第3話 目録/Inventory

「君は、一体……? っていうかマスターって?」

「当機は制作番号732A。あなたは当機に登録済みのマスターと照合率99.7パーセント一致。当機のマスターと認識しています」


 この世界の世界観からあまりにも逸脱した回答に、私は混乱した。


「せんせー、この子が何言ってるのか全然わかんないんだけど」


 だがそれは私以外にとって余計にそうだったらしい。困惑の声をあげるリンに、私は少し冷静さを取り戻した。


「もしかして君は……イニスが作った、魔動機なのかい?」

「は? あんた、何を言って……」

「はい」


 私の質問に、呆れたようなニーナの声を遮って、少女は答える。


「当機は製作者イニスの製作した七百三十二番目の魔動機、試作品。制作番号732Aです」


 信じがたい発言に、私だけでなくその場にいた全員が唖然とした。


「製作者イニスより伝言があります。再生しますか?」

「うん、お願い」


 頷くと、少女の空色の瞳が金に染まり、ブゥンと独特の低い音が響く。


『やっほー。イニスちゃんだよー』


 そして、懐かしいと言うには些か聞いたばかりの──しかし二度と聞くことはないと思っていた声が、聞こえてきた。


『これを聞いてるってことは、わたしはもうこの世にいないって事だね。この子は、わたしの最後の作品にして最高傑作。この大天才がいなくなったら色々大変だろうけど、この子にはわたしの全てを注ぎ込んだ。きっと、役に立ってくれるはずだよ』


 彼女らしい、飄々としたいつもの声色。


『まあ、そうは言ってもまだ作りたて、いうなれば赤ちゃんみたいなもんだからね。色々覚えさせてやる必要はあるけど……先生なら、多分大丈夫でしょ』


 けれどその声にはどこか、いざ死ぬという時のサッパリとしたものとは違った、憂いや悲しみを孕んでいるように思えて。


『ま、それは置いといても、わたしの子供みたいなものと思って可愛がってあげてね。…………不出来な弟子からの、最後の、お願いです』


 そう言い置いて、彼女の声は途絶えた。金に染まっていた少女の瞳が、再び空色に戻る。どうやらこれで終わりらしい。


 不出来。


 いつもマイペースで、己を天才と言ってはばからず、実際それだけの成果を残してきた彼女を不出来などと誹る者は誰ひとりいないだろう。


 けれど私には、イニスがそう言う気持ちがわかる気がした。


 ──彼女は、きっと耐えられなかったのだ。最愛の相手アラのいない世界に。


 私はかつて……もう、気の遠くなるほど昔。アイを失った時の事を思い出した。私には、ニーナがいた。アイも希望を残してくれた。だから生きてこれたけれど……一人きりだったら、イニスと同じ道を選んでいたかも知れない。


 イニスだって一人ではない。一人ではないけれど……それでは、足りなかった。置いていってしまった。それに対する後ろめたさも、あったのだろう。だからこその言葉だ。


 けれど彼女は、アラがいなくなってから三十年も待っていてくれた。少し、違和感はあったのだ。なぜこのタイミングで? と。


 その時間はきっと、この少女を生み出すのに使われた時間だったのだろう。私達、置いていかれるものを想って使ってくれた時間だったのだろう。


「ありがとう。またイニスの声を聞けて嬉しかったよ。ええと、君の……名前は」

「当機は製作者イニスの製作した七百三十二番目の魔動機、試作品。制作番号732Aです」


 私の問いに、魔動機の少女は先ほどと全く変わらぬ言葉で答えた。


「七百三十二番目で最後の作品ってことは、他に七百三十一個あるってことかぁ」

「違うよリンちゃん、イニスさんが爆発した時に『イニスちゃんの素敵な長椅子』は一緒に壊れちゃったから、多くてもあと七百三十個」


 ぼやくようなリンの呟きを、ユウキが細かく訂正する。しかし私にはそんなことよりもっと気になることがあった。


「732Aが名前というのは……流石になあ」

「ちょっと長いですよね、ナナヒャクサンジュウニエー」

「呼びやすいとか呼びにくいとかいう問題じゃないでしょ」


 首をかしげるクリュセに、呆れたようにニーナ。


「じゃあ例えば……ナナちゃん、とか?」

「いや……」


 アイの提案に、私は首を横に振った。

 この世界において、名前というのはとても大事なものだ。出来ればちゃんとした名前をつけてあげたい。製作者であるイニスから貰った製造番号は真名という扱いでいいだろうけれど……


「マスターって呼ばれてるくらいなんだから、あんたがつけてあげたら?」

「うーん……」


 ニーナに促され、私は頭を抱える。正直この手の名付けはあまり得意とは言えない。けれど732Aなんて名前で呼ばれるのも可哀想だ。


 その時ふと、私はあることを思いついた。


「A……Z、E、L。アゼルっていうのはどうだろう?」

「へえ。あんたにしちゃいい名前じゃない」

「とっても素敵です、先生!」


 その思いつきに、ニーナとアイが賛辞を送ってくれた。多分それぞれ足して二で割って、だいたい同じ意味だろう。


「なにか由来とかあるんですか?」

「まあね」


 ひっそり聞いてくるクリュセに、言葉を濁す。前世の世界ではよくあったネタだ。732Aを、Aはそのままにしてひっくり返す。すると2はZに。3はE。7はL。アルファベットなんて魔術師が限られた用途にしか使わないこの世界においては、あまり見ない手法だろう。けどそんなのを披露して感心されても恥ずかしいだけだ。


「多分前世ネタね」

「ああ、なるほど……」


 と思ったのに、ニーナにはしっかり見抜かれていた。


「とにかく。君の名前はこれからアゼルだ。いいかい?」

「マスターより要請の受理。当機の名称を『アゼル』で登録しました」


 表情をぴくりとも変えず、少女──アゼルは、事務的な口調で答える。


「よろしくお願いしますね、アゼルちゃん」


 アイがにっこりと笑いかけるが、アゼルは全く反応しなかった。


「もしかして、お父さんが話しかけないと反応しないんでしょうか」

「いや……そういうわけじゃないと思うけど」


 あのイニスが、自分の子供とまで言ったのだ。

 寿命も種族も異なる相手と結ばれた彼女にとって、その言葉はきっと軽いものではない。


 ……子供。もしかして。


「アゼル。よろしく、と言われた時は、同じようによろしくお願いしますと答えるんだ」


 ふと思いついてそう言ってみると、アゼルはアイの方に向き直り、


「よろしくお願いします」


 言われた通りにそう告げた。


「イニスの言った通りだ。見た目は大人に見えるけど、アゼルはまだ生まれたばかりで、何もわからないだけなんだ」

「なるほど……それで、こんななんですね」


 クリュセがアゼルをじっと見つめた。人の魂を見えることが出来るという彼女の瞳には、一体どんなものが見えているのだろうか。


「で……それは良いんだけど、元々の掃除はどうするの?」

「ああ、そうだった。アゼル、イニスが魔動機の目録を残しているはずなんだけど、知らないかな」


 私が問うと、アゼルの瞳が再び金に染まり、キュインと独特の作動音が聞こえてきた。


「検索結果。該当のものは記憶内部に存在しません」

「知らないか……」


 どうやら地道に探すしかないらしい。


「ねえ。その記憶内部、っていうのには、何があるの? アゼルは生まれたばっかりなんでしょ?」


 がっくりと肩を落としていると、リンが横からそう尋ねた。


「疑似人格。言語。基礎知識。七百三十二種の魔動機に関する情報、及びその製法があります」


 それに対し、アゼルはあっさりとそう答える。


「それって……」

「この子が『目録』ってわけね」


 私とニーナは思わず顔を合わせて、苦笑した。

 イニスがアゼルの事を全く教えてくれなかったのは、多分わざとだ。


「イニスらしいなあ」

「全くね。どうせ今頃、あの世とやらでアラとよろしくやりながら、私達が苦労するのをケラケラ笑って見てるに違いないわ」


 笑ったものか呆れたものか悩みながら、そんな事を言い合う。


「よろしくお願いします」


 そしたらそのニーナの台詞を聞き取って、律儀にアゼルが答えるものだから、私達は思わず笑ってしまった。


「ああ。よろしく、アゼル」

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