Ⅲ.嘲り渦巻く恐怖の一曲
「おい市地、いこうぜ」新財が、僕の背後にいる市地に声をかけた。
「え? 誰かが見張っていないと、こいつ、マジで30回も聴くのか分かんないぞ」
ヘッドホン越しでそんな会話がした。
新財が僕を見下ろして嘲り笑う。「バーカ。ちゃんと、カメラで見張ってるわ!」
そういうと、左斜め上に目線を動かす。
僕も、市地も、波面多も一斉にそこを見やった。
じいっと僕を見据える監視カメラが、天井の隅に設置されていた。
グレー色で350mlペットボトルくらいの大きさ。
部屋に巣くっているネズミに睨まれているかのようだ。
新財の家の裕福さに圧倒されたのか、僕を含めた新財以外の3人は一時無言になった。
ははっ、とわざとらしく市地は声を上げた。
僕の肩を痛いくらいに何度も叩いて、彼は楽しげに話しかけた。
「そっか、んじゃ、野朝くん。俺達のいない間に下手なことはしないでね」
何が面白いのか、波面多が、ギャハーと笑って肩を揺らす。
新財が苛ついた。右足が小刻みに何度も上下している。
「市田! さっさと行くぞ! なあ、アサダチよお、デジタルオーディオで音楽聴ける機会なんてオメーのような貧乏人には100パーないだろうよ!」
新財の言葉に、波面多がまた怪獣のような雄叫びを上げて、市地も波面多の横に並んで一緒に笑っていた。
だぼだぼのズボンに、くしゃくしゃの綿シャツ姿の茶髪3人の背中が僕の視界から消えた。
僕は新財の部屋で完全に一人になった。
ヘッドホンはつけたまま。下手に外すことは出来ない。
耳に入るメロディも冷えた気持ちの僕を楽しませることが出来ない。
日曜日が苦痛の一日と化す。
何が苦痛かって?
暇。暇。暇。
なので、尻のポケットに入れているメモ調に今日のことを書くことに決めた。
で、いま、朝から遡ってここまで書いていた。
カメラに監視されてるけれど、ちゃんと曲を聴き続けているからいいでしょ?
なんだかんだ言って、すでに10回目。
僕は我慢強いほうだと思うけれど、同じアルバムを何度も聴き続けることがそろそろ苦痛と感じていた。
もう、5時間以上経っている。12時が近い。
***
死ぬほどお腹が空いた。
波面多の食べ残したスナック菓子。
袋に手を入れた途端、僕は貪るようにして食べた。
***
しまった。
知らない間に眠ってしまってた。
スナック菓子をかけら残さず食べ干した後、一緒にテーブルにのっていたカスタードケーキ、そして新財の飲み残したコーラで腹を満たしたら眠くなってしまったのだ。
だけど、ヘッドホンはつけたままだから新財との約束は守っている。
夜になっていた。何時だろう。壁に取り付いた壁掛けの時計が暗くてみえない。
とにかく文字が書きづらい。
老眼である僕の婆ちゃんのように、今は僕も目を細めてる。
部屋の中はカーテンの隙間から入る月の光以外に暗闇を切るものはなかった。
いや、違った。
煌々としたオーディオコンポの表示が網膜を突き刺してた。
痛くて、一瞬目を閉じたけど手の甲でごしごし擦って表示を凝視する。
ちょうど10曲目に入っていた。
でも、何回アルバムを聴き通したのかは分からない。
***
10曲目が終わった。
フェードアウトしていく最期の曲。
また1曲目から聴き通すはずだった。
ところが。
そうでなかった。
目を疑った。
デジタル文字が『11』を表している。
緊張が走った。
噂は本当だったんだ。
カラダ全体が痺れてきた。同時に尻から浮いているような感覚。
正直、怖くなってきた。
僕はどこかに連れて行かれるのだろうか。
消えてしまうのか、僕は。
メモ帳だけはここに残るのかな。小さな革張りのメモ帳をぐっと握った。
僕がいままで書いた手記は、やっぱり誰かに読んで貰いたい。
でも家族には読まれたくない。みんなを悲しませたくはない。
君に送りたい。
でも君だって、こんな気の重くなるような手記を一人で抱えてるのは嫌だろうな。
だから君の好きにして良いから。
だけど、10年後くらいにして欲しい。そのくらいなら家族も僕のことをとっくに諦めてくれている。
このメモ帳。
いままで書いたこの手記を君の住所に送りたいのに。
差出人不明にするけど、内容読めば僕が誰だかすぐに分かるよね?
徐々に意識の薄れていく、僕のいまの気持ち?
なんだか晴れ晴れしてる。
結局、僕の存在はなかったことになればいいんだ。
不細工でトロくてクラスの嫌われ者。
それに。
母親のよそよそしさは、僕のことがうっとうしいからだった。
父親の会社、そして父親そのものまでがダメになった後、成績優秀な、外見が母親ゆずりの美形の七生だけを母親は可愛がり、父親似の不細工で成績の悪い僕に対しては冷たい態度に徹していた。
あああ。
あああ。
あああ。
あいうえお。
“愛飢え男”
『あのセカ』の10曲目の題名。
“あいうえお”
さよなら。
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