第33話 始まりの魔法使い/The Beginning Wizard
「
「うるさい。舌を動かすんじゃない。黙って突き出してなさい」
ぐいと口を押し開いて、私は痛々しい肉の塊に薬を塗りつける。
この馬鹿が容赦なく噛み締めたもんだから、舌の傷はかなり深く酷いものだった。
半ばから殆ど断裂して、千切れかけている。いっそ一思いに引きちぎった方が回復早いんじゃないの、これ。トカゲの尻尾みたいに生えてきそうだし……
そんなことを思うけど、一応、勘弁しておいてやった。それで万が一そのままだったら寝覚めが悪いし、私はこれでも医者だ。こいつでも患者なんだから、出来る限りは面倒を見てやる義務がある。
「はい、おしまい」
「ねえ、ニーナ。この薬って、もうちょっとマシな味のものはないの? いくらなんでも、苦すぎると思うんだけど……毎日つけ直すの、結構しんどい」
子供か。
「ない」
情けないことを言う火竜に、私は即答した。
全く、何年経っても結局コイツは相変わらずだ。
「可哀想に、リョウジさん。わたしが冷やしてあげますね」
「やめなさい。余計なことをしないで」
そこに全身白ずくめの女がやってきてそんなことを言い出したので、私は釘を刺した。
「温度を下げると活性が落ちる。治りが悪くなるのよ」
そう言ってやれば、アイも流石に舌に伸ばそうとしていた手を引っ込める。
「心配してくれてありがとう、アイ。でもまあ、多分一年もあれば治ると思うし、大丈夫だよ。それより君の傷の方はどうだい?」
「そっちはただの矢傷で、そこまで深く刺さってもなかったからとっくに治ってる。邪魔だから病院から出ていきなさい」
「あっ、何で代わりに答えちゃうんですか。それにわたしはお見舞いだからいいんです」
全然良くない。あいつもあいつで、デレデレし過ぎで腹が立つ。
薬の成分、もっと苦い薬草に取り替えてやろうか……
「おにーいちゃん。迎えに来たよー」
「せんせー、一緒に帰ろ」
そんなことを考えていたら、頭痛の種が更に二つも増えた。
何でも昔の記憶を取り戻したとかいうユウキとリンは、前にもましてあいつにベタベタと引っ付くようになっていた。ユウキはともかくとして、リンは別にそんな関係じゃなかったはずなのに。
「もう! 邪魔! 散りなさい!」
「はーい、面会時間は終わりです。お見舞いの方はお引取りくださーい」
私が怒鳴ると、最近看護婦として働いているクリュセがそんなことを言いながらベッドに魂を込め、強引にアイたちを追い出した。持つべきものは愛しい娘、私の味方はこの子だけだ。
……娘にしてはいつまで経っても父親にやけにくっつくのと、頑なに私のことをお母さんって呼んでくれないのが少しだけ気になるけど。気にしすぎよね? 大丈夫よね?
「あんたは患者、残ってなさい」
「ぐえっ」
一緒に病室を出ていこうとするあいつの襟首を引っ掴んで、私は連れ戻した。まあ処置はもう終わってるから、引き止める意味は特にないんだけど……
クリュセがパチリと両目を閉じて、部屋をそっと出ていく。相変わらずウインクが下手すぎるけど、それはそれとしてありがたい。
私は無言で、あいつの顔をじっと見上げた。
するとあいつは、気まずげに視線をそらす。
「……ごめんよ」
「いいわよ、わかってるわよ……もう」
後ろめたいならちょっとは何か言い逃れでもすればいいのに、素直に謝るもんだから、私は深くため息をつくしかなかった。
最初から、わかってたことだ。今更思い出されたってそんなの過去のことだ……なんて切り捨てられるような奴なら、多分そもそも私はこんな事になってない。
それに……皆が忘れているのを良いことに独り占めしようとした私だって、多分悪い部分はあるんだと思う。まあ、ほんのちょっとくらいは。
「いいわよ。別に、そこまで嫌なわけじゃないもの」
でも腹立たしいので、あいつの頬をぐにぐにと引っ張りながら、私はそういった。
「ほうなの?」
抵抗らしい抵抗も見せず、されるがままに頬を引っ張られながら、あいつは問う。
「そうよ。だって……あんた、誰の事が一番好き?」
私がそう尋ねると、あいつはびくりと身体を震わせて。
「なーんて下らないことを聞くつもりはないけどさ」
続く言葉に、あからさまにホッとする。そこは嘘でも私って言いなさいよ、と思わなくもないが、こいつがそんな事を平気で言えるようになったら嫌だなとも思う。
「あんたの一番近くに、一番長くいたのは、この私でしょ」
ぴん、と頬を弾いて問えば、それには頷いた。
「ああ、それは間違いないな」
「だったら、それでいいわ」
とりあえず、納得してあげよう。
私ってなんていい女なんだろう。なんて自画自賛したりもする。
「それで、復興の方はどうなの?」
「あまり、芳しくないね」
あの後。火竜たちが死んだ後、世界には変化があった。
竜が死んだせいか、人が死んだせいか、その辺はわからないけれど。
魔法の力が、極端に弱くなった……らしい。
らしいというのは、私もこいつも、その変化を自分では感じないからだ。
ついでに言うならアイやユウキ、リンとクリュセも。要するに、『自分の魔法』を持ってる連中は、その力に陰りは見られない。
けれど人々の大半は、そうじゃなかった。魔法が全く使えないわけじゃないけれど、今までみたいに気軽に精霊を呼んだりは出来ないし、今後ますますその力は衰えていくだろうというのがイニスの見立てらしい。
おかげで魔物や魔獣たちの相手も相当難儀しているようで、私は毎日絶賛大忙しだ。
「今度は急がずじっくりと対策を練るよ」
こいつはこいつで、自分が作った武器のせいで世界中がめちゃくちゃになってしまったのを大分気にしているらしい。
「今まで作った魔法や魔術の仕組みなんかも全部見直して、最初から。始まりからの、やり直しだ」
「ま、好きにすればいいんじゃないの」
「冷たいなあ」
思ってもいないくせに、そんな事を言う。
「あんたが何をしたって付き合ってやるから、好きにしろって言ってるの」
背を向け、ベッドのシーツを取り替えながら、私は言った。
すると背後から、忍び笑いが聞こえてくる。全部お見通しだと言わんばかりの、腹立たしいいつもの声。
けどまあ、その笑い声も……そんなに、嫌いじゃない。
なんたってもう千年以上、聞いてきた声なのだ。いい加減慣れもする。
「そういえばさ」
不意に、思い出したようで、あいつは問うた。
「アイの名前、何でヒイロなの?」
「村の名前と被ったのは……まあ偶然よ」
この村にヒイロと名付けたのは当時の村人たちだし、それに、字が違う。
ヒイロ村のヒイロは、緋色。こいつの鱗の色だ。
「ニーナがつけたってことはあれ、花名だろ?」
「まあね」
花名は本来ならエルフが真名を隠すために付ける名前だけど、私はそれをアイにつけた。他の名付け方を知らなかっただけの話ではある。
『ニナさんに、つけてもらいたいんです』
あの時、彼女はそういった。
『何で?』
『先生につけてもらったアイって名前は、大事な名前です。わたしは他の名前で呼ばれたくありませんし、別の名前をつけてもらうのも……できれば、避けたいです』
その気持ちは、わからないでもなかった。私も結局呼ばれ慣れた響きによく似た名前をつけてしまったし。
『だから……もし、わたしが他の名前を持つのなら、ニナさんにつけてもらいたいんです』
花名は、そいつの魔法で咲かせる花の色にちなんでつける。
紫色のいばらを咲かせるなら、紫。
水色の花を咲かせるなら、水色。
あの子の花は。
何よりも熱く、何よりも美しいように、私には見えた。
その身を焦がし、焼き尽くすような、情熱的な花。
だから、炎の色……火色。
けれどそれは、あいつとお似合いだって認めているようで。
「秘密よ。絶対に、教えてあげない」
私は舌を出して、そう答えた。
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