Ⅰ.嘲り渦巻く恐怖の教室
***
髪の長い女!
髪の長い女!
髪の長い女!
天使の輪っかがのったかのような、艶々で真っ黒な髪の女。
朝シャンプー?
甘ったるいリンスの匂いが僕の鼻をくすぐる。
今日も僕に振り向きもせず、小テストの答案用紙を後ろ手にまわす。
木の実ちゃん、木の実ちゃん、ってクラス中でもてはやされて。
相手は異性なんだけど、皆に可愛がられて僕は彼女に嫉妬する。
僕なんか、朝立ち、なんだよ・・・・・・・・・
名前で虐められるってなんか変。
でも親がつけてくれた名前なんだ。
野朝達夫。
クラスの一部の男女からアサダチビと呼ばれる僕。
休み時間になれば、いつも、
そうだ。
僕は、僕じゃないんだ。
そう思えばいい。
頭を叩かれても。
腹に拳いれられても。
肛門に笛を入れられて音を出すように強要されても。
タバコを買いにいかされても。
万引きを強要されても。
冬の放課後、藻の浮いたプールに素っ裸で泳がされても。
そう。やらされているのは僕じゃないんだ。
新財達に両足首を掴まれて教室中に引っ張り回されても。
そう。
「掃除だ掃除だ」と彼等ははしゃいで、僕をモップ代わりにした。
勢いあまってズボンが脱げてしまったタイミングで担任が入っていた。
制服を汚しまくって、しかもパンツ姿の僕は、ひとり教室のど真ん中で寝っころがえっている状態。
女子達は各々の机を引きながらキャーキャー叫びまくって。
新財はすでに席についてすました表情でいる。
クラスを騒がした僕は、放課後職員室に呼び出されて担任に長時間こっぴどく叱られた。
辛いし、痛いし、凍えるような思いをしても。
やらされているのは『アサダチ』なんだ。
でも家に帰って婆ちゃんや両親や妹の笑顔をみるにつれいつも悲しくなる。
特にハムスターのウータの愛らしい動きをみると。
ずっと家にいたい、学校はジゴクだ。
とにかく紀野美佳の存在は僕にとって疎ましい。
でも彼女は悪くない。
でも彼女も僕のことを嫌っている。
僕が嫌われる原因を作っているのは、新財、市地、波面多だ。
あることないことをクラス中に吹聴して、すでにクラスの皆から僕はバイキン扱いされている。
『たのむからしんでくれ』
机に白の油性ペンで書かれた。犯人は分からないがあの3人のうちの誰かだろう。
でも存在を否定されたのは僕じゃない。
アサダチ、なんだ。
いまこれを書きながら、襖で隔てられた隣部屋のリビングから『世も末じゃのう』だなんてセリフが聞こえた。
今日は日曜日。父さんが見ている大河ドラマ。
笑える。
江戸時代じゃん。全然世の末じゃないじゃん。この国はアナタのいる時代から100年以上も経ってるんだよ・・・・・・だなんて、ドラマのセリフだけどね。
でももう一つの意味合いでいえば、世も救いがたいのは事実。
僕自身の世界。
正確にいえば今の時間帯のこと。日曜日の夜。明日からまた週の始まりだ。
こういう気分の塞ぐときには、自分の思いを文字にしてる。
誰に読んで貰うわけでなく。
ブログやらそんなのでアップしたところで誰も読んでくれないし。
あ。読んでくれたとしても温かいコメントもあるだろうが、どうせ、きついコメントも中にはあるに決まってる。
100の賞賛はたった1つの中傷に掻き消される。
少なくとも僕はそうだ。
優しい人達が僕を取り囲んでくれても、その中に僕を憎む者が一人でもいれば途端にへこんでしまう。
襖が開いた。
風呂上がりの
僕の勉強机の横に並べられているので隣同士だ。
6畳の部屋。いま僕が書いているものが七生に簡単に見られてしまう。
バスタオルで髪を拭きながら、なに書いてるの? なんていわれてのぞき込まれたらたまったものじゃない。
本当は気晴らしにもっと書いていたいが、我慢してここまでにしよう。
2DKのアパートに家族5人は狭すぎる。
やっぱり不眠症なんだろうか。
どうしてこんなに意識がはっきりしてるんだろう。
遊び疲れていないからかな。
それとも学校での悩みごとが原因か。
学校に行きたくない、でも、まだ教室入るまでに10時間以上ある。
それまで僕の命は助かっている。
だからゆっくり眠れるはずなのに。
並んだ勉強机の下で布団を敷いて枕を置く。
シーツを被って、七生は、おやすみの一言。
僕もマネしてシーツを被る。
月曜日がやってくる。
七生の小さな寝息が聞こえる。
いいな、七生だけ眠ることが出来て。
そうか。
眠ってしまうと、あっという間に朝になるから。
あああ。
あああ。
あああ。
あいうえお。
ついに来てしまった、月曜日の朝。
薄い生地のカーテンから、日の光が部屋をぼんやり照らす。
薄暗い部屋。僕のアタマの中と同じだ。
部屋の状態は、そこに住んでいる人の心情を表しているってことを、なにかの本を読んで知った。
部屋の中を塵一つ無く綺麗に、尚且つモノの整理整頓がしてあれば、その人の心の中もしっかりしている。
逆に足の踏み入れようのない程のゴミのだらけの部屋は、その人の心もかなり荒んでいる。
でも、僕の部屋はそんなに散らかってない。
ここは七生の部屋でもあるからかな。
七生の心は山奥で静かに溢れる湧き水のように清んでいる。
だけど。
僕一人の部屋なら絶対汚い。
まあ、結果的に母さんに叱られてしぶしぶ部屋を掃除するんだろうけど。
それにしても、最近母さんの態度が妙によそよそしい。気のせいかな。
ウータが音を鳴らす。
回し車で運動を始めたのだ。
彼はその後おなかを空かせてご飯を食べる。
僕は毎朝その姿をみて、彼のことを真似る。
少しだけ体操をしてから、婆ちゃんの焼いた食パンと目玉焼きを食べるのだ。
僕と母さんと七生で先に食べる。
母さんは高校の臨時講師。
父さんはずっと家にいる。婆ちゃんも。
朝はいつも母さんが先に出て、その後、僕と七生が父さんに送られて玄関を出る。
2階建ての鉄筋アパートの階段を降りる。
改めて見上げると、山吹色だっただろう壁がかなり濁って汚れて、小さなひびも所々目立つ。
平成元年に造られたものらしい。僕が生まれてない頃にすでにあった建物。
父さんが事業に失敗したから、1年前にここに越した。
前は白金台のマンションに住んでいた。
僕は部屋に籠もって読書をするか、学校でも図書館で借りた本を読みあさっているか、それとも物語を空想しているかの生活だ。
それはいまでも変わらない。
でも。転校前の学校に僕を虐めるどころか、馬鹿にする人間などいなかった。
環境はまったく違っていた。
僕を尊敬する者すらいた。
父さんがIT業界ではちょっとした有名人だった。
きっかけは、そのことを知っているクラスメートの一人が僕のことを持て囃した事からだった。
それに、その学校には不良と呼ばれる者が人っ子一人いない。
皆、お坊ちゃんやお嬢様タイプの生徒ばかりだった。
僕はそういう環境にいてしっくり型にはまっていたし、居心地が良かった。
だけど転校後の学校は、新財達のような不良ぽい生徒がいたり、意地の悪い女子がいた。そういう人間が周囲を威嚇して、誰も彼彼女らに刃向かうことすら出来ずに逆に皆平伏してしまう始末。
そんな環境に僕がイジメのターゲットにされるのは転校後間もなくだった。
そして、なによりも父さんのことで、お金持ちから転落した人間だと周囲から烙印を押されたことがイジメを受けたり、嘲笑を浴びることに拍車をかけたのだ。
転校前の学校ではなんともなかったのに、いまの学校はもはやジゴクすら生ぬるい場所ともいえる。
でも家族に心配かけたくないから七生を連れて外に出る。
僕が虐められているのを知っているのはウータくらいかな。
こんなこと、ペット相手に話すことしか出来ない。
作り笑顔をみせて今日も学校に向かった。
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