第2話・入部

 それは誘拐事件からはじまった。

 15歳のオレは、「北国」と呼ばれる地元県の、たいして賢くもないがバカというわけでもない高校に進学した。その新入学生として登校した、まさに初日のことだ。オレはただ、放課後の校庭を意気揚々と歩いていただけなのだ。

「ふぁいとーっ!」

 突如、平安は打ち砕かれた。至近距離から発せられた出し抜けな大声が、凪いだ心の海原に逆巻く荒波を起こす。

「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」・・・

 驚いて振り向くと、そこには小山のような体躯の男たちがいた。こちらを取り囲むように隊伍を展開している。恐怖に凍りつく新入生の細長い背中は、見る間に巨大な肉塊に吸収された。

「ふぁいとー、ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」・・・

 密集にくるまれて行く手をさえぎられ、身動きがとれない。男たちは一様に太い横シマのシャツを着ている。そのむくつけき風貌と相まって、集団脱走した囚人を連想させる。

 不意に、肩をつつかれた。

「ほれ、おめーも声ださんかい」

 オサと見られる男が、汗臭い顔を突きつけ、要求してくる。

「オ・・・オレがですか?」

「そうだよ、あたりめーだろ。ふぁいとーっ!ぜっ!・・・ほれっ」

 バカな。そんな恥ずかしいマネができるものか。しかし、ワナの網は巧妙に張られている。

 確かに、いつもぼんやりと過ごしている。優等生というわけではないが、勉強はそこそこでき、かっこ悪くはないと思うが、とりたててイケメンというわけでもなく、スポーツなど特にしたこともなく、画を描くことだけが特技。常に周囲と同化して、出るクイにならないように生きてきたつもりだ。なのに、これはどうしたことだ?

「おい、どうした。声だせよ」

 大男はなおも執拗に求めてくる。声を出せば気がすむのだろうか?戸惑いつつも、従ってみた。

「お、おう・・・」

「へー、いいじゃない、いいじゃない」

 するとやつらは、満足げな笑みを口元に浮かべはじめた。集団に吸収されたオレは、行きたい道をそれ、誘導されるがままに足を運ばされていく。

 やつらが人さらいだと気づいたのは、校舎から離れたわびしい掘っ建て小屋に拉致された後のことだった。連れ込まれたのは、「ラグビー部」と書きなぐった看板が掲げられた一室だ。立て付けの悪い入り口から足を踏み入れると、いきなりねっとりとした布がおでこに触れた。飛びのいて、あらためて室内を見渡す。壁から物干しロープが四方に巡らしてあり、顔をそむけたくなるような異臭を放つ靴下や、青かびをはびこらせるシャツなどが掛かっている。額に触れたのは、虫も寄りつかなそうな謎の布片だった。

(く、くさい・・・)

 野積みにされたスパイクから立ちのぼる腐臭もすごい。部屋内の空気は色味がかって見えるようなよどみ方で、それは鼻を突くというよりも、脳にくるタイプの濃密さをもって体内に殺到してくる。まるでガス室だ。なのに立ちはだかる男たちは、さっきまでの渋面を、一転してやみくもな笑顔に変えていた。

「せっかくきてくれたんだからさ、ちょっとやってく?ラグビー」

「え?いや、よくわかんないですし・・・」

 有無を言えるような状況ではない。毛むくじゃらのオサは、物干し竿から最も粗末な一品を選り抜き、うやうやしく新入生に手渡した。それに着替えよ、ということらしい。

「いやいやいや・・・ないないない・・・」

「そんなこと言わないでさ、さあ。さ、さ、さ」

「さあ・・・ったって・・・」

 渡されたジャージーは土をこびりつかせてパリパリにかたまり、イカみりんせんべいみたいになっている。短パンはビリビリに破れていて、尻が半分隠れるかどうかもあやしい。ソックスに至っては、ねっとりじっとりと湿って、微生物培養の温床とするにぴったしの小宇宙と化している。ムリだ、ムリすぎる。

「あの・・・ちょっとこれは・・・」

「なんだよう。ここまでついてきといて、嫌だってのか?」

 男たちは、笑顔から一転して、恐ろしい顔になっている。拒否は通りそうにない。この場所はアウェイすぎる。逃げ場を失ったオレは羽交い締めにされ、身ぐるみをはがされた。仕方なくそのザラザラのシャツに細首を通し、皮革をズタズタに踏み刻まれたスパイクを履いた。

「へえ、似合うじゃん!」

「え?・・・そうすか?」

 この状況で、それ以外に許される言葉があったろうか?

「おめでとう。ようこそラグビー部へ」

「えっ!」

「今日からおまえは、俺たちの仲間、ラグビー部員だ」

 ギョッとした。これで決定だというのか?このオレが、ラグビー部員?

「ちょっとま・・・」

 しかし戸惑う間にも、オレの手の平は男たちの手から手に渡されていく。そして次々に握手の契りが交わされる。既成事実が積み上げられていく。再び笑顔笑顔が部屋中を満たしている。そして大拍手。どうしようもなかった。こうしてオレは、この荒くれたスポーツとつき合うことになったのだった。

 その後の数日間というもの、ラグビー部員たちの膨大なエネルギーは、ひたすらニンゲン狩りに費やされた。オレもまたボールに触れることもなく、校内に独り歩きの新入生を発見しては追っかけて捕獲する、という共同作業に従事させられた。

「これも練習の一環だ。本気でやれよ」

 オサが檄を飛ばす。

(なにが練習だ。これじゃまるで鬼ごっこじゃないか・・・)

 ところがのちに理解することだが、確かにラグビーとは、高度に統制された鬼ごっこなのだった。新人の捕獲も、追う側に立ってみると、これがなかなかスリリングで愉快なものだ。逃げる相手を取っ捕まえたときの快感ったらない。こうしてオレはいつしか犯罪に手を染め、野人たち(ラグビー部員)と一蓮托生の環境に身を置かされて、足抜けが許されなくなっていた。

 インフレ新入部員は、オレを含めて十名あまりも確保された。ところが次から次へとたちまちのうちに脱走していく。代わりを補充しても補充しても、ザルのように抜けていってしまうのだ。半月も過ぎた頃には、残った新人はオレを含めて三人きりという有り様だった。それも当然だろう。自主的に入部したわけではない上に、ラグビー部における新人の役割とは、ボコボコにされることなのだ。体罰やいじめが行われているわけではない。先輩たちの接し方は、フェアそのものだ。なのに、基礎練習で軽く揉まれるだけで、ボロ雑巾のようにのされてしまう。

(こんなにつらいとは・・・)

 このオレとて、何度やめようと思ったことか。が、この優柔不断な性格のせいで、なんとなく時期を逸してしまう。さっさと見切りをつけた者は賢明だった。だが気がつけば、もうこっそりと蒸発できるような雰囲気ではなくなっていた。人数がすでに、試合が成立するぎりぎりしかいないカンジ(ラグビーとは何人でやるスポーツなのか?からして知らなかった)になっている。先輩たちもさすがに、これ以上やめられては困る、とピリピリしてきた。猛烈に熱い「やめんじゃねーぞ光線」を、細い背中に突き刺してくる。

(無理やり引き込んどいて、そりゃないだろ・・・)

 口からこぼれそうになる弱音を鼻血といっしょに飲みくだし、オレは一千回立ち上がる。が、立ち上がっても立ち上がっても、ボコボコに潰される。ボールを奪りっこしているだけなのに、ワンプレーが終わるたびにグラウンドの土をなめているのが不思議だった。

 ついに立てなくなってへたり込むと、権現森惣一郎が太い腕でオレの首根っこをつかみ、水場まで運んでくれた。権現森は、三人きり残った新入部員のひとりだ。無口な男で、中量級レスラーのように堂々とした体躯の持ち主だ。町内に相撲好きのおっさんがいて、小、中とその人物に揉まれてきたのだという。コブコブの筋肉によろわれた上腕、そして繊維がキレキレに編み込まれた太ももは、とても同い年のものとは思えなかった。筋骨隆々の肉体をのっしのっしと揺らす姿はすでに貫禄たっぷりで、先輩たちをもタジタジとさせる。しかも、その落ち着いたたたずまいを見ただけで聡明と知れ、人間としてまるで非の打ちどころがない。権現森は同期の中で(三人しかいないが・・・)、掛け値なしに幹部候補生だった。そんなやつもまた、激しい練習で息も絶え絶えだ。なのに、数少なくなった仲間を見捨てておくことができないらしい。いつもオレの面倒をみてくれた。

「水飲んで休んだら、グラウンドに戻れよ。必ずな」

 無表情に言い放つ。そして、

「待ってるからな」

 声低くそう言い残して、再び先輩たちのケンカ祭の中に飛び込んでいく。そんな姿を見せられたら、自分ひとり逃げることなどできるわけがない。罪作りな男だった。

 また、チャラくて生意気で、まっ先にそそくさと遁走するだろうと思われたもうひとりの新入部員も、血へどを吐き、ひざをがくがくとわらわせながらも、次のダッシュをやめようとしない。チビですばしこい野生動物・才川ノリチカは、ニンゲン狩りで捕獲される際にも、先輩たちを相当に手こずらせた。その点が認められ、「犬のように足が速く、ワニのようにアゴが強く、ニワトリのようにファイトする」と絶賛された。せっかちでふるまいは粗暴だが、ひとたびボールが転がれば、本能でどこまでも追いかけていく。

「ボールを持ったら、ぜってー誰にも渡さねえ」

 ルールを理解しているんだかいないんだか、とにかく、このバカだが有用な人材は、のちに頼もしいバックスの切り札となった。

 三人は最初の数週間を、ボロ雑巾のように真っ黒に汚れ、水分の一滴も残らないまでに絞られまくって過ごした。なのに、誰もやめようとは言いださなかった。このあたりの心持ちは、オレ自身にもまったく理解不能だ。が、とにかく、つづけたいとは思わないが、やめようともついぞ言いだすことがなかった。それは、自分の他に二人がいる、という、心強さというよりは、単純な意地があったからにちがいない。まったく意味不明な情熱が、三人を突き動かしているようだった。強情っぱりなのか、ケチなプライドなのか、とにかく食らいついていく。そして、やつらがつづけている以上、オレもまたやらねばなるまい。

 オレと権現森とノリチカは、結局なぜラグビーをやっているのか?という根本を自覚しないまま、なんとなく卒業まで一緒にグラウンドをのたくった。

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