第2話 遺物/relics
「おっ、開いた」
ガチャリと音を立てて、鍵を差し込んだ扉が開く。
それは最後に握手した時、一緒に渡されたイニスの家の鍵だった。
「うわぁ……」
中の惨状に、ユウキが声を上げる。イニスの家の中は、泥棒でも入ったんじゃないかと思うほどに荒れ放題だった。
「前来た時はこんなんじゃなかったと思うんだけどなあ」
「あれ、アラさんが片付けてたんですよ。イニスさん一人だとこの有様です」
呟くリンに、クリュセが答える。
「……まさかあの子、家の掃除が面倒で死んだんじゃないでしょうね」
ニーナの冗談に、誰一人笑わなかった。そうかも知れないと思ってしまったからだ。
「掃除道具を持ってきて正解でした。お掃除、開始します」
綺麗好きなアイには耐えられない光景だったのだろう。彼女は手早く割烹着を着込むと、バケツとモップを構えて家の中に突撃していく。
「……じゃ、掃除はアイに任せて私達は検分に行こうか」
今回私達がイニスの家を訪れたのは、何も彼女の自堕落な生活の後始末をつけに来ただけではない。彼女がその生涯で作り溜めたであろう、魔動機の数々を回収するためだ。
中には危険なものや、悪用される恐れのあるものもあるだろう。しかしそんなものも無造作に放置されていることは想像に難くなかった。
「一応目録は作ったって言ってたから、それらしいものを探してくれ」
「それ、当てになるの?」
この家のすさまじい状況を見れば、リンが懐疑的な目で見るのは無理もない。
「イニスさん、そういうところはしっかりしてましたから、大丈夫だと思います」
私が答えるよりも早く、クリュセがフォローした。
「ちゃんと紙に書いておかないと忘れちゃうから、と本人は言ってたな」
「ああ、なるほど……」
自身も紙に書いておく派だからか、リンは納得して捜索に当たる。
「これだけぐっちゃぐちゃだと、その書いた紙も失くしちゃうんじゃないかなあ」
一方で、部屋の内装もシンプルなものを好むユウキは脱ぎ捨てられた上着をつまみ上げて呆れ顔だ。
「お父さん! 皆さん! これ……これ、見てください!」
掃除兼目録探しを続けていると、にわかにクリュセが二階の方から声を張り上げた。
「どうしたの? 何かあった?」
「アイさんも、アイさんも」
私達が階段を登って二階に顔を出すと、そう言ってクリュセが手招きするので、アイにも掃除の手を止めてもらって全員でクリュセの元へ行く。
「何。イニスでも生きてた?」
ニーナがそんな事を尋ねるが、確かに全員を呼び集めるのはそのくらいしか思いつかない。目録を見つけたんなら、別に掃除を頑張っているアイまで呼ぶ必要はないはずだ。
「ふっふっふ……そんな微妙に不謹慎なジョークを言っていられるのも今のうちですよ」
あんたに言われたくないんだけど、と言いたげな表情をするニーナをよそに、クリュセはキャンバスにかかっていた布を剥ぎ取った。
「じゃじゃーん!」
そこに描かれていた絵に、私達は言葉を失う。
「これ……絵、ですか……?」
「そうみたいだね……信じられないけど」
写真と見まごうほどに、写実的で緻密な絵。しかし木枠に張られた布の上に絵筆の跡の残るそれは、確かに油絵であった。
しかし私達が驚いたのはその緻密さではなく、内容だった。
「これって、わたし達……ですよね」
「ああ。間違いない」
アイの問いに、私は頷く。
「私達の……結婚式の時の、絵だ」
そこに描かれていたのは、赤いタキシードを着込んだどこか情けない表情の男と、純白のドレスに身を包んで幸せそうに笑う五人の少女達。
「思い出したわ。なんか並んでって言われたわね、そういや」
「あったね。あの瞬間か」
イニスに並べと言われて並んだら、すぐにもういいとか言われた謎の一幕があった。あの時のその瞬間を、どうやったのかは全くわからないが、彼女は切り取って絵にしたのだろう。
「しっかしこうして見るとさ」
ユウキがしげしげと絵を眺めながら、言った。
「完全にクーもお嫁さんにしか見えないよね」
「本当ですか!? クリュセもおとうさんのお嫁さんになれましたか? やったー!」
確かに、絵だけ見ればクリュセも完全にウェディングドレスを着ているし、そう見えなくもない。
「なってないわよ、服だけ! あんたが、自分だけ除け者にされてるって煩いから作ってあげたんでしょうが!」
ドレスは全てニーナの手製で、最初にアイに作ったものと同じ月の糸を紡いで織ったものだ。一着作るのにもものすごい労力が必要らしく、渋るニーナにクリュセは延々ぼやいて織ってもらったのだった。
まあ、ニーナは結構クリュセに甘いから、あれだけずっと言わなくても織ってくれたとは思うんだけど……
「ねえ」
魔法でリスのような姿に変化したリンが私の足を登って肩に乗り、小首を傾げる。
「あれ、なんだろ?」
かと思えば小鳥に変じてちょんと絵の上に乗って、奥に視線を向けた。
「あれ?」
キャンバスを固定されたイーゼルの向こう。部屋の奥に大きな箱が埋もれている。その箱から、微かに青い光が漏れ出していた。
「何かの魔動機かな……」
たとえそうだとしても、おかしい。
この世界の魔法は意によって行使される。それは魔動機の発動についても同じことだ。
簡単に言えば、『勝手に動き出す魔動機』などというものは存在しないのだ。
かといって、ここにいる我々のうちの誰かが動かしたとも考えにくい。
だとすれば可能性は二つ。イニスが起動した魔動機が今なお動いているか、あの箱の中に誰かが入っているかだ。
「……一応、下がっておいて」
箱は、人ひとりが十分入れそうな大きさだった。誰かが忍び込んで潜んでいる可能性も捨てきれない。
私はコートをぐいと首元まで引き上げて、箱の上に積もった荷物をどかす。万一予期せぬ自体が起こっても、このコートならばだいたいのことは防いでくれるはずだ。
「……開けるよ」
声をかけて、私は箱の取っ手に手をかける。アイが真剣な表情で頷き、ニーナがクリュセを庇うように立って、そのクリュセは大事そうに先程の絵を抱えていた。ユウキは何気なく立っているだけのように見えるが、彼女の瞬発力なら一歩で私の助けに入れる間合いだ。リンは……気づけば、小さな蛇の姿で私の袖の中に潜んでいた。
私は思い切って、木でできたその箱を開く。
「……女の、子……?」
そこにあった……いや、いたのは、一人の女の子だった。
年齢で言うと十六、七といったところだろうか。紫色の長い髪をウェーブさせた、思わず息を呑んでしまうほどに美しい少女だった。その胸元に下げたネックレスが、青く輝いている。
「……人形?」
リンが袖から顔を出し、呟く。確かに少女の美しさは人間離れしていた。エルフのニーナも相当美人だけれど、それとはまた別種の、それこそ人形のような完璧な美しさ。均整の取れた、無機的な美だった。
「そうみたいだ」
その頬にそっと触れるとひんやりと冷たく、かといって死体という感じでもない。柔らかいが人の肌とは感触の違う、作り物だ。
そう思った、瞬間のこと。
人形の目がゆっくりと開いて、その空色の瞳が私を見つめる。
──そして。
「おはようございます、マスター」
鈴のなるような声色で、私にそう挨拶したのだった。
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