竜歴1350年

第28話 火竜の軍勢/The Ruin

「月日が経つのって、本当にうんざりするほど早いのね」


 私が決断を下してから、四十九年が経った。


「……本当に、良かったの?」


 ニーナは心配そうに眉を寄せて、私にそう尋ねる。


「後悔がない、といえば嘘になるかな」


 いや、正直に言おう。

 四十九年前のあの日から、一日として後悔しなかった日はない。

 本当にこれでよかったのか。私は決定的な間違いを犯しているんじゃないか。

 そんな思いは、ずっと頭のどこかに燻り続けている。


 けれど考えて、考えて――

 それでも、私は、他の選択肢を取ることは出来なかった。


「……本当、あんたってばかよね」


 呆れではなく、柔らかな笑みとともに、ニーナは言った。


「でもまあ」


 一呼吸おいて、彼女は少しだけ、決意を込めたような表情で。


「そんなあんたが、私は……す……す、……き、きらいじゃないわ」


 ニーナは何度かどもった後、言い直した。

 言い直したっていうか、なんか、実質もう全部言っちゃってる気がしないでもないけれど……まあ、相変わらずだ。


 そんな変わらない彼女の仕草は、私に勇気をくれた。


「せんせい」


 透き通った声とともに、ぱさりと軽い音を立ててアイが舞い降りる。


「うん。わかってる」


 皆まで言われるまでもなく、私は頷いた。

 彼女の言わんとする事は、既に私も痛いほどに感じている。


「先生、準備出来ました!」


 石剣を携え、ユウキがそう報告する。


「なんか……けっこういるように見えるんだけど」


 その背後に並ぶ人々の姿は、私が想定していたよりも大分多かった。


「我ら剣部、常に先生と共にあります」


 当代剣部の筆頭、ナシムがそう言い放つと、おう、と盛大に掛け声が上がった。


「わかった、ありがとう。……クリュセ、君はイニスやルフルたちと一緒に避難しててもいいんだよ?」

「えっ、今更そんな事言うんですか!?」


 誰よりも臆病な娘は、大きく目を見開く。


「いやですよ。お父さんとニーナさんを見捨てて自分だけ平穏に暮らすとか、死んでも嫌です。まあ、もう死んでるんですけど」


 小さく震えながらも、クリュセは不敵に笑ってアンデッドジョークを飛ばした。


「リン。君は?」


 正直に言ってしまえばこの人魚の少女が参加してくれるというのは、少しだけ意外だった。確かに、捉えどころがないように見えて意外と義理に厚く友達思いなのは知っている。


 けれど命をかけてまで協力してくれるかと言うと。今の彼女には、そこまでの理由はないように思える。


「まあ、あたしは危なくなったら逃げちゃうから、あんまり期待しないでね」


 軽い調子でリンはそう答えるが、それが言うほど簡単なことでないことは彼女自身わかっているはずだ。


 なにせ、相手は五頭の火竜。この世界最強の生き物。


 私が決めたのは、どちらも見捨てない道。

 ――火竜の軍勢に立ち向かう道だった。



 * * *



 ヒイロ村の東。蜥蜴人リザードマンたちが住まう地に連なる山間で、彼らは私を待ち受けていた。


『さて、約束の期限だが、どうだった?』


 そう問う火竜は、私の叔父、エルダーブレスウトウルフジャルリヌ。


 今から四十九年前。

 つまりは、火竜にとっての半年前。


 私は彼らに、母を殺した犯人を探す猶予をくれと頼んだ。

 必ず探し出し差し出すから、その間人間を滅ぼすのをやめてくれと。


 最初に提案した一年は長すぎると却下され、私に与えられたのは半年。

 その半年で、私は火竜たちを撃退する覚悟を決め、準備をしてきた。


『すみません、見つけられませんでした……』


 頭を下げ、私はふと思いついて、言うだけ言ってみた。


『もう半年の猶予を頂けませんか?』


 今日のこの日のために準備はしてきたが、しすぎるということはない。

 気の長い火竜の感覚であれば、意外と受け入れてもらえるのではないだろうか。


『茶番は良い』


 そんな浅ましい思いは、曽祖父の一言によって切り捨てられた。


『我らの目が節穴とでも思うたか? お前が件の白き者を匿っていることは、とうにわかっておる』


 ……そこまでバレているとは。いつから察していたのだろう。もしかしたら、半年前には既にわかっていたのかも知れない。


『渡せば良し。渡さねば、貴様らを』

「撃てっ!」


 私が叫んだ瞬間、無数の矢が火竜たちに向かって飛んだ。


 この半世紀で作った五十張以上の竜鱗弓を、山の中に隠れ潜んだ剣部たちが放ったのだ。矢にはリヨたちから貰った鱗が使われている。母上との戦いにおいて、火竜に対しても効果があると実証されている毒の矢だ。


 だが。


『愚かな』


 曽祖父が呟いた瞬間、彼を中心として球状に炎が踊った。


『かようなものが、我に効くと思うてか』


 それは火炎に完全な耐性を持つ火竜たちには傷一つつけず、彼らに飛んだ矢だけをことごとく蒸発させる。


 それはまるで呼吸のごとく自然な所作だったが、母上にも出来なかった恐ろしく精微な炎の扱いだ。そして何より、毒のことなど知らないだろうに、その無敵の鱗を過信して受け止めることはしなかった。その事のほうが、恐ろしかった。


 だが……


 その程度は、想定内だ!


 私が合図するまでもなく、大地が大きく揺れた。


『なんだ……?』


 火竜たちは、訝しげに顔を見合わせる。

 全てが意志の力で起こるこの世界において、地震というのは滅多に起きない現象だ。精霊たちの中でも大地の精霊は特に職務に忠実で、他の精霊と違って気まぐれを起こすことは滅多にないし、短気を起こして暴れることもない。


 とはいえ空を飛べる竜に対して地震を起こしたところで大した意味はなく、そもそも魔力を帯びない地面の亀裂に挟まれようと、その鱗には傷一つつかないだろう。


 だが、一瞬。

 悠久の時を生きてきた火竜たちですら見慣れない現象は、ほんの一瞬の戸惑いを彼らに与えた。その隙を突くようにして、火竜たちよりもなお巨大な岩の塊が、彼らの上に降り注ぐ。


 無論、やすやすと潰されるほど愚鈍でもない。火竜たちは素早くそれをかわす。


 とりあえず、分断は出来た。


 四方に散った火竜たちはそびえる岩山に塞がれるようにして、一体ずつに分け隔てられていた。


『なんだ、このデカブツは……?』

『クリュセ、と言います。お見知りおきくださーい』


 己よりも遥かに巨大な岩山を見上げ呟く一本角の火竜に対し、大山が鳴動して唸るようにそんな声が響き渡る。


 山を削り出して作り上げた岩人形。それにクリュセが己の魂を憑依させて、操っているのだ。


『ちっ、邪魔くさい……』

『ここは通行止めでーす』


 翼を大きく広げ、岩山を迂回しようとする二本角の赤竜の行く手を、長い身体を持つ青い龍が阻む。


『ならば、砕いてしまうまでよ!』


 三本角の赤竜が岩山を破壊せんと、その太い腕を振るう。だがそれが岩山に触れる前に、その爪がぽろりと切り落とされる。


「君の相手は、ぼくだよ」


 青竜ギルタの背に立って、石剣を構えながらユウキが告げた。


「あんた、あいつの叔父なんだってね」


 岩山を挟んでその逆側、そこに広がる森の中で、ニーナが叔父を無数の木々で拘束しながら告げる。


「悪いけど、痛い目にあってもらうわ」


 そして……


『あくまで我らに歯向かうか』

『すみませんが』


 私は人の姿に変じてアイの背に乗り、曽祖父に立ち向かって杖を構えた。


『手向かい、させていただきます』

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