四人だった

もりを

第1話・雪解け

 ほわんと南風のにおいがする。にぶく垂れ込めていた雲が流され、空がひらくと、この田舎町の長い冬もようやく終りだ。踏み固められた雪がじわじわと解け、凍てついた土はやわらかくほどけていく。冬枯れた緑はここぞとばかりに新しい命を芽吹かせる。モノクロだった風景が、あざやかな色彩をとりもどす。グラウンドの芝生はふっくらと日光をはらんで、呼吸をはじめる。草のにおいをふくんだ酸素の対流。かぐわしい風は、校舎の窓のカーテンをそよがせ、オレたちの鼻先をくすぐる。あの頃とおんなじだ。

「じゃあ、先生」

「おう。またいつでもこいや」

 深々とお辞儀をして、当時の顧問だったノボちゃんと別れた。ノボちゃんは十年たった今もまだ、この高校でラグビー部を受け持っている。一年中スウェット姿の筋肉バカが、場違いな黒スーツを着ていると、まるで「組織幹部の警護をする構成員」に見える。体育教官室を出た途端に、三人で顔を見合わせ、苦笑いした。そんなオレたちだって、喪服姿がまるで似合っちゃいないのだが。

「お、見ろよ」

 眼下のグラウンドに、色とりどりなジャージーを身に着けたラグビー部員たちが散開している。啓蟄に虫が這い出すのと同じ理屈で、コチコチに凍っていた土が春風にゆるむと、ラガーマンは凝り固まった背骨を陽の下に伸ばしにグラウンドへ出てくるのだ。

「なんだよあいつら、だらしねーな・・・」

 大地が雪に閉ざされるあいだに、部員たちは土の感触などすっかり忘れてしまっている。この春先は、土を思い出すリハビリの時期と言っていい。そのせいか、誰もがだらだらと、ヨタヨタと、病人のようにうごめき、まるで規律ってものがない。なるほど、オレたちの頃よりもジャージーやスパイクのデザインは劇的にかっこよくなってはいるが、やる気のなさとぼんやりとした気構えは当時と同じようだ。

 やがて部員たちは、遊び半分にボールをまわしはじめた。無秩序で、粗雑で、お互いに笑い、ふざけ合ったりして、気合いゼロ。しかしそれは、うれしくてたのしくて仕方がない心の内を如実にさらしている風景で、好ましい。

「グラウンドに下りてみるか」

 オレたちは目を交わし、うなずき合った。

 奇妙な光景だ。魔法の動きをする楕円球は、人間を野生に帰らせる。ただでさえ野人に近いラグビー部員たちは、不規則なバウンドに本能をかき立てられ、毛糸玉を追うネコのようにじゃれかかっていく。いとおしい、バカそのものの姿だ。ボールはひろわれ、放り投げられ、大切にかかえられ、また乱暴に蹴飛ばされて、やがて仲間たちの間で手渡されながらゴールエリアに運ばれる。

「トラ~イ!」

 春空に響くやんやの歓声。変わらない。わが母校のラグビー部は、伝統的に、毎年こうして始動するのだ。その日があらかじめ決められているわけではない。なんとなくみんながグラウンドに集まった日が、その年のスタート日だ。桜と同じだ。いい陽気で、いい風が吹いて、ほわんと気分さえよければ、それが花をほころばせるその日なのだ。

 三人並んでグラウンド脇に立っていると、ちょうど足下に革張りのボールが転がってきた。ぼろぼろに使い込まれて、ヤスリにかけられたようなボールだ。

「すいませーん。取ってくださーい」

「おーっ」

 履き慣れない革靴で、グラウンドに向かって蹴り込む。が、ボールはあさっての方向に飛んでいき、竹薮に消えていった。

「わりーわりー」

 背後で、からから、く、く、く、と笑い声が聞こえる。ずいぶんボールにも触っていないのだ。しょうがないだろう。ここを卒業した後、東京の美大でデザインの勉強をし、今はデザイン事務所で図面を引いている。一日の大半がパソコン仕事だ。不摂生と運動不足の27歳。もうあんな「ケガ覚悟のガチのおしくらまんじゅう」はムリだ。いや、ゴメンだ、と言ったほうがいい。むしろ、よくもあんなバカバカしいケズリ合いをしていたものだ、と不思議にさえ思う。仲間がいなかったら、きっとすぐにやめていたにちがいない。

 黒スーツを脱ぎ、ネクタイをはずした。乾いた芝生に寝転がってみる。隣の二人も、並んで横になった。

「川の字だな」

 あはは、と、両脇から力のない笑い声があがる。あの頃もよくこうして並んで寝そべり、抜けそうな青空に見入ったものだった。そう、「四人」で。

 ひじを起こして頬杖をつくと、眼下で、芝が針のような葉をひらこうとしている。芝生は、枯れ色の中にあざやかな緑を回復しつつある。視線を泳がせると、遠く淡く、シロツメクサの群生が目に入った。

「おっ」

 美しいとも言いがたいその素朴な花は、不思議なことにコーナーフラッグに向かってまっすぐに並んで咲いている。まっすぐにまっすぐに、まっすぐに咲いた、ひたすら一直線な白い花の連なり。

「うわあ・・・」

 身を起こしてグラウンドを見渡すと、不意に胸を突かれる。エンドライン、サイドライン、22mライン、テンmライン、センターサークル・・・フィールド上の白いラインは、シロツメクサの花で描かれている。この花は、栄養分のゆきとどいた消石灰の上に密生して咲いているのだ。彼女たちは、雪に埋もれる数ヶ月の間、白粉の盛られたラインの下で肩を寄せ合って過ごした。それが春になって、いっせいに芽吹き、花ひらいたというわけだ。まったく劇的な光景だ。

(あの頃となんにも変わってないな・・・)

 ひとつのことを除いては。

 隣の二人も同じことを考えているのかもしれない。その視線は、グラウンド上のなにを見るでもなく、遠い日の記憶野を漂っている。

「酒にはまだ日が高いし、海にでもいくか」

 実家の母親の軽を借りてきている。横の二人は、はた、と現世に戻ってきた。そして「当然」とばかりに同意した。誰も口にはしなかったが、そのことは決まっていたのだ。誰もが、残された三人でいく、と心してきたことだろう。気乗りはしないが、いかなくちゃ、と。

 海までは、川沿いを下って数キロ、といったところだ。あのときは、一台のチャリだった。今日は車だ。みんな、黙って軽に乗り込んだ。

 信号が変わる。アクセルを踏む。国道を飛ばすと、こんなに近かったっけ?と奇妙な感覚にとらわれる。窓の外は、記憶の風景のすき間すき間にちょこちょこと新しい飲食店やモダンなビルが肩をこじ入れてはいるが、おおむね、当時と変わりはない。なのに、あのときとはまるで違ったものに見えるのも不思議だ。

 脇道に折れる。ガタガタと未舗装路をゆく。間違いなく同じ道だ。十年前のあの日にくぐった高架を抜けると、穏やかな潮騒が聞こえて、視界が光に満たされた。スクリーンを真横に撫で切ったようなシンプルな構図が現れる。陳腐に表現すれば、スカイブルーとマリンブルーに白、という配色だ。

 わあ・・・

 海を前に誰もが漏らす嘆息が、いっせいに漏れた。

 天高くにヒバリがさえずっている。陽射しが、障害物無しの素通しな空間をななめに降りてくる。なにも話せなくなる。フラッシュバックというやつなのか。最後に四人で過ごしたあの日の情景が、瞬くまぶたの裏にチラチラと投影される。空と、海。男子、女子・・・全部を消化した一日だった。そのこともまた、誰もが思い返している。押し黙ったままのその場の雰囲気に、耐えきれない。

「焚き木、集めてみよう」

 力無い笑みが返ってくる。三人はほうぼうに別れ、浜へと緩慢に散った。ひとりが減るだけで、お互いの間にこんなにも大きな空間がひろがるものなのか。立ち位置に困る。間を埋め合わせるものがない。

 頭を空っぽにして、巨大な流木と格闘した。腕まくりをして樹塊を引きずり、噴き出しては乾く汗の塩けをくちびるの縁に味わった。そしてあの日、耳元で聞いた言葉を反芻した。

(しょっぱかった)

 身悶えたくなる。それはずっと心の青い部分に刺さっていた、逆トゲのような言葉だ。

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