第27話 選択/Choice

 消滅というのは、文字通りの話だった。


 建物も、そこに住む人々も、城壁も、何もかも。

 そこにあった全ては破壊され、いっぺんの痕跡も残さずに蒸発し。

 あとに残ったのは、ただただ黒く焦げた土だけ。


 誰がやったか、なんて考えるまでもなかった。

 こんな事が出来る生物はこの世に一種しか存在しなかったし……


 それ以上に。それで終わりでは、なかったからだ。


 マシロの次はロイロが。その次はアサギが。ハシバミが、シオウが、人々は東から順に次々と滅ぼされていった。


 天災のように散発的に人を襲っていた今までとはまるで違う、その徹底した破壊ぶりに私はそれを悟る。


 ――火竜は、人という種を根絶やしにするつもりだと。


 逃げ延びてきた東方諸国の人々の話を聞いて、私は決意を固めた。


「……行く気ね」


 その晩、クリュセが寝静まった後。

 ニーナからそんなことを言われて、私は苦笑する。


「何も言ってないし態度に出したつもりもなかったのに、なんでわかるのかなあ」


 しかも問いかけですらなく、断定口調だ。私はそんなにわかりやすいだろうか。


「何年一緒にいると思ってんのよ」


 ベッドに腰掛ける私にもたれかかるようにして背を預け、ニーナは呟くようにそういった。


「……死んじゃうわ」

「そうとも限らないさ」


 火竜が人を殺す理由が母上を殺された復讐であるのなら、なんとかなる可能性はある。

 同胞の死を悼む気持ちがあるのなら、私の話を聞いてくれるかも知れないからだ。


「それにこのまま待っていても、滅ぼされるだけだろう。それは、嫌だよ」


 火竜は人の住処とそうでないところを、そう厳密には区別していない。森を切り開いた場所に村を見つければ森ごと焼き、山の麓に村があれば山ごと燃やす。ヒイロ村を滅ぼす段になっても、私たちを避けてはくれないだろう。


「……私も、ついてく」

「それはできない。わかってるだろ?」


 火竜の攻撃は人もエルフもお構いなしだ。というか多分、人とエルフの違いもわかっていないと思う。説得するなら、私一人でいくしかない。


 ニーナは、何も答えなかった。最初から全てわかっているからだ。


 だから彼女は私に背を預け、顔を見せないようにしている。


「もし一週間経っても私から連絡がなかったらその時は――」

「わかってる」


 私の声を遮り、ニーナは言って。


「わかってるわ……」


 小さな嗚咽の声だけが、部屋の中に微かに響いた。



 * * *



 ヒイロ村から空を飛ぶこと、僅かに一日。私はすぐに、それを見つけた。

 小さな村に向かって炎を吐きかけ蹂躙する、火竜の姿。


『なんだ、お前は……?』


 体長は私の倍よりやや小さいくらいだろうか?

 彼は私の姿に気づくと、どこか困惑したように首を傾げた。


『いや……知っている。知っているぞ、お前、レイクルセムスウェイフラルイェルドフジャルリヌの小倅だな』


 火竜が口にしたそれは、母上の名前だ。


『そうです。母をご存知なのですか?』

『ご存知も何も』


 火竜は笑う。それは、滅びの化身というイメージからは程遠い……たった今、人の村を無慈悲に滅ぼしていた生き物が浮かべるものとしてはあまりに朗らかな笑みだった。


『俺はレイクルセムスウェイフラルイェルドフジャルリヌの弟、エルダーブレスウトウルフジャルリヌだ。お前さんから見りゃあ、叔父ってことになるな』

『叔父上でしたか!』


 まさか血縁とは思わず、私は目を見開いた。これは嬉しい誤算だ。

 想定していたよりも遥かに話が通じそうな予感に、私は沸き立つ心を押さえる。


『そうか、そうか。確か十かそこらの癖に、聞きつけてやってくるとは感心なやつだな。そら、お前も燃やしてみろ』

『お待ち下さい』


 顎をしゃくって今なお燃える人の村を示す叔父に、私は意を決して言った。


『その……これ以上、人間を燃やすのは、やめては頂けませんでしょうか』

『なに?』


 問い返す叔父は、さして気分を害したようには見えなかった。それはただの、純粋な疑問だ。


『彼らは小さく弱い生き物です。ですが……母上は気に入っていました。ですから殺してしまうには忍びなく』


 嘘ではない。わざわざ人の言葉を覚え、ニーナやクリュセを受け入れてくれたんだから、母は少なくとも人間のことを嫌ってはいなかっただろう。人間に討たれたとしても、復讐のために人間たちを燃やし尽くすのは彼女の本意であるとは思えない。


『ふうむ』


 叔父は唸り、考えるような素振りを見せた。

 いけるか……?


 もし聞き入れてくれないようなら、戦うことも考慮に入れなければいけない。幸い、叔父からは以前目にした火竜のような、圧倒的な恐ろしさ、どうにもならなさは感じない。


 体格は私の方が小さいけれど、こちらには今まで開発してきた人の叡智と魔法の技がある。工夫は、弱者の特権だ。もともと最強の種である火竜が、わざわざ戦う術を研究しているとは思えない。


 そこに必ず、私の勝機が――


『聞いていたか!? どう思う、爺様!』


 出し抜けに叔父は、そんな問いを虚空に投げかけた。


『怒鳴らずとも聞こえておるわ』


 私は言葉を失い、全身が震えだすのを止められなかった。


 山の陰からぬっと姿を表したのは、以前会った赤竜だ。


 ――そして、その背後に付き従うように、もう三頭。

 やや小柄な、額から長く伸びた一本角の火竜。

 中くらいのサイズの、山羊のように曲がった二本の角を持つ火竜。

 大柄な、後頭部に三本の角を伸ばした火竜。

 はじめに出会った叔父を含めて、五頭の赤竜が集まっていた。


 後からきた三頭は私よりも若いようだが、それでもこの数は工夫だとか技だとか、そんなものでどうにかなる話じゃない。

 もし私が相手の勘気に触れれば、その瞬間に即座にすり潰される。

 そんな確信があった。


『小童。人間を燃やすなと言うたな』


 叔父が爺様と呼んだということは、私から見れば曽祖父に当たるのだろう。

 かつて母上が口にしていた、二百歳を超える竜。人の暦で言うなら二万歳以上の、老竜だ。


『どうか……彼らに、お慈悲をくださいませんか』

『構わんぞ』


 震えながらも勇気を振り絞って言ってみれば、あっさりと頷く曽祖父に、私は思わず目を剥いた。


『我らは別にあれに興味があるわけではない』

『では……なぜ?』


 復讐、ではないのだろうか?


『これの主を炙り出すためだ』


 そう言って曽祖父が示したのは、溶けかけた純白の鱗だった。

 それを目にした瞬間、私の心臓が大きく跳ねる。


『それ、は……』

『白き者の鱗だ。お前が人間と呼ぶ生き物の残り香がある』


 それは。アイの、鱗だった。そしてあの射手が身に纏っていた鎧の一部でもある。

 あれは、あの鎧は……かつてアイシャが身に纏っていた、あの鎧だったのだ。


『レイクルセムスウェイフラルイェルドフジャルリヌを殺したは、この鱗の主。それは人間に混じって生きている。故にこうして炙り出そうとしておる』


 そうか。彼らは、私と違って母の死の一部始終を見ているわけじゃない。だから、まさか人に殺されたなどとは思ってもいないのだ。


 そして厄介なことに、その推論は犯人がアイでないということを除けばほとんど当たっていた。その鱗は間違いなくアイのものだし、今アイはヒイロ村で人に混じって生きている。


 この誤解を解くのは難しいし、解いたら解いたでなら人間を根絶やしにしようなどと言い出しかねない。


『……母上がそう容易くやられるとは思えません。相手ももう死んでしまっているのでは?』

『その可能性はある』


 曽祖父はあっさりと頷いて、なんでもないことのように答えた。


『だがそうでないかも知れぬ。更になるまで調べるだけだ』


 それは実際、彼にとってはなんでもないことなのだろう、と私は思った。



 * * *



「……わたしは、構いません」


 一旦ヒイロ村へと戻った私が説明すると、アイはおもむろにそう答えた。


「わたし一人を殺せば彼らの気がすむのであれば、簡単な話です。あの子達を、よろしくおねがいします」

「そんなこと、できるわけないだろう!」


 アイは、何もしていない。そんな相手に全ての罪をかぶせて生贄にするような真似が、出来るわけがなかった。


「では、人を見捨てるのですか?」


 けれどそう問われ、私は言葉を失う。それもまた、出来るわけのない話だ。


「別に見捨ててもいいんじゃない?」


 今まで押し黙っていたニーナが、不意に口を開いた。


「……ニーナ?」

「そもそも悪いのは人間じゃない。竜を殺したせいで、竜に殺される。当たり前のことでしょ」


 淡々と、彼女は感情を交えない声色で言い放つ。


「あんたは今までよくやってきた。この村の人間だけじゃない。他の国の人間たちだって出来る限り守ろうとした。その結果がそれなら仕方ないじゃない。見捨てたって誰も咎めはしないわ」


 長い付き合いだ。彼女が本気でそう言っていることはわかった。

 冗談でもなければ引っ掛けでもない。


「ニーナは人間の側に入るんだろ?」


 ただそこに、自分の安全を入れていないだけだ。


「仕方ないでしょ。あいつら、私がいなきゃ全然駄目なんだもの」


 肩をすくめるニーナ。


 つまり彼女は、こう言ってるのだ。

 自分たちなんて見捨てて、アイと幸せになれ、と。


 アイを見捨てて人を守るのか。

 人を見捨ててアイと暮らすのか。


 ――私は、その選択を迫られていた。

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