第3話

 互いに自己紹介をした後、アルトが志希を地上へと戻してくれた。

 一人でも地上へと戻る事は出来るのだが、余計な力を使って疲れるよりはとアルトが送ってくれたのである。

 そして、地上に戻った志希が最初に見た物は、血に塗れた自身の死体だった。

 顔の肉や柔らかな部分は全て噛みちぎられ、肉と骨を露出させている。

 虚ろな眼窩で虚空を睨み、仰向けに寝かされた腹に詰まっていた臓物と肉が引きずり出されていた。

 見るからに、獰猛な肉食獣に食い荒らされた死体である。

 自身が死に、世界の起源とも言える場所での『神凪の鳥』への覚醒。

 時間としては二時間も経っていないと言うのに、死した肉体は動物の糧となっていた。

 志希はそんな自分の死体に対する悲しみと、あまりの凄惨さに胸が悪くなる。

 ゆっくりと茜色に染まる空に気が付き、志希は小さく嘆息する。

 魂の状態のまま世界を見て回る事も出来るが、肉を纏っていた方が何かと都合が良い。

 魂魄のままだと、死霊術師に捕まる可能性もあるからだ。

 無論、やすやすと捕まったりはしないだろうが、変な輩に目を付けられるのは勘弁願いたい。

 まして、異世界人で『神凪の鳥』などと言う珍しい種族である以上、用心するに越したことはない。

『神凪の鳥』は混沌に溶けきらず、神にも成れない狭間のモノ。

 しかし、人間や精霊達からすれば膨大な力を内包した存在には違いないのだ。

 その力故に神々に庇護され、世界に庇護される存在。

『神凪の鳥』である事を知った魂は、それぞれ自身の往く道を決めて来た。

 アルトは世界の傍で魂の流れを見守り、異世界人と言う異物を直接大樹に与える役目。

 それ以外のほとんどが神界へ行き、神々の末席に加えられるべく努力をしていたと言う。

 実際に神としての地位を得た『神凪の鳥』も居るが、地位を得た瞬間に狭間のモノではなくなる為、以降の情報は入ってこない。

 そして、ほんの一握りは地上へと戻り、世界を歩いたらしい。

 彼らの殆どは、『神凪の鳥』の力を物に封じる事で、人として生きて死んだ。

 その記憶は、全てあの湖にあった。

 自分もそうするべきなのだろうかと、志希は考える。

 だが、何れ封じるモノであろうとも、今の志希にとっては必要な力だ。

 この世界の知識は全て、魂に浸み込んでいる。

 以前の世界と同じくらい、意識をする事無く操る事も出来るだろう。

 しかし、知識は知識。

 きちんと使えるかどうかは全く分からず、それ以上にこの世界の人間として振舞えるかどうかが不安だ。

 生き物を殺して生きて行く事が普通で、文明も中世くらいのこの世界。

 志希がいた世界との違いは文明レベルと、目に見える奇跡があるかないかだ。

 魔術師も、神官も、精霊使いも居る。

 戦士や盗賊も交えた彼らが就く、冒険者と言う職業がある位だ。

 その中に混じり、生きて行かねばならない事を考えると恐怖で足元から震えが上がってくる。

 しかし、尻込みしている訳にはいかない。

 放り出されて直ぐ、排除されてしまったこの世界。

 元の世界に還りたいと望んでも、『藤原志希』と言う存在は死んでしまったのだ。

 今からこの亡骸に魂を戻し、自身の力で肉体を再構成させてもそれは既に『藤原志希』ではない。

『神凪の鳥の志希』であり、『日本の中小企業のOL、藤原志希』ではないのだ。

 魂が変質した今、在り方が既に変わっている。

 なればこそ、『神凪の鳥の志希』は新たな自分として、この世界を歩かなくてはならないのである。

 志希はそっと、自身の右手を見る。

 手の甲には翼を広げる鳥が描かれ、掌には紋章が刻まれている。

 アルトと触れ合った時に走った激痛は、魂の変質が起きたからだ。

 その証が、魂の状態である自分の体全てを変えてしまった。

 おそらく、このまま体を再構成させても魂は戻らないだろう。

 考えるとまた、溜め息が出てきそうになる。

 ここで、魂魄の状態で憂鬱になっていても仕方が無いとは分かっているが、もう少し現実逃避をしたい衝動に駆られてくる。

 だが、何時までもぼんやりしていると、今度は悪霊に襲われかねないので志希は自身の亡骸の頭に膝を着く。

 眼窩から覗く赤黒い血に混じり、ちょっとだけ違う色が見えたが見なかった事にする。

 考えると、色々と負ける気がしたからだ。

 転生と言う手段に出られない自分の種族特性に腹を立てつつ眼を閉じて、かつての自分の額に魂の自分の額を重ねる。

 そして、強く思い願う。


 生きたい


 行きたい


 活きたい


 往きたい


 心の底から、イキタイと叫ぶ。

 願いは力となり、力は本流となり周囲の魔力を集め始める。

 土の精霊が、水の精霊が、火の精霊が、風の精霊が歓喜の声を上げて集う。

 光の精霊が光を乱舞させ、闇の精霊が辺りを包む。

 魔力と神力、精霊達が志希と志希の亡骸を包みゆっくりと解けていく。

 同時に、志希は希薄だった自分と言う存在がしっかりと固まった様な感覚を覚えていた。

 ゆっくりと深呼吸をして、確かめる。

 魂魄の時には、地上の世界の匂いは全くしなかった。

 今は土の匂い、緑の匂い。

 そして、錆びた鉄の様な匂いがした。

 思わず顔を顰めると、背中が石に当たる感触がした。

 痛みを感じると同時に、自分が仰向けに横たわっている事に気がつく。

 そう、獣に食い荒らされた亡骸と同じ様な格好をしていると言う事に。

 志希はそれで、自分が肉を纏った事を確信して目を開ける。

 眼に映る空の青はすっかり赤く染まり、ゆっくりと紺へと色を変えて行く所だ。

 志希はゆっくりと起き上がり、自身の手を見る。

 刻まれた『神凪の鳥』の証は、やはりそのままだ。

 志希は小さく嘆息して、最初に受けた傷を確認しようと自分の体を見降ろす。

 そこで、違和感を覚えた。

 動物の爪で剥ぎ取られたらしい服は血に塗れ、既に服の機能を有していない。

 それは仕方が無いと言えるが、その布地を押し上げている膨らみがやけに小さく感じるのだ。

 恐る恐る自身の胸に手を持ってきて、自分で鷲掴みにする。

「ち、縮んだっ!?」

 掌に余る程だった胸が、今では自分の手のひらよりちょっと大きい位のサイズになっている。

「う、うそぉ!?」

 声を上げつつ、志希は立ち上がり自分の体をチェックする。

 以前は全体的にぽっちゃり目だった身体が、やけに華奢になっている。

 肉感的とは言い難い自分の体を確かめている最中、更に驚くべき事実が判明する。

 髪の色が、やや青みがかった銀へと変化していたのだ。

 流石に目の方まで確認する事は出来ないが、思わず膝と両手を着いてがっくりと項垂れる。

「割かし、自分の容姿は気に入ってたんだけどなぁ」

 呟いてから、海より深い溜め息を吐く。

『神凪の鳥』は、魂が変質する。

 そのせいで体つきから髪の色まで変わったのであれば、顔や眼の色まで変わっている可能性が高い。

 今の自分がどんな容姿をしているのかは分からないが、正直憂鬱である。

 生まれた時から付き合っていた顔が、変わってしまうのだ。

 あまり美人ではないけれど、自分と認識していたし気に入っていた。

 しかし、何時までもここで落ち込んでいても仕方が無い。

 何せ、これから夜が来るのだ。

 この辺り一帯は戦場だったのだから、戦死者達の魂魄が彷徨い出てくるだろう。

 それに釣られて悪霊や、リビングデッドまで出てきては困ってしまう。

 請われれば魂の流れへと導く事は出来るだろうが、浄化まで出来るかは自信が無い。

 取り敢えず、破れた上着を結んで胸を隠してから移動を始める。

 死んだ時来ていた服がボロボロな上に血塗れだが、贅沢など言っていられない。

 戦場には死人を漁る盗賊も出るのだ、女一人がこんな処に居る方がはるかに危険である。

 妖魔にも人にも合わないように祈りつつ、志希は水辺を求めて歩き出した。

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