番外編

第1話 致死量/Fatal Dose

「せんせいっ!」


 アルジャーノンを凍りつかせた直後。アイは、私の方に向き直ると、躊躇いもなく胸に飛び込んできた。私は咄嗟に人の姿に変じてそれを受け止めたが、続く激戦に疲れ切っていた身体は彼女を受け止めきれず無様にその場に押し倒される。


「先生、先生、先生……リョウジさん……」


 だがアイは構わず私の胸元にしがみつくようにして、何度も何度も私を呼んだ。

 ぼろぼろと零れ落ちる涙が、私の胸を濡らす。


「アイ……なんだね」

「はいっ……! わたしです……!」


 真っ白に染まった髪を撫でて問えば、アイはしゃくりあげながら何度も何度も頷いた。


「顔をよく見せてくれないか」


 そう頼むと、アイはごしごしと服の袖で目元をこすり、顔を上げる。白竜としての鱗が変化したものなのだろう。私の着ているコートにどこか雰囲気の似た、白い服だった。


「はい……」


 私を見上げる彼女の顔は、髪と瞳の色こそ変わっているものの、記憶にあるアイの若い頃そのままの姿だった。人だった頃の年齢で言うなら二十前後だろうか。


「……会いたかった……」


 私は思わず、彼女をぎゅっと抱きしめた。その柔らかな感触に、覚えはない。彼女が生きていた頃、こうして抱きしめてあげられたのはただの一度きり。それも最後の最後、いまわの際のことだったからだ。


「わたしも、です……」


 アイも私の首に腕を回し、息が苦しいほどに抱きついてくる。けれど全く気にならなかった。むしろ、背骨が砕けても構わないからもっと強く抱きしめてほしいとさえ思う。


 そうして密着していれば自然、私たちは密着する形になる。私の姿を映し出す美しい緋色の瞳がそっと伏せられ、顔がゆっくりと近づいて……


「ごほんっ!」


 わざとらしいクリュセの咳払いに、それは中断された。

 ハッと我に帰れば、四対八つの瞳が私を見つめている。


「あんた、後でちょっと話があるから」

「……はい」


 その中の、青い瞳の持ち主からそう言われ。私は素直に頷くことしか出来なかった。



 * * *



 ニーナから告げられたそれは、しかし実現することはなかった。私の身体は思った以上にダメージを受けていて、翌日から寝込んでしまったからだ。


 アイの氷の魔法を体内に通してズタズタにされた上に、曽祖父との戦いで興奮していて気づかなかったが、彼を殴りつけた右腕は完全に折れていた。更に自ら舌を噛んで血に炎までつけたのだ。いかな竜の身体といえど、無事なわけがなかった。


「はいお父さん、あーんしてください、あーん」


 そんな言葉と共に、お粥の入った匙が差し出される。そのくらい自分で食べられるからよしてくれ……と言いたいところだけど、それは出来なかった。

 実際、そのくらいも出来ないほど全身が痛むからだ。

 私はおとなしく口を開け、クリュセが食べさせてくれる粥を受け入れた。


 クリュセは満足げにそれを見届けると、深皿の粥を更に掬い取ってふうふうと息を吹きかける。彼女は多分私が火竜であることをすっかり忘れてるんじゃないだろうか。人の姿をしていたってお粥程度の温度で火傷を負うわけもないのだけれど、あまりに一生懸命そうしてくれるのでなんとなく言い出せずにいた。


「せんせー、体勢変える?」

「……悪い、頼むよ」


 クリュセの粥を食べきると、すかさず声をかけてくれるリンに頷く。彼女の指先から溢れた水が風船のように虚空に膨らんで、私の身体をふんわりと包み込む。そしてほとんど痛みを与えることなく、仰向けになっていた私の体勢を横向きに変えてくれた。


 身体を動かそうとすると全身に痛みが走り、寝返りさえまともに打てないのだ。かと言ってずっと同じ体勢なのは床ずれの原因になると、リンがこまめに私の体勢を変えてくれた。情けなさに涙が出そうになるが、情けないのはそれで終わりではない。


「お兄ちゃん、だいぶ汗かいてるし、身体拭いてあげるね」


 そう言うやいなや、ユウキは私の服のボタンを外し始める。


「いや、流石にそれは」

「今更何恥ずかしがってるの。お互いの裸なんて今まで何度も見てるじゃない」


 ユウキは笑いながらそう言うと、リンと協力してあっという間に私の服を脱がしてしまい、濡らした布を絞って私の身体を拭いてくれる。優しく丁寧なその手付きからは強い愛情が感じられるが、そんな風に全身くまなく拭いてもらうのは酷く気恥ずかしい。


 穴があったら入りたい。そんな思いでベッドに転がっていると、ふと傍らでずっと見守ってくれていたアイと目があう。


「いつでも言ってくださいね、リョウジさん」


 彼女はガラス製の瓶を掲げ、にっこりと笑みを浮かべてそういった。


 寝返りすら打てない今の私に自力で出来ることなどあるはずもなく、生きている以上避けられないことはどうしてもあるわけで……つまり、その、そういうことなのであった。アイは嫌な顔一つせず対応してくれるが、その、なんというか、死にたい。


「調子はどう?」


 私が羞恥で死にそうになっていると、ニーナがやってきた。彼女も、火竜たちとの戦いで出た負傷者の対応で忙しいだろうに、一日に何度も私の様子を見に来てくれる。


「上々だよ。そろそろ起きられるかも」

「ふうん」

「ぎゃぁっ!」


 ニーナが無造作に私の胸を指先で押した途端、全身に痛みが走って私は悲鳴を上げた。


「なるほど。悲鳴を上げることも出来なかった昨日よりは、確かに回復してるわね」

「ニーナさんっ!」


 冷静に呟くニーナに、アイが批難混じりの声を上げる。


「別に怪我に響くような突き方してないわよ。こうでもしないとこいつすぐ……」

「ヤキモチ焼いてリョウジさんに意地悪するのはやめてください」


 ピシャリとアイが言い放つと、ニーナの顔色が首元から耳の先まで徐々に朱に染まっていく。


「なっ……ば、やっ……」

「全くもう、千年経ってもそんなところは変わってないんですから。駄目ですよ、もうちょっと素直にならないと」


 トドメのように放たれた言葉に、ニーナは何も言えずに口をパクパクとさせた。


「すごい」


 目を丸くして、クリュセがぽつりと声を漏らす。


「お母さんをやり込められる人がいるなんて」


 視界の端で、ユウキとリンが同意するように微かに頷くのが見えた。


「うるっさいよ。まったく……あんた前よりいい性格になったんじゃないの」

「この身体に生まれついてからも随分経ちましたから」


 呆れ半分、笑み半分の言葉を、アイはにっこり笑顔で受け流す。


「どっちにせよ……この分なら、一月もあれば起きれるでしょ」


 ニーナは気を取り直すとテキパキと私の脈を取り、熱を測り、何箇所か触診を施しながらそういった。


「一ヶ月かあ……長いな」


 そんなに横になるのは、竜として生まれてから初めてのことかもしれない。初めてアルジャーノンと戦って足の骨を折ったときだって、そこまでではなかった。そんなに長い間伏せっていたら、身体が鈍ってしまいそうだ。


「へえ。あんたがそんな事を言うなんてね」


 私の呟きに、ニーナは意外そうな声色で言う。

 けれど付き合いの長い私にはわかる。これは本当に意外に思ったわけじゃなく、そういうポーズをとっただけの言葉だ。その真意を察して、私はハッとした。


 ニーナの言っていた「お話」については、ひとまず私の体調が良くなるまでは保留ということになった。逆に言えば、私は後一ヶ月で結論を出さなければならないのだ。


 ──この中から、誰を選ぶのかを。


 アイとニーナだけであれば、まだ話は単純だったかもしれない。けれどユウキとリンも、かつての記憶を取り戻しているのだ。いい加減な対応は出来ないだろう。


 と言っても、では誰か一人を選ぶことができるか、といえば、答えはノーであった。

 我ながら自分がこんな不誠実なことで悩むことになるとは、思っても見なかった。けれどけして、軽い気持ちで彼女たちと接してきたわけでもない。


 アイ。一途に、ひたむきに私のことを想ってくれる彼女に、私もまた強く惹かれた。互いに流れる時が異なると知っても、共に居たいと願った。

 ユウキ。アイの死を引きずる私をその明るさで助け、もう一度立ち上がらせてくれた彼女と。その短い生を、それでも一緒に歩みたいと思った。

 リン。何も言わず、そんな素振りすら見せず、けれど一心に私の事を想い、命さえかけて尽くしてくれた彼女をいじらしく、報いたいと思った。

 ニーナ。ずっとそばにいてくれた、無二の相棒。私を一番知り、ずっと支えてくれた女性。彼女への思いは言葉で語り尽くせぬほど重く複雑だ。


 それぞれの時代で、それぞれの相手を、私は心から愛した。

 そこには一切の嘘はなく、やましいこともない……ない、はずだったんだけどなあ。


 まさか彼女たちが皆蘇り、記憶を取り戻し、一度に集まることになるだなんて、思っても見なかった。

 一体、どうしたらいいんだろうか……


「大丈夫ですよ、リョウジさん」


 アイがそっと私の手を取り、安心させるように優しく微笑む。


「治るまでしっかりと、わたしたちでお世話しますから」


 しかし告げられたのは、ある種、死刑宣告にも似た宣言だった。

 見目麗しい女の子達が愛情たっぷりにお世話してくれるのだから、人によっては天国だと言うかもしれない。ありがたいのは間違いない。


 けれどその愛は……たった一人の身に受けるにはあまりに多すぎるのではないか。

 私はつい、そんなことを思ってしまったのだった。

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