第13話・背中のひと

 焚き木が尽きた時点で、とっとと火を消して帰るべきだった。修正しようもない現実を突きつけられ、いっそ逃げ出したい気分だ。罪を犯したような女と、男と、罰を与えられたようなオレと、そしてなにも知らない一名。さまざまな立場が入り交じり、それでも「なにも起きなかったテイ」で、浜を後にする。

「あっ!ないっ!」

 いろはが騒ぎはじめた。球場のときと同様に、また。

「ないって、チャリキーが?」

「ううん。自転車が」

 海岸の入り口に停めておいたチャリは、盗まれていた。ロックが壊れていたせいだろう。簡単に持っていけたわけだ。

「そうか・・・大切なんだな、鍵って」

 ノリチカはチャリ屋としての勉強させてもらったようだ。が、今や手遅れだ。周囲には灯りひとつなく、浜は真っ暗だ。捜索しても、自分たちが迷子になるばかりだろう。あきらめるしかなさそうだ。

「また歩くのか・・・」

 四人は、肩を落として歩きだした。

 夜気に湿りはじめた砂を踏んで、海岸の出入り口になっている高架をくぐる。枝の隙間から月明かりを落とす松林を抜け、長くなだらかなスロープを延々と登り、丘を越えると、巨大な坂を街側にくだり、県道をひたすら歩いた。ラグビージャージーの背中に、行き交う車がヘッドライトを浴びせていく。妙な集団だと思われていることだろう。いろははいちばん後方を、息を弾ませながらついてくる。相当な距離を歩いて、彼女も疲労困憊している。コンビニの駐車場でひと休みしよう、ということになった。地べたにぺたんと座り込んで、金を出し合って買った一本の缶コーヒーをすする。そのときはじめて、

「ん?それ、どうした?」

 ふと、気づいた。いろはの足首が変だ。はいていたソックスを燃やしたために、素足に靴を突っかけている。甲にもかかとにも靴擦れの血をにじませて、痛々しい。しかしそれ以上に目を引くのは、赤むらさき色に腫れ上がったくるぶしだ。

「ねんざ。チャリでこけたときに」

 いろはは事もなげに言う。

「チャリでこけたときっていったら、海にきてすぐじゃねえか。バカ。なんではやく言わないんだよ」

「自分だってケガしてるくせに」

 鎖骨のことを言っているのだ。全部お見通しだった。ひとりが抜けたら、ベンチにはもう代わりはいない。だからいろはは、すべてがわかっていても、無理やりにオレをグラウンドに送り出したのだ。いや、しかしそうではない。正確には、「代わりがいないから抜けるわけにはいかないオレの気持ちを察して、見て見ぬふりで送り出したのだ」と言うべきだろう。そういう女だ、いろはとは。

「だけど、それじゃ歩けないだろ」

 電車に乗るとしても、駅まではまだ距離がある。

「じゃあ、義靖がおぶってよ」

 思わず、他の二人と顔を見合わせてしまった。事情を知らないひとりの方は、キョトン、としていたが。

「オレが?いろはをおんぶするのか?」

「あんた以外に、そんなことさせられるひとはいないでしょっ」

 わけがわからない。チューをした相手に頼めばいいのだ。あいつにおぶってもらえばいいのだ。女心はよくわからない。あんなシーンを見せられた後では、こちらとしても気兼ねがある。しかし一方で、なにも起こらなかったテイ、という建前もある。

「義靖ってば・・・」

「あ、ああ、そうだな・・・」

 自分が家来の身分であることをやっと思い出した。手を差し出すと、姫様は素直にその手の平を握った。片足でひょいと立ち、そのまま背中にしがみついてくる。日に焼けた細い腕がオレの首に巻きつき、ふたりはスプーンのように密着した。しっとりと湿った肌から、あまい匂いが漂ってくる。オレの肩はきっと、海草の匂いを放っていることだろう。

「重いな」

「あの頃と同じでしょ」

 同じなものか。なにしろ、ノーブラのチクビが気になってしょうがない。が、背中に触れている胸の膨らみは、柔らかで温かではあったけど、想像したほどの感動はもたらさなかった。幻想の産物であるおっぱいよりも、むしろ肋骨のごりごりとした感触の方がリアルに皮膚に伝わってくる。そして、この密着した距離よりも、想いの隔たりの方を意識せざるをえない。白々しい気分だ。再びとぼとぼと歩く。オレは言うべき言葉がわからず、背中のいろはも無言だった。

 駅舎の灯りが何ブロックか先に見えてきて、みんないっせいに安堵した。

「ヒャッホー。助かったぜ」

「やれやれだな」

 権現森とノリチカは、駅舎に向かって駆け出した。よろこび勇んで、スキップでも踏みそうな軽やかさだ。こっちの足取りは重い。前を行くふたりが踏み切りを渡りきったところで、警報機がけたたましく鳴りだした。遮断機が目の前を降りてくる。いろはを背負ったまま、立ち止まった。線路の向こう側の二人が振り返って、はやくこい、なんで渡んねーんだよノロマ、などと騒ぎ立てている。だけど渡る気はなかった。

 遮断機が降りきって、いろはとオレは二人きりになった。向こう岸の二人は、もうこちらのことを顧みることもない。ささやき合って笑い転げたかと思うと、いきなり取っ組み合っては、また破顔一笑している。背中のいろはは、その様子をただじっと見ている。

(ああ、この距離かあ・・・)

 胸に突き刺さった。いつもいろはが感じていた隔たり。

「ごめんな」

「えっ?なに?」

 急行列車が轟音と通過風を撒き散らしていく。

「見ちゃったんだ、さっきの」

 白状すると、いろはは殊勝に言った。

「こっちこそ、ごめん」

 それが罪であることを、彼女ははっきりと理解している。

「しょっぱかったよう・・・」

 折れていない方の肩にアゴ先をうずめてくる。ほおが触れ合うほどの距離に、いろはの顔がある。が、その瞳は踏切の向こう側をじっと見つめている。視線の先に、恋をした男がいる。そして他一名と。ひっくるめ、「男子」がいる。しょっぱかった、か。潮がまぶされた唇のせいか、それとも心がザラザラとそう感じたのか。

 電車が遠ざかり、焦れったく遮断機が上がった。突然いろはは、オレの頭をぽんと叩いた。

「運ちゃん。前の二人を追ってくんな」

 あはっ、と笑った息が首筋に当たった。いい匂いがした。

「あいよ」

 オレは早足で踏切を渡りきり、ノリチカと権現森の元へ向かった。

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