第3話・女子
楕円球は気まぐれだ。いったん転がりだすと、どこにいくかわからない。なのに、神様が必要と判断したとき、ボールは向かうべきところに向かう。その日の練習中、権現森が力まかせに蹴ったボールは、はるかサイドラインを割って、フィールド外に飛び出していった。
「おー、すまんーっ」
「ったく、どこ蹴ってんだよお」
ノリチカがいら立った声をあげる。ボールが転がったのは、三人から正確に等距離の位置だ。仕方なく、オレが拾いにいく。
てんてんとしたボールは、細い足首に当たってとまった。
「あ、すいません。ボール取ってもらえますかあ?」
濃紺のソックスにきりりとくるぶしが立った、凛とした足だった。そのつま先は、まっすぐにグラウンドに向いている。女子は、足下のボールに手を伸ばした。オレが近寄ると、夕焼けの中で屈んだ背中が光の粒をこぼしながらゆっくりと起こされた。前髪が払われたとき、なつかしい菜の花の匂いがした。
「ふうん、ラグビーとはね」
耳の奥に記憶として残る声のトーン。はっ、とした。
「・・・いろは・・・?」
瑞々しく成長した幼なじみがそこにいた。それはもうまばゆいばかりの姿だった。細長い躯の芯はなめらかに反り、四肢はのびのびとしなって、まるで野生の子鹿のようだ。長い黒髪が風になびいて、清潔な光を散らす。
まっ白なブラウスに包まれた腕がひょいと伸び、ボールが差し出された。こっちを見つめる大きな瞳。潤いに満ちた唇が、いたずらっぽく舟形を描いている。
「おぼえててくれたんだ、義靖。また同じガッコーだよ。小2のテンコーでサヨナラして以来かあ」
いったい何年ぶりの邂逅ってことになるのだろう?まだ目の前の光景が信じられない。
「合格発表の名簿で義靖の名前見つけてさ、あーっ、って。笑ったよ。あんたにしてはがんばったじゃない、こんなそこそこの学校に入れたなんて」
上からものを言う態度も変わっていない。すみからすみまで、市井いろはだ。見渡すかぎりの菜の花畑でチョウチョを追いかけまくった、幼い頃の戦友だ。いや、上官と言うべきか。義靖少年は子分として扱われていた。いろはの命令は絶対だった。走れと言われれば走り、持ち上げろと言われれば持ち上げ、飛び込めと言われれば飛び込み、そうしてオレは鍛えられた。が、小学校に入って少したった頃に、ジエータイの父親を持つ彼女は、慌ただしくどこか遠くの町へと引っ越してしまったのだった。
「相変わらずひょろひょろなのね。ノッポにはなったけど」
「おまえこそ・・・なんていうか・・・」
お互いに会わなくなってからの、なんという劇的な歳月だろう。その時間は、あのやんちゃな女ボスを、オンナに変貌させていた。いや、胸はまだひどく小さい。色香もなく、体つきは少年のようでもある。が、たたずまいがちがう。気品といってもいい。目の前に立つ15歳のいろはは、怖いくらいに子供じゃない。どこをどう取ってもオンナだ。再び出会ったことよりも、むしろその点に動揺する。
ノリチカと権現森が、ナニゴトか?と駆け寄ってくる。オレはあわてて、いろはの手からボールを引ったくろうとした。しかし、それはかわされた。
「いくよーっ」
いろはの細長い足が、振り子のように弧を描いた。ぼーん・・・思いきり蹴られたボールは、はるかあさっての方向に飛んでいく。
「取ってこいっ、義靖」
相変わらずの命令口調だ。そして、幼い時期に背骨に焼き付いた反応というものだろうか?その声につられて、オレは走りだしていた。わんわん。振り返ると、見違えるほどに大人びた幼なじみが、しかしあの頃とそっくりに拳を振り上げている。
「全力で走れ~っ!」
何年たっても子分扱いだ。
(なんであいつが・・・)
オレはなぜか耳まで赤くなっていた。ノリチカと権現森は立ち止まり、怪訝な顔をしている。そして、翌日からマネージャーになる女子を、いつまでも値踏みしていた。
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