第六章:叡知の時代

竜歴1427年

第1話 偉大なる死/The Greatful Dead

「じゃあ、いくよ、アイ」

「はいっ。来て下さい、リョウジさん……」


 決意を秘めた瞳で頷くアイに、私はそっと肌を重ねた。


「……っ!」


 途端に、彼女の表情が苦痛にゆがむ。


「大丈夫です、大丈夫ですから……! 続けて、ください……!」

「でも……」


 躊躇う私に、アイはぐっと指を絡ませる。


「んっ……あぁっ……」


 じんわりと伝わってくる彼女の温度は、いっそ火傷しそうな程で。


「もう……駄目だ……っ!」


 私は堪らず、彼女から手を離した。


「ニーナ、早く治療を!」

「はいはい。別にこのくらい大騒ぎする程のもんでもないわよ」


 呆れたように言いながら、ニーナはアイの腕を取り、その赤くなった手のひらに軟膏を塗りたくった。


「あんたら竜はどうせ薬なんか塗らなくったって、すぐ治るんだから」


 そんな事を言いながらも、彼女は私の手にも軟膏を塗ってくれる。

 ──軽度の凍傷にかかった、私の手に。


「ニーナはこうしてそれぞれの手をとっても何ともないのになあ」

「赤竜と白竜でなんかあるんでしょ、反発し合うものが」


 炎を司る赤竜である私と、氷を司る白竜であるアイ。

 互いの肌に触れると、私はアイの身体を酷く冷たく感じ、アイは私の身体を物凄く熱く感じる。それこそ、火傷や凍傷を負ってしまうほどに。


「わたし、もう一回転生してきます!」

「やめなさいよ、また無事にできるかどうかもわからないんだから」


 家の外に飛び出そうとするアイを、ニーナの操る蔦が縛り付けた。


「まあ、きっと何とかする方法があるはずだよ。服越しなら、こうして触れ合えるわけだし」


 私はアイの肌に触れないように気を付けながら、後ろからぎゅっと彼女を抱きしめる。


「リョウジさん……」


 アイはそっと、私の腕を掻き抱くように抱きしめた。隣でニーナが呆れたように手で己を扇いでいるが、気にしないことにする。


「出来ないことを出来るようにしてくれるのは、いつだって文明だ。今は心強い仲間も沢山いるしね」


 案外イニス辺りに頼んだら、一週間くらいでなんとかしてくれそうな気さえする。


「郵便だよー」


 リンが立派な封筒に入った手紙を持って現れたのは、そんな事を考えていたときのことだった。


「イニスから? ……何だろう」


 差出人には今思い浮かべたばかりの人物が書かれていて、私は首を傾げる。彼女から手紙を貰うなんて、初めてのことだった。そもそも同じ村に住んでいるのだから、伝えたいことがあるなら直接言えばいいだけのことだ。


 それすら億劫だったという可能性はあるが、かといってこんなに立派な手紙を作るのとどっちが楽だろうか。


「それがさあ、皆に来てるんだよね、この手紙」


 言って、リンは更に五通の同じ手紙を出してみせた。ニーナ、アイ、クリュセ、ユウキ、そしてリンに宛てたものだ。これは……とうとう印刷機を開発したから出したとかかも知れないな。


 意のこもらない現象は安定しないこの世界では、現状、本はすべて手書きだ。知識を効率的に他者に伝えていくにはやはり本が必要である。しかし原理の単純な活版印刷ですらまともに動作しないので、印刷は待ち望んでいた技術だった。


「えっ、なになにー?」


 ユウキがぴっと手刀で封筒を切り落とし、中に入った手紙を読み上げる。


「『イニスの人生卒業式のお知らせ』……?」


 そこには、とんでもない知らせが入っていた。



 * * *



「みんなー! 今日はわたしの為に集まってくれてありがとー!」


 イニスがその子供のような小さな体を空飛ぶソファの上にいっぱいに伸ばして、声を張り上げながら大きく手を振る。


「今日でわたしは最後だから、めいっぱい楽しんでいってねー!」


 うおおおおお、と地鳴りのような声が響いた。それは哀哭の嘆きなのか、それとも感謝の歓声なのか。発している者たち自身、きっとわからないに違いなかった。


「はー疲れた……やっほー先生、みんな。よく来てくれたね」

「来ないわけないだろ、こんな……」


 人生卒業式。

 それは読んで字の如く、生を終えて眠りにつくための式。


 有り体に言ってしまえば、本人による葬式だった。


「イニス。本当に、君は……」

「うん、死ぬよ」


 あっさりと答える彼女の澄んだ瞳に、私は一瞬にして説得を諦めさせられる。


「アラも死んで結構経つし、そろそろね」


 イニスの夫である半人半狼のアラが亡くなったのは、今から三十年前のことだ。事故でも病気でもない、老衰による大往生。長命種であるアラよりも、短命な人間であるはずのイニスの方が長生きしてしまうというのは皮肉な話だった。


「別にまだ、生きてられるんでしょう? なら……」

「悪いね。もう決めたことなんだ」


 食い下がるクリュセに、イニスはきっぱりと答える。


「別にクーの事を否定するわけじゃないよ。あんたはむしろ、ちゃんと生きてしあわせになんな」

「はい……まあもう、死んでるんですけどね……」


 イニスはくしゃりとクリュセの頭を撫でて、「その笑えないジョークも聞き納めだね」と笑う。


「イニス……」


 私は言葉をいくつか探した末に、一番言うべきことを、言った。


「今まで、ありがとう」

「ん。こちらこそね」


 私とイニスは、握手を交わす。いつになく殊勝な彼女の言葉に、本当に逝ってしまうんだな、という実感がじわじわと私に胸に伸し掛かった。




「さあて、それじゃあ行くよーっ!」


 一日中みんなで別れを惜しみ、今までの思い出話に花を咲かせ、飲み食いしながら歌や踊りに興じて日も暮れた頃。


 イニスの乗った空飛ぶソファがぐんと宙を駆けて舞い上がる。


「3!」


 そして、カウントダウンが始まった。


「2!」


 メルの子供、孫、曾孫達が、イニスの名を呼びながらわんわんと泣いている。


「1!」


 パパパパパン、と盛大な音を立てて夜空に火花が散って。


「みんな、ありがとねーっ!」


 イニスは空中で華やかに爆発四散する。一体何をどうやったのか、その炎は大きな彼女の笑顔を描いて……そして、消えた。


「……あの子」


 ぽつりと、ニーナが呟く。


「死ぬときが一番活き活きしてたわね……」

「本当にね!」


 こうして。


 『怠惰の魔女』イニスは、その長い生涯に、幕を閉じた。

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