第32話 白の魔法使い/--,The White Wizard

「リョウジが気づいてるかどうか知らないけどさあ。他の存在が使えない固有の魔法ってのがあるよねえ」


 楽しげに語るアルジャーノンに、風のような速度で斬りかかるものがいた。


 ユウキだ。彼女は最もその危険性を知るものと言えるかも知れない。その記憶が、彼女を突き動かしたのだろう。


「おやまあ。らしくないじゃあないか、ユウキ」


 ユウキ本人の記憶だけじゃない。全ての剣部の記憶をも受け継いだ彼女の剣さばきは、剣聖と呼ばれたユウカのそれすら上回る。


 ――それを。


「君としたことが、相手を甘く見て安易に斬りかかるなんてさあ」


 それを、アルジャーノンは軽く弓でいなして見せた。

 もう片方の手にはいつの間にか、血に濡れた青鱗鋼の剣が握られている。


 今の一瞬で同時に切りつけ、ユウキの脚を深く切り裂いたのだ。


「ユウキ!」


 リンが叫び、山猫の姿に変じて素早くユウキを助けに走った。


 その身体を、突如地面から生えだした木々が捕らえ、縛り上げる。


「リンの変身魔法。ユウキの剣を繰る魔法。ニーナの木々を生む魔法。クリュセの魂を操作する魔法」


 まるで詩を吟じるかのように口にしながらアルジャーノンは歩を進め、"それ"をぽんと軽く撫でる。


 その、途端。


 既に命を失ったはずの赤竜たちの身体が、首をもたげた。

 まさ、か……


「ま、そういうことさ、リョウジ。名をつけるなら……魔法を盗む魔法、とでも言おうかね?」


 白鼠たちは何も作らない。創造しない。

 彼らが生んだ魔物たちも、簡単な道具一つ作ることが出来ない。


 けれどそれは彼らの知能が低いということを意味しない。

 奪い、盗み、掠め取る。それが彼らの本質だからだ。


「ずうっとさあ。この時を待っていたんだよ、ワタシは。ワタシに個と、永遠の命をくれたキミが、憎くて憎くて憎くて憎くて……」


 ぞぶり、とアルジャーノンは曽祖父の死骸の傷口に手を突っ込む。死してなお高熱を持つ火竜の血でその手が焼けただれるのも気にした様子もなく、彼女は心臓を引きずり出して。


「いっそ、愛してしまいそうだよ」


 ごくりと、飲み込んでみせた。


「せんせー、逃げて!」


 リンが叫ぶ。その意味はすぐにわかった。


 彼女の変身魔法は、触媒を使うことでその幅を広げる。私の鱗一枚で、火竜に変じて見せたのだ。ならば心臓を飲み込んだアルジャーノンは。


 その肉体が膨れ上がるような事はなかった。そのかわりに全身が赤い鱗に覆われて、鎧のように包み込む。それと同時に、凄まじい竜気が周囲に迸った。


 創造性を持たない、簒奪者だからだろうか。その姿はどこか、私が人の姿の時に纏うコートに似ていた。けれどその何千倍も邪悪で、醜悪な造形だ。


 巨大な竜の姿になるよりまだ悪い。今のアルジャーノンは、人の形に火竜の力全てを持ち合わせた生物。その上自在に姿を変え、剣聖の技術を操り、木々を生み出し、死を超越した存在だ。


「どうだい。かかっておいで、リョウジ」

「おおおおおおおおおっ!」


 言われるまでもない。私は竜の姿に変じ、一切の躊躇なく爪を振り下ろした。


「……なんだ。こんなもんか」


 剛力Mighty Powerをかけた、最強の火竜さえ吹き飛ばす一撃を。

 それを。アルジャーノンは、片腕で受け止めてみせる。


「なるほど……ああ、強い力ってのは、悪くないもんだね」


 そして軽く振るった腕の一撃で、私は弾き飛ばされ地面を転がった。腕は私に触れてすらいない。これは……私の、魔女の箒。それまで、盗まれているのか。


「我が鱗より赤きもの、我が牙よりもつよきもの、我が血潮より熱きもの、我が眼より輝くものよ……」

「ああ、それは少しだけまずそうだ」


 パチン、とアルジャーノンが指を鳴らす。途端に地面から無数の木々が生えだして、私の全身を拘束した。ぐるりと蔦が取り巻いて、口を開くことすらできない。これは……ユウキの強化魔法まで取り込んで合わせているのか。ただの植物が、恐ろしいまでの強度だ。


「さあ……簡単には殺してあげないよ。ここに、キミの大事な大事な相手が揃っているんだものねえ」


 アルジャーノンはぐるりと周囲を見渡して、やがて一点でその視線を止める。


「最初は、キミにしよう」


 やめろ。そう、叫ぶことすら出来ず。

 アルジャーノンは勿体をつけた動きで弓に矢を番え――


 それを、ニーナに向けて放った。


「なん、で……」


 深く突き刺さったそれを見て、ニーナは瞳を大きく見開く。


「あんた、なんで」


 彼女を庇いかわりに矢を受けた、アイの姿を。


「うん? 邪魔だよ、キミ」


 不愉快そうに、アルジャーノンは眉根を寄せた。


「というか……キミは何なんだ? リョウジの話を盗み聞いても、いまいち要領を得ない。リョウジはキミを大切に思っているようだけれど」


 アルジャーノンは、アイの存在を知らない。私が初めて白鼠に出会ったときには、彼女はもういなかったから。だが、それが、何だというのか。


 もう手は、一つしかない。


 母上が最期に見せてくれた、あの魔法だ。己の血に炎をつければ、私を拘束する木々は燃えて崩れる。そのまま、アルジャーノンに体当たりを仕掛ければいい。


 赤竜の力を身に着けた奴に効くかどうかだけが気がかりだけど、他に方法はない。やるなら簡単だ。舌を噛んで千切り、その状態で炎を吹けばいい。そうすれば、炎は私の全身に引火する。


「なんで……なんであんた、私を庇ったり、するの」


 震える声で、ニーナが問う。


「あなたには死んでほしくないから、です……」


 毒が回ってきているのだろう。

 火竜さえ弱らせるその毒は、小さな氷竜には致命のもので。


「なんでよ……私は、あんたを、ずっと認めないで……嫌って、追い出そうとしたのに」

「でも、あの子達に親切にしてくれました。なんだかんだ、面倒を見てくれました。あなたは……わたしを、嫌いだったかも知れないけれど」


 アイはこほりと血を吐き出して、言った。


「わたしは……あなたのことが。どうしてか、嫌いじゃなかったんです」

「はい、はい」


 うんざりとした口調で、つまらなさそうに聞いていたアルジャーノンが口をはさむ。


「やっぱり何だかわからない。もういいよ、死んで」


 その注意が完全にアイに向かった瞬間、私は己の舌に牙を突き立てた。

 激痛とともに大量の血が吹き出し、瞬時にして炎が燃え移り、私の全身を包む。


 同時にアイはアルジャーノンに向かって突進した。

 私は急いで全身を拘束する蔦を引きちぎる。

 アルジャーノンは私を狙うかアイを狙うか一瞬悩んで、アイに弓を向けた。


「せんせいを、おねがいします――」


 アイが、ニーナに向かって叫ぶ。


「ニナさん!」


 矢が、アルジャーノンに迫るアイの、その額に向かって放たれた。


「ヒイロ!」


 それが彼女の頭蓋を突き破る寸前。ニーナが叫ぶ。


 その瞬間、アイの姿が激しく光り輝いた。


 全てが凍てつくような風が吹き抜け、私の身体を覆っていた炎が一瞬にして掻き消えた。

 それと同時にアイの身体が見る間に縮み、変形していく。そのせいで額を狙った矢は彼女の頭上を通り過ぎ、彼方へと外れる。


 鋭い爪を備えた前足が、しなやかな指先に。

 竜の巨体を支える太い後ろ足が、ほっそりとした脚に。

 全身を覆う白い鱗は、白い衣を纏ったすべらかな肌となって。


 ――白い髪と緋色の瞳を持った人間の少女の姿が、そこにあった。


「ああ……」


 少女の頬を、涙が一筋、流れる。


「ずっと、待っていました。あなたが、わたしを見つけてくれるのを。わたしを、認めてくれるのを。――あなたがつけてくれた真名を、呼んでくれるのを」


 透き通った……けれども酷く懐かしい声色で、彼女は言った。


 魂と記憶は、別物だ。


 アイはそれを、ニーナに預けていた。そうと知ってか知らずにか。

 彼女の全てを覚えているのは、私かニーナの二人しか……いや。

 私がアイの真名を知らなかった以上、ニーナしかいなかったんだ。


「何だ……お前は」


 呆然と、アルジャーノンは呟く。


 アイは白鼠の様子など気にした様子もなく、こほ、こほと何度か咳をして、やがて白く凍りついた緑色の塊を口から吐き出し、打ち捨てた。あれは……さっきアルジャーノンが打ち込んだ、緑竜の毒か。


「失礼しました。少し、はしたなかったですね」

「何だ……何で、人の姿になった。何で……何でお前が……リョウジと同じことをする!? 何で、何で、何でだ!」


 狂ったように叫ぶアルジャーノン。

 アイは少しだけ考える素振りを見せた後、


「そうですね……愛の力、でしょうか?」


 小首を傾げて、そんなことを言い放った。


「ふざけるなぁぁぁっ!」


 激昂したアルジャーノンの姿が、その感情を表すかのように膨れ上がる。

 この世のあらゆる生き物を無作為に足し合わせたような、醜悪で無秩序な化物へと。


「それはこちらの台詞です」


 アイは静かにそう答え、ただ一言、呟いた。


「出ておいで」


 アルジャーノンの爪は、アイを刺し貫くその寸前でピタリと止まった。


 地平の果てまでが、白く白く凍てついて。


 巨大な化け物はその全身を、氷の柱に包まれていた。


「久々だったので、少しやりすぎちゃいましたね」


 アイは、記憶にあるのと全く同じ照れ笑いを浮かべて。


「ホウ、ホウ、ホウ」


 千年ぶりの再会を喜ぶように、ジャックフロストの声が鳴り響いた。

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