Ⅳ.嘲り渦巻く恐怖のセカイ
達夫が忽然と姿を消した。
しばらくして母親である宮乃は、とうに愛想の尽きた伸吾朗から逃げた。
七生を連れて
早くして前妻と別れていた権力も、元恋人であった宮乃を嬉嬉として迎え入れた。
権力は、伸吾朗に対する復讐劇はこれで終わりだと悟ったのだった。
雑誌のモデルのような、美顔でスレンダーな宮乃。
彼女と知り合ったのは大学のサークルだった。
意気投合するとしばらくして宮乃と付き合い始めたが、当時は親友同士だったはずの伸吾朗に彼女を取られた。
それは、伸吾朗が立ち上げたネットビジネスが大成功を治めた時。
伸吾朗とともに苦労した権力は、会社が大きくなったのは自分だけの努力の結果だと考えていた。
だが、自分は伸吾朗の部下に甘んじ、さらには恋人まで取られた。
フッ、と息をつく。
(なにをいまさらそんなちゃちなことを思い出すんだ)
権力はグラスを手にすると中身のブランデーを一気に飲み干した。
高級ホテルを思わせるような、新財グループ会長の一室。
高層ビルの最上階から下界を見下ろす。
(だが、思い返せば伸吾朗に対する執念がいまの俺を作り上げたのだ)
ネットビジネスから始まり、様々な企業買収を実現した権力はその名の通り、大衆が平伏すほどの圧倒的なチカラを身につけた。
いまは。
好きな時に酒を飲み、好きな時に若い女を抱いても、巨億の利益が絶えず懐に入る。もちろん、ピラミッド型構造のトップに立つ足許も脅かされる心配は皆無だった。
権力の妻となった宮乃は、芸能事務所を立ち上げて娘の七生を女優に仕立て上げていた。権力のチカラで七生は現在、トレンディドラマの主人公を演じている。
「親父!」
そこへ実の息子である強汰が無遠慮にドアを蹴って入ってきた。
ビジネス街に全く不釣り合いの容貌だった。
白シャツにブルゾンを羽織っている。
だが履いているデニムもスニーカーも含めて全て何十万円モノだ。
逆立てた金髪の下で銀のピアスが光る。
着道楽、車好き、バイク好き、ギャンブル好き、オンナ好き。
カネに困らない息子。
いわゆる遊び人だった。
「なんだ強汰。いきなり入ってくるな」
強い口調で権力は言った。
女を抱いている時に息子に入られたらたまったモノじゃない。
だが強汰は父親の言葉を聞くか否か、長い足で毛並みの上品な絨毯を踏みならす。
手には数枚の用紙。
「コレを読んでくれ!」
息子は文字がプリントされたそのA4サイズの用紙を彼に手渡した。
「なんだこれは?」
100枚ほどはあろうか。何枚も重なった用紙を捲ってはちらちらと文字に目を置いた。
学校、紀野美佳、あのセカ、虐め・・・・・・
新財!?
その名を目にした途端、権力は最初から貪るように文章を読み始めた。
「それは野朝達夫が書いたみたいだ。俺のクラスメートだったよ。暴露サイトにのっていたんだ、くっそ、あいつ生きてやがったのか?」
強汰の独り言とも取れる声を無視するほどに彼は読み耽る。
読めば読むほどに、血の気が失せていく。
野朝達夫――――――
彼が行方不明になったことは知っていた。
息子まで失った伸吾朗に、当時はさすがに同情さえしたのだった。
だがまさか。
「お前、クラスメートを殺したんじゃないんだろうな!?」
読み終えると権力は用紙の束を窓に向かって投げつけた。
打ち込まれた不都合な文字の羅列。
はらはらと空しく宙で散る。
「ちょ、俺はそんなことはしねえって! 大体、奴はそれを書いた後に誰かに宛てて郵送したんじゃねーか!」
「じゃあ彼は勝手に消えたっていうんだな!?」
「そう、そうだよ、そうに決まってんじゃねーか!」
身振り手振りを大袈裟にする息子。
それにしても。
息子はその後、私立の高校、そして有名私立大学にカネのチカラでいかせてやったのだが。
それ以前に荒れた中学校からも転校させてやるべきだった。
市地、波面多・・・・・・こんな悪いクラスメートとつるんでいたからだ。
いや、違う。
強汰も、達夫の父親のことを知っていたのだ。
俺が伸吾朗にしたように、息子もその影響をもろに受けて達夫を虐めたのだ。
落ち着けと自分に言い聞かせるように、葉巻に火をつけて大きく煙を吸った。
「親父・・・・・・」
呆然と権力を見つめる強汰。普段は、ギャング団を遊びで作ってはそのトップになって意気揚々としている姿など想像できないほどだ。
情けない息子だ。思わず鼻で笑ってしまった。
「まあ、こんな記事ネタ、一瞬のうちにもみ消すことは可能だ」
強汰が、おおっ、と声にした。
「そうだよ! だから急いで親父んとこに来たんだよ!」
しかし投稿者が誰であるのかまではいまは判らない。
今日まで、下にいるものを嘲笑し、立場を揺るぎないものにしてきた。
こんな些細なことで全てを失うことはないが。
次にこの投稿者がどんな仕掛けをするのかが判らない。
少しの可能性も潰しておきたい。
権力の頭のなかは、真っ赤な怒りと無慈悲な気持ちが渦巻いていた。
(久しぶりだ・・・・・・この気持ちは、伸吾朗の会社を乗っ取ろうと決起した時と全く同じだ)
子供の頃、貧乏暮らしで野心だけが強かった。
貧乏に対する怒り。
世に対する復讐心。
これだけがこの俺を支えていたんだ。
1ヶ月後――――――――――――
椎野美波の遺体が山中から発見された。
所々獣に噛みちぎられた遺体は損傷が激しく、殺人か自殺か区別のつかないほどだった。
だがその後、体内から大量の睡眠薬が検出され、遺体の傍からアルコールの入った瓶が発見された。
近くに停められた軽自動車は彼女の所有だと断定され、遺体が発見される約1週間前には友人に宛てて別れを告げるメールが発信されていたことも判明されたのだった。
ネット上の暴露記事を目にして、1ヶ月。
権力の元に密に連絡が着た。
「そうか。警察は自殺だと断定して捜査を打ち切るつもりなんだな?」
相手側から返事はない。それは肯定の合図だった。
全てを熟知した後に、彼は素早く携帯を切った。
秘書を呼び、その携帯の解約を即座にさせたのだった。
全てはうまくいった。
暴露元の正体は、フリーランスの20代のオンナだった。
緊張がほぐれ、瞬く間に力が漲る。途端にオンナを抱きたくなった。
殺されたオンナはいいオンナだったろうか?
「はっ、ははっ、我ながら妙なこと考えるわ」
ブランデーで喉を鳴らし、下界を見下ろす。
まるでアリのようにせかせか蠢く大衆。
全てを手中に収めたかのように、彼は嘲り笑う。
俺のセカイ。
俺のセカイだ。
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