第2話
ふわり、と風を感じた。
幾度も幾度も頬を、顔を、体を撫でる風。
目覚める事を催促する様なその感触に、彼女は渋々と目を開ける。
とたん、目の前に広がるのは日を透かした梢だった。
光を遮り、風に揺れる様に葉の擦れる音が響く。
「綺麗……」
小さく呟くと、応えが返ってくる。
「うん、とても綺麗だね」
幼い子供の声音に、彼女はゆっくりと顔を横に向ける。
彼女のすぐ隣には、銀色の髪を短く刈った金色の目をした少年が座っていた。
少年は優しい笑顔を浮かべて、彼女を見降ろしている。
「ここ、どこ?」
彼女は少年に問いかけると、彼はほんの少しだけ困った様に眉根を寄せる。
「世界を支える、大樹の木陰」
少年の言葉に、彼女はふうんと頷く。
世界を支えると言われても、彼女は良く理解できない。
「日本じゃないの?」
取り敢えず、今一番聞きたい事を再び問いかける。
「うん」
少年は一つ頷いて、肯定する。
「……夢じゃ、無いの?」
彼女の三度の問いは、震えている。
「うん」
少年は、やはり困った様な表情を浮かべて頷く。
「嘘だ!」
彼女はその肯定を即座に否定する。
「だって、私生きてるじゃない! あの時、あの黒髪金目の男に殺された筈なのに……こうして生きて、君と話してるじゃない!」
体を起こし、少年に詰め寄る彼女。
突然の彼女の行動に、少年は驚く様子も無くうんと頷く。
「ここは、死者の魂が集まる場所。世界を循環し、もう一度世界へと旅立つまでの時間を過ごす場所」
少年はそう言って、ほらと横を見るように促す。
彼女はその言葉に従い、視線を動かす。
少年が促した先には、大きな湖があった。
その湖の上を乱舞する、蛍の様な儚い光。
しかし、数は無数で眩しい位に見えた。
「あの湖は、祝福の泉とも知恵の泉とも呼ばれて居るんだ。その上を浮遊しているのは、この世界の全ての命」
少年は優しく、穏やかな声音で説明する。
「人間や亜人間、妖魔と呼ばれる物。そのありとあらゆる命がここに還り、再び世界へと旅立って行くんだ」
少年の言葉に、彼女はその厳かで神聖な光景に見惚れる。
様々な色を纏った光は美しく瞬き、何故か目頭が熱くなる。
「だけど、君だけはあの流れに乗る事は出来ないんだ」
静かに、少年は言葉を続ける。
彼女は弾かれた様に、少年を見る。
「君は、この世界の人間じゃない。それは、自分で分かっているよね?」
少年の問いに、彼女はゆっくりと瞬きをする。
朦朧とした意識の中で見た、中世の騎士が着ている様な鎧を纏った人々と、自身が知っている獣よりも二回りほど大きな獣。
人の姿をした、緑の肌をした何か。
そして何より、木の葉の様な耳をした黒髪金目の男性。
あんな人間は、彼女の知る世界では物語の中にしか存在しない。
しかし、あれは夢なのではないのかと言う気持ちが、彼女にあった。
「君は、死んだんだ。人間と亜人、妖魔達の戦争の真っただ中に出現してしまい、アールヴに殺されたんだ」
少年はハッキリと、彼女に死した時の情景を告げる。
「だって……それじゃ、如何して私はこうして私として君と話を出来るの? 死んでいるなら、光の玉になって無いとおかしいじゃない」
湖の上を乱舞する光を指しながら、彼女は少年に言い放つ。
「あの流れに乗れないから、君は君のままなんだ」
少年は彼女の言葉に、そう言葉を返す。
「え……?」
きょとん、と彼女は少年を見る。
「あの流れに乗る為には、自我の無い純粋な塊にならなくては駄目なんだ。普通は、死んだ時点でそうなる。だけど……君は君のままあの湖に流れ着き、僕が見つけてここに寝かせたんだ」
少年はそう言って、彼女に困った様に告げる。
「ごく稀に、君の様に異世界の人間が現れる事がある。その時もこうやって寝かせていたけれど、皆意識を取り戻す事も無くこの大樹に溶けていった」
彼女は、少年の言葉に大樹を見上げる。
この世界を支えていると言う立派な大樹は、変わらずに梢を鳴らしている。
「異世界人の知識や存在を吸収し、この世界を支える大樹は大きくなるんだ」
少年の一言に、彼女は思わず腰を浮かす。
それを見た彼は、くすりと笑う。
「大丈夫だよ。君は、大樹に溶ける事も無く目覚めたんだから」
少年の安心させる様な言葉に、彼女はほっとした表情を浮かべる。
「でも、大樹に溶けるか流れに乗った方がきっと幸せだと思う」
ゆっくりと、少年は呟く。
「流れに乗れず、大樹にも溶ける事が出来なかったという事は……君にとって喜ばしい事じゃないんだ」
少年の言葉に、えっと声を上げる彼女。
「如何言う事?」
彼女の問いに、少年は立ち上がる。
「右手を」
左手を差し伸べた少年は、彼女の右手を求める。
彼女は求められるまま自身の右手を彼の左手に重ねた瞬間、額に熱を感じた。
ジワリとした熱は、すぐさま燃えていると錯覚するような熱さになる。
眼を見開き、少年の左手をきつく握りしめ背を反らす。
額の熱は全身へと広がり、駆け巡る。
熱は徐々に痛みへと変化し、息をする事すら困難になる。
ただ、痛みだけが知覚する全てになり視界さえ歪み機能を果たさない。
不意に、少年の声が言葉を紡ぎ出す。
「君は、僕と同じ『神凪の鳥』。神と世界の庇護を受けなければ生きていけない獣」
神と世界の違いは、不思議と理解できた。
神とは世界の最初に生まれた、力ある者だ。
彼らが空を作り大地を作り、形を整えた。
その後は世界の一角に己の居場所を作り、人の世界と切り離した事で神秘性を保っている存在。
人間や亜人達の信仰心を受けて、その力を増やしていく事が出来る者の総称。
世界とは、神も人も悪魔も全て受け入れ容認するモノ。
魂の流れを作り大樹に眠り、全ての意識を夢として見るモノ。
世界は混沌、神は秩序。
『神凪の鳥』とは、力のある狭間のモノ。
世界に溶け切る事も出来ず、神になる事も出来ない存在。
「異世界人にして『神凪の鳥』」
少年の言葉が響くと同時に、右手が解放されその場に崩れる様に体を横たえる彼女。
「信じたく、無い。けど……」
呟く彼女の隣に、少年は腰を降ろす。
「現実だよ」
優しく響く声は、無情に彼女の耳朶を打つ。
その言葉に肩を揺らし、彼女は唇を噛みしめる。
小さく体を震わせ、顔を伏せてしゃっくりを上げる。
すすり泣きを始めた彼女の頭を撫でながら、少年は魂の流れを見詰めている。
「君は、祝福と知識の湖から浮かんできた。だから、今僕が言った事全て。地上や神界、魔界がどんなものかも知っているよね」
少年の問いかけに、彼女は小さく頷く。
人が死ぬと、自我を洗い流す為に湖から浮かんでくる。
洗い流された自我は知識と成り湖を漂い、形を持った者へと吸収される。
「それで、君はどうするの? 僕の様に、ここでずっと魂が流れて行くのを見ている? いつか、この大樹と溶けあえる事を信じて」
少年の言葉に、彼女は小さく頭を振る。
「ここは確かに綺麗だけど……静かすぎて嫌」
幼子の様な声音で、彼女告げる。
「それじゃあ、地上へ戻る?」
少年の問いに、彼女は口を閉ざす。
現在進行形で、地上は人と妖魔が小競り合いを繰り返していた。
しかも、人が妖魔と手を組み他国へと攻めこむ事もある。
人間の国同士でも戦を始める事もある程、群雄割拠な世界情勢。
なんかの拍子で異世界へと落とされ、速攻で殺されてしまった事を考えても行きたいとは思えない場所だ。
しかし魔界などはもっと酷い為、行って五体満足で居られる自信もない。
神界は神界で、『神凪の鳥』が行けば良い様にこき使われる事が目に見えている。
それぐらいで在れば、かなり怖くて不自由な目に合わされると知っていても地上の方がまだマシなのかもしれない。
ここに居れば、少年と二人きりで魂の流れを眺めて時間が過ぎるだろう。
何の苦楽も無く、ただただ穏やかで静かな時間。
しかし、それは生きていると言えるのだろうか? と彼女は思う。
だからこそ、彼女は選んだ。
「地上に、戻る」
本当は怖い。
でも、同族だと言う彼と共に自我が薄れるのを待つのは嫌だと感じるのだ。
それでは、死を待つだけの不治の病人と変わらない。
己がまだ生きていると思えるのであれば、少しでも良いから行動したいと思ったのだ。
「うん、わかった」
少年は嬉しそうに、どこか眩しいモノを見る様に笑う。
「それじゃ、最後に自己紹介するね」
彼女は、体を起こして立ち上がる。
真っ直ぐに、少年を見つめて口を開く。
「私は、志希。藤原志希」
彼女の言葉に少年はしばし考えた後、ふっと笑顔になり告げる。
「僕は、アルト。そう、アルト!」
とても嬉しそうなその表情に彼女、志希も笑顔で頷いた。
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